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番の意味

 何の因果か、義弟に獣人に跨り本能のままに快楽を貪る姿を覗かれていたらしい。噂は爆発的に広がり、翌日には主人は居場所を失くした。泥仕合ばかりを繰り返す貴族世界の格好の餌食へとなり果てたのだ。  その中でも父親の見限りは早く、辺境の領地と小さな屋敷を主人に与えると王都を去るよう言い渡した。事実上の勘当。そして、主人はただのヨアンとなった。  すべてを失い呆然と立ち尽くすヨアンの背中は消え入りそうなほど小さかった。  その姿を見て、胸がすく思いだった。相応の罰を受けたのだと。ヨアンが立場を失った事に歪んだ喜びすら感じた。  しかし、ヨアンは一切涙を流すことはなかった。部屋に戻れば、静かに自分の荷物をまとめ始める。 「イェレ、おまえは今日から自由だ。好きにするといい」  そう契約は満了した。俺を縛るものは何もない。  Ωは発情期に番のαの精を受けなければ、満たされない欲求に狂い、精神を病む。しかし、その欲求に俺は応えてやらなければならないのだろうか。なぜこの人間のためにそこまでしなければならないのか。そう思えば、ヨアンを置いていくことは容易いことだった。  だが、それはできなかった。光を纏う金色の髪が醜悪に染まる心を責め苛む。 「参りましょう」  俺はわずかに震える手を取った。  その時、ヨアンに対する怒りはまだあったはずだ。しかし、俺はその行動をおのずと選んでしまった。  驚きを浮かべながらも縋るように俺を見上げるヨアンを共に旅する馬の背へ引き上げた。   一月以上馬を走らせたあと、越境したのち行きついたのは辺境の街。ヨアンに与えられた領地とは国境を挟んで隣に位置する。すなわちヨアンの屋敷は人間国側から見れば、誰も住みたがらない地にある。 「イェレ!?」  検閲のために馬から降りれば、門衛が俺に亡霊を見るかのような眼差しを向けてくる。しかしそれも一瞬で、俺に足が生えていることを確認すると両手を広げ俺を迎えた。 「もう、会えないものかと思っていた」 「そうだな」 「またここに住めるのか? ご両親も喜ぶだろう」 「いや、里山の小屋を買った。街には少し顔を出す程度だ。俺が堂々と街に住むわけにはいかない」 「誰もおまえを責めたりしない。気にせず住めばいい」 「気持ちだけでもありがたい。だが、それがけじめだ」 「そう、だな。おまえが決めたことなら俺は何も言わない。-――そうか、里山……あいつの墓の近くでもあるのか。おまえは変わっていないな」 昔馴染みの友人との再会は四年の月日を瞬く間に埋め、懐かしい街並みはここで過ごした記憶を呼び覚ます。俺はいの一番に訪れたいと願っていた場所に赴いた。  木漏れ日に照らされる墓石。墓は草に埋もれることなく綺麗に整えられていた。それを嬉しく思いながら墓に彫られた名を指で辿る。 「リュカ」  もうその名を口にすることはないと思っていた。名を呼べば込み上げてくるやるせない思い。なんのしがらみもなく暮らしていた頃に戻りたいと心が軋みを上げた。 「本当にいなくなってしまったんだな」  この土地に戻って来たとしても、愛する者の笑顔を見ることは叶わない。あいつがこの世にいないという事実をより深く思い知らされた。 「これからはずっと傍にいる」  食料も燃料もない屋敷にヨアンを一人残してきたため、感傷に浸っている時間もない。俺は後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去った。  馴染みの店に生活に必要な品を月に一度届ける様に依頼し、ヨアンの元へと向かう。森の中を駆ければ一刻ほど。里山から通うにも問題ない距離。まるで誰かの意図が働いたかのように都合のよい環境だった。  日中はヨアンの屋敷へと通い、夜は街へと戻る。契約は存在しなかったが、ヨアンとの関係は変わらなかった。いや、以前よりも関係が希薄になったように思う。  移住してからというもの、ヨアンは一切俺に触れようとはしない。距離を置き、言葉を交わすことも極めて少なかった。  ヨアンも俺を恨んでいるのだろうか。煌びやかな世界から離脱せざるを得なくなったことを不服に思っているに違いない。しかし、全ての元凶はヨアンが為したことであり、怒りの矛先が俺に向けられるのは心外でしかない。  だが、これはただの憶測にすぎない。一層感情を閉ざしたヨアンの心情を理解することは不可能だった。 「相変わらずお人好しだよな」  少し苛立ちを含んだ声でそう言ったのは、リュカの弟ジョナ。人間と番になったことは伏せ、奴隷から解放してもらった恩があり世話をしていると伝えた。 「人間が獣人のΩを欲しがる所為で密輸が絶えないって言うのに、その人間に諂うなんてどうかしてる。そんな奴捨てて、早く街に戻ってきなよ。仕事ならすぐにでも始められるのを紹介するから」 「そうだな、もう少し休んでからな」 「そう言いながら、そいつの面倒を見続けるつもりだろ!」 「……そうかもな」  リュカと違って少し気性が荒い。抜けたところのある兄を支えていた頼もしい弟だ。そんな彼の強気な言葉を聞けば、故郷にいると実感が湧く。  街で過ごすひととき。その時だけは過去を忘れて友と語らい合った。  三月ほどたったある日、ヨアンが発情期を迎え、俺に人間と番った現実を思い出させた。だが、以前の激情が嘘だったかのように俺は冷静だった。  発情期にのみ肌を合わせ、Ωが求めるものを与える。それが番と言うのなら、番とはどういう意味を持つのか。  リュカが運命でなくなった時、誓いを立てる様に番を作らないと決めた。隣にあいつの居場所を残しておきたかった。それをヨアンに踏みにじられ、あれだけ激情に駆られたというのに、番というものはこれほどまでに薄っぺらな関係なのだろうか。  疑問に思いながらも、俺はその淡泊な関係を貫いた。これ以上感情を掻き回されることは避けたかったのだ。  ただ、その髪を撫でればリュカの笑みが瞼の裏に蘇る。それだけは今も変わらなかった。

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