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薬の副作用

   さらりと髪の毛を触る手がこそばゆく、その手を避ける様に僕は寝返りを打った。 「ヨアン様、おはようございます」  イェレの声。眠りから覚める朝。僕の記憶とは合致しない暖かな声色。  うっすらと瞼を持ち上げれば、鮮やかな青磁色と視線が絡む。黒く艶やかな毛並みを視線で辿れば凛々しく尖った耳が目に入り、視線を外せばゆるりと立ち上がった細くしなやかな尻尾が背中から顔を覗かせた。そして、イェレの大きな手が僕の金色の髪を撫でる。懐かしい、心満たされるひととき。 「お身体のお加減はいかがですか?」  掠れた意識のまま見上げると、声の主はゆったりと目を細め、掛け布を僕の肩まで引き上げた。 「今日は少し冷えます。部屋の外に出るのはお控えください」  そう言って立ち去ろうとするイェレを止めようと起き上がると、イェレは僕の頭をまたそっと撫でる。 「すぐに戻って参りますので、ご安心ください」  その返答は思ってもいなかったもの。静かに扉を閉じるイェレの背中をただ茫然と眺めた。 「イェレ……?」 これは現実、なのだろうか。今まで悪い夢でも見ていたのかもしれない。 しかし、記憶を巡り部屋の内装を見渡せば、ここは間違いなく辺境の屋敷。僕が死に逝く場所だったはずだ。 「どうして……」  疑問が口を突いて出てしまうほどに、混乱をきたしていた。 イェレは戻ってくると僕の傍らに座り、喉が渇いていないか、食欲はあるか、寒くないかと幾度となく訊ねてくる。僕はそのすべての問いに平静を装い一言返事を返すのみに留めた。高揚する気持ちを悟られないように注意を払いながらも、狐につままれているような思いに駆られながら。  数日続けば、これが真でありイェレと思いを通わせているかのような錯覚に陥ってしまいそうになる。イェレに手を伸ばしたいという気持ちを何度も抑え込み拳を握る。触ってしまえば、泡沫のごとく消えてしまうのではないか。そんな恐怖が心を占めていた。  しかし願いも虚しく、想像以上に早くその時は来た。  風邪の症状に似た気怠さから始まるそれは、数分もしない内に激しい脈動となって体を冒し始める。 「……っ」  やはりこちらが現実。イェレが何を思ってここ数日のような態度を取っていたのかを考える余裕などなかった。番の精のみを欲する忌まわしいΩの性は思考までも飲み込んでいく。薬の服用を怠った結果。わずかに希望を持ってしまった僕の過ち。 「ヨアン様」  あまりにも運悪く、イェレが扉を叩いた。 「入るな!」  上ずった息の合間に叫ぶように命じた。  今の状態でイェレの香りに触れれば、また本能を満たすだけの獣と化してしまう。  ナイトテーブルにしまった薬を求めて床を這い、引き出しを探る。薬を飲めばきっとこの症状も収まる。イェレも僕も発情さえなければ幸せでいられるのだから。  しかし、そこには目的の物はなかった。手に触れる瓶の冷たさも存在しなかった。 「――そんな、」  寝台の下を手探りで探すが、その間も番を食らうために後孔は濡れ露を零した。長く訪れていなかった発情に頭が狂いそうだった。  その時、ふわりとαの香りが鼻腔を擽った。 「ぁ、ぁぁ……」 「ヨアン様」  いつも通りの穏やかなイェレの声。それが恐怖でしかなかった。僕を支配しながらも、心を寄せることはない僕のα。  だというのに、僕の体は既知の快感に疼き、陰茎は頭を擡げる。 「イェ、レ……」  逃げ出したいという心とは裏腹に番に縋り、腰を揺らめかす。αを誘うただの貪欲なΩに堕ちるしかないのだ。  イェレの中心を布の上から唇で辿る。口淫すれば、この猛りで満たしてくれる。僕の中のΩがそれを記憶し、意志に反して体を従わせる。  イェレはただ静かに僕を見下ろすのみ。心の中ではいい気味だとせせら笑っているのかもしれない。そのために僕を側に置いているのかもしれない。心が悲鳴を上げる。  欲望をかき消すように頭を振り、目の前の逞しい躰から手を引き剥がした。今にも伸ばしてしまいそうな手に爪を立て、消えてなくなりそうな理性を引き留める。 「……薬を、返して……」  しかし、絞り出した言葉に対する返答は僕を追いつめるものだった。 「薬など必要ありません」 「っ……どうしてっ」 「私の役目だからです」  そう言ったイェレの手が背中に触れた。その瞬間にふわりと浮いたのは意識かそれとも体か。  それを理解した時には僕は寝台に横たえられ、イェレの手が僕の着衣を緩めていた。その手が触れる度に制御を失った体が跳ねる。 「あ、あ、」  αを求めて疼きしとどに濡れる後ろに手を伸ばせば、その手をやんわりと捕まれ、寝台へと縫い付けられる。自分の指の代わりに入って来たのはイェレの指だった。  指が中を擦れば、内壁が貪欲に指を喰い締める。しかし、足りないと、満たされないと、本能が嘆く。 「イェレ、おねがい……っ」 「解さなければ、また怪我をします」  拷問のようだった。十分に濡れているというのに、イェレは冷然と内を広げるように掻き回す。侘しさのあまり、自身の屹立を手に収め擦り上げた。  目の前が明滅し、意識は混濁する。その時になってやっとイェレは指を抜き去り、陰茎を宛がったのだった。  遅々として、しかし確実に埋め込まれていく熱に粘膜を灼かれ、焦らされた体が易くも絶頂を迎える。触れてもいない前から白濁が溢れ、腹を濡らした。 「ヨアン様、おつかまり下さい」  イェレの声だけが鮮明に聞こえる。為すがまま身を預ければ、イェレの獣毛が臀部に触れると同時に未開の奥が容赦なく拓かれた。 「ひ、ぁ……っ!」  腹を裂かれるかという恐怖と最奥まで満たされる歓び。イェレの背中へ爪を掻き立て、処理できない感情を叩きつけた。  イェレは僕が与える痛みを歯牙にもかけず、奥を抉り、人間にあるはずのない生殖器を穿ち揺さぶる。味わったことのない深い快感に口から溢れ出たのは、悲鳴か、嬌声か。頂きがどこにあるかすら分からず、永遠に続くかと思われるほどの悦楽。  濃厚な酩酊感に溺れる最中、内を犯す猛りが体積を増し、最奥に精を迸らせた。 「ああ、ぁぁあ」  Ωの性が歓喜に震え、幸福感が全身を埋め尽くす。内壁が収縮して子種を貪り、脈打つイェレから搾り取ろうと締め上げた。    ――ああ、終わった。  用は済んだとばかりにイェレは立ち去るはずだ。そう、それはいつものこと。後は発情の波が終息を迎える時を待つのみ。  しかし、イェレはそこから動かず、いまだ体を痙攣させる僕を見下ろしていた。 「何、して……早く――」  次に発しようとした言葉は声にならない悲鳴へと変わった。治まりを見せていた欲望が再び奔流となって押し寄せたのだ。  僕は首を振りイェレに縋った。 「ぃ、ゃ……たすけ……」  今にも呑まれそうな理性をかき集める僕とは裏腹にイェレは驚きもせず、腰を揺らめかせ始める。まるでこうなることが分かっていたかのように。 「……ぁ、ああ……ゆる、して……」  抑え込んでいたものが鬱憤を晴らすかのように襲い来る。快感に神経を灼かれながらも、本意ではないと何度も首を振った。  またイェレを傷つけてしまう。  ごめんなさい。  ごめんなさい。  何度謝っても、時を遡ることはできない。  目尻から零れたものがこめかみを伝った。しかし、それをイェレの指がそっと掬いあげた。 「ヨアン様、恐れる必要はありません」 「……ィ……ェレ……」  するりと耳元をイェレの鼻先が掠れば、瞬く間に最愛の香りが脳を覆い尽くす。 「この熱が治まるまで何度でも差し上げます。何度でも――」  耳元で囁かれる、優しく雄々しいテノール。  僕はイェレの言葉に促されるように本能の海に身を投げた。

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