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運命かもしれない人 1
目が覚めると、知らないベッドの上にいた。二日酔いのせいか痛む頭を押さえながら起き上がると、あまりの惨状にぎょっとする。スーツを着たまま寝てしまっていたようで、どこもかしこもシワだらけだった。
ぼんやり覚えているのは、少しだけ笑顔がひきつり始めたバーテンと、珍しく声をかけて来た男。目元を覆うほどに伸びた前髪と草臥れたシャツを見て、これでは他の誰にも相手にされないだろうと頭の片隅で思った。だからこそ自分に声をかけてきたんだろうとも。
βの男は抱いてくれる男を探すだけでも一苦労だ。Ωのようにフェロモンで誘惑もできず、体の準備も面倒だ。一晩だけなら、「たまにはお茶漬けも欲しくなるよね」なんて物好きがいることもあるので、昨日はそのつもりであの場所に行った。
けれど体のどこにも男と寝た痕跡は無いから、酔い過ぎてできなかったのかもしれない。もしくはあの男も自分と同じ抱かれたい方だったか。いまいち状況が思い出せないけれど、どちらにしても悪いことをしたと思う。
そういえば、自分はこの部屋の半分を占めるベッドの真ん中に寝ていたけれど、あの男はどこで寝たんだろう。
きょろきょろと室内を見回すと、あまりの物の無さに驚く。小さな冷蔵庫の他に目をひくものといえば、部屋の隅にある大量の紙の束の山くらいだ。
ヤリ部屋を持つような男には見えなかったが、意外にも見た目によらないのかもしれない。
どこかからガチャリと音がして、人の気配が濃厚になる。ふわりと石鹸の香りと共に歩いてきたのは、整った目鼻立ちとすらりとした体躯を持つ美しい男だった。
シンプルなTシャツと下着姿なのに、妙に悠然とした空気を漂わせ、ある種の近寄り難さを感じる。
思わずベッドの上で後ずさると、こちらに目を向けた男と目が合ってしまった。
「あ、秋人。起きた?」
「だ、誰!?なんで俺の名前……」
「…………」
分かりやすく顔を顰めた男にやっと人間味を感じ、素早く立ち上がって近付く。真ん中で分けられていた洗ったばかりの前髪を、無遠慮に乱して目元を隠す。すると、昨日見たのと同じ風貌の男が現れた。
「ああ!これなら知ってる!」
「…………」
男の表情は分からなくなってしまったけれど、気にせず自分の鞄を探す。
「昨日はごめんな?全然覚えて無いけど、寝かせてくれてありがと。じゃあ帰るわ」
「は?」
「え?」
驚くほど不機嫌な声を出され、今度は秋人が困惑する。一夜限りの相手と朝まで一緒にいたがる男は少なく、早く出て行った方がいいだろうと気を遣っただけなのに。
確かに昨夜できなかったのは申し訳ないと思うけど、だからといって朝っぱらからコトに及ぶつもりはない。秋人はどんなにヤケになっても、酒の力が無ければ無理だからだ。
「“郁”。昨日はそう呼んでくれた」
静かな男の声が響く。自分でやったことだけど、表情が分からなくなってしまうとちょっと怖いな、と秋人は身勝手に怯える。
「そ、そうなんだ?えっと、郁……?」
「うん」
穏やかな返事に安堵し、鞄の位置と部屋の出口を確認しながら話す。
「昨日みたいな格好じゃなくてさ、前髪切るか上げるかして顔隠さないようにして、ちょっと普通の服にするだけで相手なんか選びたい放題になると思うよ」
そうすればきっと、自分になど見向きもしなくなるだろう。よく見ると長身でスタイルもよく、たとえ一晩だけでももったいない相手だ。
「秋人もそっちの方が好みなの?」
「俺?俺は……」
正直、選り好みできる立場でもないので、見た目にこだわりはない。強いて言うならば、誰かにとられる心配のない相手が良いなあと思った。
ぼんやり元彼のことを思い出す秋人にしびれを切らしたように、郁が雑な仕草で髪をかき上げる。
「これでいい?服は学会用のスーツくらいしかまともなのは持ってない。でも買うから付き合って」
「え。俺が?」
適当なアドバイスの責任を取れということかと、いきなりの展開に戸惑う。わざわざ秋人が買い物に付き合わなくても、このスタイルなら店員が張り切って見繕ってくれるだろう。
そこではっと気が付く。つまり秋人に買ってくれと言っているのではないかと。
もしここがヤリ部屋でないと仮定すると、家具もまともに買えないくらい貧乏なのかもしれない。それなら、髪を整えるのも服を買うのも後回しになるだろう。無責任な発言で気を悪くさせてしまったのであれば、服くらいは買ってやるべきだろうか。
寝起きの頭はさっぱり働かず、判断力が鈍ったままでぐるぐる悩む。すると、郁がじっと何かを見ながら口を開いた。
「杉浦秋人、ね。この会社知ってる、前の学会で展示ブース出してた」
「っ!」
状況を瞬時に悟り、一気に青ざめる。郁が手に持っているのは秋人の名刺だ。ばっちり会社名も所属部署も印字されている。しかも学会中の展示会なんて、その業界に属する限られた人間しか見に来ない。狭い世界で変な噂でも流されたら終わりだ。
全身を強張らせる秋人をよそに、郁は口元に笑みさえ浮かべそうな雰囲気で名刺を弄ぶ。
「この番号とアドレスって秋人につながるの?仕事用?」
「仕事用だ。服くらい買ってやるし個人用の連絡先も教えるから、そこに連絡するのは勘弁して」
「服?まあいいや。じゃあ教えて」
気が動転し、何度か失敗しながら胸ポケットからボールペンを取り出した秋人は、手近にあった紙の束を一部手に取り、連絡先を書きつけた。
真ん中に論文のタイトルっぽいものが印刷されていた気がするが、配慮する余裕など無かった。早く逃げ出して、落ち着いて対策を考えなければと焦っていた。
「じゃあ、俺帰るから」
「分かった、またね」
ひらひらと手を振る郁に見送られ、慌ただしく鞄を持って外に出る。とりあえず、しばらくは禁酒しようと誓った。
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