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運命のα ~Side:郁~ 1

――運命なんかクソくらえ! 彼がそう言ってくれる日は、果たしてくるのだろうか。 相羽郁は、βの両親のもとに生まれた。父と母のいいとこ取りの容姿は、誰が見てもこの両親の子供だと、疑う余地もないほどそっくりだった。それでも、美人で気の弱い母親は、毎日言い聞かせるように同じことを言った。 「この二重まぶたはママに似たのね。この通った鼻筋は間違いなくパパ似ね。きっと背も高くなるわ。パパは大きいもの、郁も大きくなるに決まってる」 生まれつき体が弱いと言われて育った郁は、幼少期は鍵のかかる部屋の中で過ごすことが多かった。仕事で家を空けがちな父とは、ほとんど顔を合わせた記憶が無い。母が語る思い出話に出てくる男だけが、郁の知っている父親だった。 「パパとママの出会いは運命だったのよ。あんなに素敵な人と結婚できるなんて、ママはとっても幸せだわ」 何度も聞いたセリフでも、郁は大人しく聞いていた。そうすることで、母の機嫌が保たれると学んだからだ。 もし「外で遊びたい」と言ったり、「どうして薬を飲まなきゃいけないの?」なんて言ったりすれば、鬼の形相で睨まれる。最悪の場合は泣かれてしまうので、まだ何もできない子供の郁に、他に選択肢などなかった。 小学校に上がると、他の子どもたちとなんら変わることなく外で遊べるようになり、しばらく夢中になった。給食後に薬を飲むことだけを強く言い含められたが、それ以外に制限される事項はなかった。 ただ、クラスメイトに「それなんの薬?」と尋ねられて初めて疑問を持った。物心がついたころから毎食後に飲まされている錠剤は、一体何の薬なんだろう。 母に訊くと機嫌を損ねることが分かっていたので、郁は月に一度家に訪ねてくる医師に訊いてみた。 「先生、これ何の薬なの?」 「毎食後、忘れずに飲むんだよ」 にこりと笑顔で威圧する医師は、それ以外の答えをくれず、いつも通り一カ月分の薬を置いて帰って行った。調べる方法も分からなかったので、まあいいかと郁はいったん忘れることにした。 そのときはまだ、母の機嫌を損ねないことの方が重要だった。 高学年になり、初めて学年唯一のΩと同じクラスになった。なぜか毎回郁を怯えた表情で見てきたけれど、理由を気にしたことは無かった。 郁は基本的に興味を持ったもの以外には、徹底的に無関心な子供だった。 とはいえそんな郁でも気付くほど、その少年は忘れ物が多かった。授業のたびに教科書を忘れたと泣きそうな声で申告し、教師から嫌味を言われていた。 ある日、ぼんやりと外を見ていると、花壇の土から何かが見えた。授業の合い間に外に出て掘り返すと、その少年の教科書だった。土を払うと十分使えそうな感じだったので、教室に戻って渡した。 初めてまともに見たΩは、透き通るような肌とさらさらの黒髪が印象的な美少年だった。 「はい。落ちてたよ」 「え……どうして?」 どうして落ちてたの?という問いなのか、どうして拾ってくれたの?という問いなのか迷ったけれど、郁はどっちにも答えを持っていなかった。 ただ目に入ったから拾ってみただけで、理由なんてなければ興味もない。 妙に突き刺さるクラスメイトの視線もあって、郁は早々に自分の席に戻った。 その日から、今度は郁の物が無くなるようになった。 教科書は一読して全て覚えていたので問題無かったが、カモフラージュ用にノートを出す行為が面倒だった。 集団で無視を決め込まれ、休み時間は一人で過ごすことになったが不便は感じなかった。話が合わないと感じ始めていたからだ。 けれど、さすがに薬が無くなっているのには焦った。 一カ月分をまるまる鞄に入れて持ち歩いていたので、次に医師が来るまで母に隠し通すのは至難の業だ。 初めて表情を変えた郁を見て、あちこちからクスクスと不快なざわつきがまとわりついてくる。そうしてやっと、これはいじめなのだと気付いた。 なるほど、とただ冷静に受け入れる。 あの少年はΩであるがゆえにいじめられ、それを助けたとみなされた郁が次の標的になったのだと理解した。打開するのは簡単だが、このままでもいいかな、と思ったのが本音だ。 決して標的がΩに戻ることを危惧したわけじゃない。集団に合わせることなど面倒なので、好都合ですらある。 それに、明らかに悪いことをしているのはクラスメイトたちの方なのだから、正当な理由で見下せる。 勉強も運動も、全てにおいて郁に敵わない上に陰湿ないじめで楽しんでいるなんて、ばかにする以外にどんな感情を持てばいいのか。最初から、名前を覚える気にもならないはずだ。 その日の放課後、郁は以前ノートが埋められていた花壇を掘り返してみた。案の定探していた薬が埋められていて、無事に全てを回収する。すると、後ろに突然人の気配を感じた。 「あの……」 素早く振り向くと、件のΩが所在なさげに立っていた。声をかけてきたくせに、続く言葉は出て来ない。 「なに?」 「えっと……ボクのせいで、ごめん」 「別に――」 その瞬間、何かがどくりと体の中を駆け巡った。 気持ち悪くて吐きそうで、うずくまって地面に手をつきながら耐え忍ぶ。この感覚には覚えがあった。もう遥か昔のことに思えるけれど、以前は薬を飲むと今みたいに最悪の気分になっていたんだった。 ちらりと目に入ったΩの足は、目に見えて震えている。 「あ、あ、だ、誰か呼んで――」 「いいから!誰にも言うな。あと見られたくないから、どっか行って」 「わ、分かった。ごめん、ボクのせいで」 走り去っていく足音を聞きながら、またどちらか分からないな、と思った。ボクのせいで薬を埋められてごめんなのか、ボクのせいで気持ち悪くさせてごめんなのか。 そこで、はたと気が付く。あのΩだけが気付いていたことに、今、郁も気付いた。 βの集団の中にいる自分に違和感を持ち始めていたことも、彼らに対する感情にも、それで全て納得がいく。薬を飲んでいないと、Ωの何かに体が反応してしまったことも。 ――自分は、αだ。

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