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安らぐ場所

   次に目覚めた時、イェレは変わらず僕の傍にいた。わずかに触れる肌から人より高い体温を感じる。  強い眠気と倦怠感が纏わりつき、瞼を上げることも億劫だったが、うっすらと瞼の隙間からイェレがこちらを向いていることが確認できた。  それに気付いたのか、イェレが「おはようございます」と小さく零した。  イェレの名を呼ぼうとして、声帯が機能しないことに気付く。何度咳を繰り返しても、容易に戻るものではなかった。 「水を」  寝台から立ち上がったイェレは水差しを取ってグラスに水を注ぐ。そのグラスを受け取るつもりで起き上ろうとするがそれは叶わなかった。  イェレは当然と言うように首を振り、糸が切れた人形のような僕を腕に抱くと、グラスの口縁を唇に乗せる。少しずつ流し込まれる水が格別に美味しく感じられるのはイェレに抱かれている所為に違いない。  発情が始まったのはいつなのか。あれから何日経っているのか。それすらも理解できないまま、イェレに身を任せるしかなかった。  イェレは僕を横たえると傍らに腰を下ろし、ただ静かにそこに居続けた。  心地よい空間。イェレを買った時からずっとこうして過ごしてきた。お互いに無言だというのに、穏やかに時が過ぎていく。  しかし、微睡み始めたその時、胎の奥がどくりと脈打った。  来る。  その瞬間から侵食を開始する発情の波。疲弊し尽くした体が副作用に悲鳴を上げる。気が狂いそうだった。  擦り切れた感覚を刺激されることがどれほど苦しいか。抑えようとしても、荒い吐息が漏れる。  イェレが寝台に乗り上げ、掛け布を取り去った。そこにあるのは一糸まとわぬ軟弱な人間の体。  しかし、イェレは躊躇することなく僕の片脚を肩に掛ける様に持ち上げ、猛りを後孔に押し当てた。その剛直から与えられる快感を知る性器と化した穴は、ヒクつき、誘い込むようにうねった。解放されてから間もないそこはイェレを抵抗もなく受け入れる。  入り込んだ先端が既に中に在る粘性の液体を押し出しながら容赦なく奥を穿ち、僕は悲鳴を上げるしかなかった。 「――ぁ、ああぁ!」 「あの薬の効果をご存知の上で服用されていたのですか?」 「あ、ぁ……あっ……や、ぁ」 「あれを使えば、元の状態に戻るためにこうして辛い思いをしなければならないのです」  恨み、そして怒り。イェレがずっと僕に対して抱いていた感情。それを浴びせるように、何度も発情を繰り返す僕を責め立てる。  その間も内部を掻き回すように抉り、性感帯を探るように角度を変え往来する猛りが僕を狂わせた。 「あ、あぁ、あー、あ、」  イェレが腰を打ち付ける度にその衝撃で、聞くに堪えない喘ぎが口を突いて出る。詫びの言葉を発することさえ赦されなかった。  抽挿の激しさに仰け反りシーツを掴めば、軽々と抱き起されて真下から突き上げられる。胎の奥まで侵されるような恐怖に身を固くすれば、イェレは僕を宥めるように抱きすくめ後ろ髪を撫でた。 「ヨアン様」  イェレは動きを止めた。今までの衝動が嘘だったかのように。 「もうあのような思いはさせません。ですから……あの薬を使うことはどうかお止め下さい」  ……それは。  それは、どういうことだろうか。 「……イェレ……?」  包み込むように回された腕に一層力が込められた。 「私は、私から一番大切なものを奪った最も憎い男と同じことをしていた。貴方をないがしろにして、貴方を死に至らしめるところだった」  苦渋と後悔が交じりながらも、穏やかな声が耳元で紡がれる。イェレが言葉を発する度に温かい振動が僕へと伝わってくる。 「私は愚かだった。どうか、今までの仕打ちをお赦しください。もう貴方を傷つけるようなことはしないと誓います」  体を離し僕を見つめたイェレの青磁色は優しい光を宿していた。  僕を咎めていたのではないのだろうか。 何が起きたのかを理解できずに呆然と見つめていると、イェレの顔には困ったような、はにかんだような笑みがうっすらと浮かぶ。その笑みはこれまで僕が目にしたどの笑顔よりも柔らかく、僕を魅了するものだった。  これが本来のイェレの微笑みなのだろうか。 「笑って、る……?」  僕がそう零せば、イェレはわずかに瞠目し、その後笑みを深くした。 「ヨアン様は面白いことを聞かれるのですね」  どこか懐かしい科白に心が浮き上がる。  不思議だった。夢の中にいるようだった。  僕はイェレの目尻に寄る笑い皺に指を這わせ、少し持ち上がった頬を撫でた。その手をイェレの二回りも大きい手が温かく包み込む。 「イェレ、ごめんなさい……僕は……」  心地よい体温によって、抑えられない感情が一粒の涙となって零れ落ちた。それがきっかけとなって涙は次から次へと止まることを知らず、僕の頬を伝った。 「ヨアン様、貴方が悪いわけではない。私にもまた非があるのです」  イェレの指が僕の頬を拭い、僕の額にイェレの鼻先が触れる。そこから湧き上がるくすぐったいような甘く切ない感覚。 「私には『運命』がいました。『運命』を知る私が貴方を心から愛すことができるか、私にも分からない。しかし、貴方を大切にしたいと今は思うのです」  真っ直ぐで偽りのない言葉と共にイェレは僕を瞳に映した。今まで本当の意味で向けられることのなかったイェレの心と眼差しが僕を捕らえている。  それは信じがたいことだった。  軽率な行動により、人間を番にさせてしまった僕の罪。その罰を受けるつもりで、ここでの日々を過ごしていた。永遠に僕が映ることがないと思っていた、その美しい青磁色の瞳に僕の姿が納まっている。  夢見心地でイェレを見返せば、イェレはまた柔らかな笑みを浮かべ、僕の頬に、そして唇にキスを落とした。  思わぬ出来事に思考停止した僕が、緩やかに動き始めたイェレに翻弄されるのはすぐ後の事だった。 「あ、……ん……あぁ、イェレっ……」  蕩けるような快楽を与えられ、あられもない声を上げる。体を駆け巡る快感は僕を苦しめるものではなく、温かく包み込むようなものだった。  番のΩでいることを赦された。それだけで、心を覆っていた孤独がゆっくりと取り除かれていく。発情の波が僕を飲み込もうとも、もう怖くはなかった。  ヨアン、と掠れたテノールが耳を擽り、僕を追いつめる。甘美な高揚感が脳を満たし、僕を高みへと舞い上がらせる。 「もう違えはしない」  最奥へ熱を解放したイェレは荒い吐息の合間にそう零し、幾度となく迎えた絶頂で疲弊した僕をその腕で優しく包み込んだ。  そこは僕の一番の心安らぐ場所。  それは今も昔も、そして未来においても変わることはなかった。

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