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運命かもしれない人 3

約束の日、秋人は5分前に駅に着き、くるりと回れ右をしそうになった。腕組みをして秋人を待つ郁は、秋人の知っている郁じゃなかった。 長すぎた前髪はカットされ、ただでさえ強い目力をさらに強調するようにさらりと流されている。服装も、シンプルにシャツとパンツという量産型大学生のようなのに、手足の長さが際立ち、目を惹く。 あの清潔感の足りていなかったよれよれシャツに合うようにと、適当なパーカーを着てきたことを、秋人は激しく後悔する。 一歩後ろに下がろうとしたところで、ぱっと表情を変えた郁が走ってきた。 「秋人、今帰ろうとしてなかった?」 「だって。もう俺が何かする必要ないじゃん。服も持ってないとか言ってたのに、普通に着てるし。そのまま立ってれば誰かいい人が見つかると思うよ」 「は?意味が分からない。髪も服も研究室の皆にやってもらったけど、ダメだった?」 「ちゃんとカッコよくなってるよ。だから……」 「良かった!じゃあ行こう」 「え!?」 てっきり買い物をして適当に昼でも食べてすぐ解散だと思っていたのに、その日は一日連れ回された。 無駄のないデートコースのようでずいぶん手慣れていると思ったけれど、郁はどこに行っても「初めて来た」と物珍しそうな顔をしていた。 こんなに身なりを整えてくれる相手がいるなら、わざわざ自分と来なくてもいいだろうとは思ったけれど、たまには外の人間とも触れ合いたくなったのかもしれないと思い直した。 少々世間とのズレを感じるから、きっと研究一筋で生きてきたんだろう。途中でかかってきた電話からも、その片鱗が窺えた。 「え?おれ今忙しいんだけど……それは奥の部屋の二段目右から三番目の本の135ページに書いてあるから。……は?もう面倒だな」 あからさまに不機嫌な声を出す郁は、突如呪文のような言語を暗唱し始めた……と思ったら、どうやらドイツ語の文献内の一文を口頭で伝えているようだった。恐る恐る尋ねてみると、読んだ書物は全て覚えているとけろりと言い放った。 かと思えば、クレープの食べ方を知らないという有様で、「すごい!皮が食べられる!」と秋人には理解できないところで感動していた。面白いのでアイスも買って渡すと、同じようにコーンが食べられることに感動していた。 一体どうやったらこんな人間ができあがるのか。神様が頭にステータスを極振りしてしまった結果かなあと思いつつ、怖かった最初の印象が薄れるにつれ、郁への興味が湧いてきた。 のどかな広場のベンチに座り、先入観をなくして観察してみる。 「秋人!なに笑ってるの?何か嬉しいことでもあった?」 「なんだろうね。それ、美味いか?」 「うん、美味しい。たぶん秋人が買ってくれたから」 「へ」 まっすぐに無邪気な笑顔をぶつけられ、不意を突かれたようにきゅんとする。懐かしい話だけれど、初めて弟がきゅっと指を握ってくれたときのことを思い出した。 「ねえ、今日はしてくれないの?」 「何を?」 「頭」 「ん?」 ずい、と目の前に頭を差し出され、ぽかんと固まる。上目遣いに見つめられ、改めて綺麗な男だな、と思った。 「この前は撫でてくれたよ」 「いつ?あ、酔ってたとき?ごめんな~たぶんクセなんだよ、昔実家にデカい犬がいてさ。弟にも嫌がられるんだけど、つい無意識にやっちゃうみたいで」 「弟がいるんだ」 「うん。可愛がり過ぎて、いつもウザがられてる」 「へー……いいな。おれも可愛がって」 「ふはっ!何言って……」 子供のような口調に吹き出して、思わず頭に手が伸びる。あ、と思ったけれど、そのままわしゃわしゃと撫でてみた。せっかくのセットが台無しになっても、郁は満足そうに笑ってくれた。 「ねえ、秋人は何か欲しいものとかないの?食べたいものでもいいよ」 「う~ん、すぐには思い付かないな。あ、クレープは好きだよ。一人じゃなかなか買うのも恥ずかしいから、今日食べられて良かった」 「え!先に言ってよ!じゃあおれが買いたかった」 「なんで?」 突然嘆くように言われ、今度はなんだ?と身構える。警戒というよりは、郁への興味の方が勝っていて、だんだん何を言い出すのか楽しみになってきている。 「だって恋人の欲しがってるものをあげるのが彼氏の役割なんだよね?」 「えっと?服を欲しがってる郁に買ってあげるのが俺の役割って話?……っていうか恋人って何のこと?」 そういえば、服も買えないほど貧乏だとばかり思っていたけれど、今日はほとんど割り勘だった。全部奢らされることも覚悟していただけに、無理をして大丈夫かと心配になる。 郁は何とも言えない渋い顔をして、むっと口を引き結んだ。思考回路はさっぱり理解できないけれど、感情は分かりやすいかもしれない。 「秋人、確認なんだけど」 「はい」 改まった様子に、顔に大きなクエスチョンマークを貼り付けながら向き合う。 「おれたち、付き合い始めたんだよね?」 「……どういう意味で?」 「恋人になったんだよね?」 「…………いつ?」 「おれの部屋で、付き合ってって言った。そしたら連絡先を教えてくれた」 「買い物に付き合えって話じゃなかったのか?」 「違うよ。今日は初デートのつもりだった」 どうやら勘違いしていたらしいことに気付いて、ぱたりと思考が停止する。そうして、思わず口をついて出てきたのは、なんとも間の抜けた恥ずかしいセリフだった。 「郁って、俺のこと好きなの!?」 今度は郁の方がきょとんとして、秋人をじっと見つめる。言葉を探すように何度か口を開いては閉じを繰り返し、まとまらないままつらつらと告白を始めた。 「今まで人間に興味を持ったことなんか無かったのに、秋人のことはすごく気になった。たぶん、おれに必要なものを持ってるんだよ。頭を撫でてくれたのも嬉しかった。おれだけにそうしてくれたらいいのにと思った。おれだけのものになればいいのにと思った。それが好きってことなら、そうだと思う。おれのものになって欲しい。秋人が欲しい」 拙い告白はストレートに心に刺さり、何も言えなくなってしまう。そんなつもりじゃなかった、なんて口にできるわけがない。あの夜のことはほとんど覚えていないから、いまいちぴんとこないというのも本音だけれど。 返事に困っていると、郁が頷きながら言う。 「分かった。おれは秋人が好き、秋人はそうでもない。おれたちは付き合ってるわけじゃない」 「ま、まあ、そう、かな?」 「おれは秋人に好きになってもらう必要がある」 「ん?」 「秋人の好きなものはクレープと弟と犬」 「んん?」 「おれもその中に入れるように頑張る」 「いや、弟はそういう意味で好きなわけじゃ……って犬もクレープも違うけど。郁、付き合うって、意味分かってるか?」 「秋人に触っても許されるってことだよね?」 「え」 散々変人ぶりを披露しておいて、なんでそこだけまともなんだよ!とツッコミを入れたくなる。あの夜の自分が恥ずかしくなって、逃げ出したくなってきた。 「できればおれ以外の誰にも触られて欲しくない。でも閉じ込めておくなんて無理だから、せめて秋人の特別になりたい」 「わ、分かったから、もう止めてくれ」 「本当に分かってくれた?おれ、こういう気持ちになるのが初めてで、正しく言葉にできてないかもしれないから、もっと言いたい」 「俺がもたないから、止めて……」 「むぅ」 子供のように頬を膨らませる郁に、妙な安心を得る。たまに言葉が通じない錯覚に陥り、人間味を見つけてほっとするという稀有な体験だ。 「とりあえず、お互いよく知らないわけだし、そこからじゃないかな」 「そういうものなの?」 「たぶん」 正直な気持ちとしては、失恋したばかりで次の恋に進める気がしなかった。けれど勘違いをさせてしまった罪悪感で、きっぱり断ることもできない。気を持たせる方が失礼だと分かっていても、振られる辛さをよりよく知っているせいで踏み切れない。 一人ぐるぐるしている秋人を放って、郁はぐいぐい踏み込んで来る。 「じゃあ、どういう男が好きなのか教えて。見た目はこれでいい?」 「ああ、見違えた。やっぱり相手の目が見えた方が安心するな」 「やった!他に、おれの好きになれそうなとこはない?」 「えっと……素直なとことか、いいと思う。好きっていうより羨ましいって感じかもしれないけど」 「おれ素直なの?」 「思ってることを、あんなにストレートに言える人はあんまりいないんじゃないかな。少なくとも俺はこんな告白は初めてだよ」 「へー。とりあえず秋人の初めてが一個もらえたならそれでいいや。これからもっと好きになってもらえるように頑張るよ」 「……っ」 ふわりと微笑まれると、心をきゅっと掴まれそうになる。それを阻むのは、秋人の面倒な性質だ。 平凡すぎるβの男を好きになってくれる男なんてめったにいない。しかも別れたばかりの自分に、これはあまりにも都合の良い展開だ。そんなことを考えてしまうと、郁の気持ちを受け入れることは、打算的な選択に思えてしまうのだ。 立ち上がって伸びをする郁を見つめる。揺れる髪がきらりと光り、眩しくて目を細めた。 「今日って、秋人はおれの服を買いに行くのに付き合ってくれるつもりだったんだよね?じゃあそれでいこう!これ実は借り物だから、同じのを買いに行こう」 「か、買わなくてもいいんじゃないかな?」 「どうして?カッコいいって言ってくれたのに」 「俺のためなら、いらないっていうか。お金は大事にしないと!もっと食料とかさ、必要なものに使った方がいいよ」 「えー?まあ、秋人がそう言うなら」 口を尖らせながらも了承してくれたことにほっとする。あんなに何もない部屋で貧乏生活を送っているだろう郁に、自分のために無理をさせるのは嫌だった。今日も郁に振り回された結果とはいえ、ずいぶん使わせてしまった気がして胸が痛い。 無駄なネガティブ思考に陥りそうになったところで、ポケットの中の携帯が震えた。仕事用に使っている方で、表示を見てしゃきっと背筋が伸びる。 「うわ、病院からだ!」 片手で郁に謝る仕草をして、慌てて少し離れて通話ボタンを押す。緊急オペに使用する機器の調子が悪いらしく、代替機の依頼だった。 「郁、ごめん!ちょっと仕事が入って、すぐに行かないと」 「うん、分かった。頑張って」 「本当、ごめんな」 両手を合わせて謝り、足早にその場を離れる。少しだけほっとしていることに、どうか郁が気付きませんようにと願った。好きになってしまいそうな瞬間が、今はまだ怖かった。

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