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第10話
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あの『ご褒美』の日から、調教終わりにキスをするようになった。
触れるだけのキス。噛みつくようなキス。腰が砕けるようなキス。
キスする度に、俺は正臣に見えない縄で縛られているような錯覚に陥る。
そんな正臣に試合がある日以外は、調教される日々を送っている。
調教休み・小ホールで試合、練習休み・調教、練習・調教、調教休み・道場で試合、練習・調教、練習・調教、練習・調教、調教休み・小ホールで試合……と毎日が続いていく。正臣は試合も見に来てくれるのから、実質一週間毎日顔を合わせていた。
あくまで飼育人とただの飼育される存在なのに、愛されているんじゃないかなんて、つい都合のいいように考えてしまいそうになる。
俺の知っている愛はずっと昔の、母親の歪んだ愛だけなのだけど。
どんな愛でも、愛されている時のまるで砂糖で煮詰められたカラメルのようなとろりとした感覚は、全てを許してくれるような不思議な感覚なのだ。
今日は道場での試合だ。四試合だけのコアなファン向けの試合だが、最近はこの大会も人が増え始めている。
当日券は完売。超満員札止めなのだそうだ。
ヒールレスラーは会場にお客さんが入ると試合以外は控え室にいなくてはいけない。物販の手伝いもできないので、開場前の会場準備は俺やその他ヒールレスラーで行っている。
パイプイスを並べていると社長の吉村がやってきた。
「吉村さん、お疲れさまです」
「お疲れさん。お前最近本当によくなったな。お前はレスラーとしてのキャラ付けとか苦手そうだったから悪役を押し付けたけど……もしかしたら間違ってたのかもな」
「そんなことないですよ。ヒールレスラーでいけって社長が言ってくれたからこそ、今の俺があります」
吉村は俺の頭をガシガシと撫でる。父親の顔は知らないが、いたらこんな感じなのだろうかと勝手に思っている。口には出さないけれど。
「そういや、月間プロレスの山田さんが取材したいってさ。急で悪いけどこの辺終わったら行ってくれるか? あと俺やっとくから」
「はい、わかりました。すみません、ありがとうございます」
俺の所属するニュースタイルプロレスはインディー団体だが、その中でもそこそこ人気のある団体だ。
雑誌でもあまりインディー団体は特集や取材はされないが、この山田という記者は昔からこの団体に出入りして取材をしている記者だった。
「山田さん、お待たせしました」
「カイくん~! いやぁ、カイくんの最近の活躍は素晴らしいね! ネットでも女王様系ヒールだなんて言われて大人気じゃない!」
「あ、いや……そんな」
「ふふ、そのおどおどした感じは相変わらずなのがいいね」
「俺が新人の頃から気にかけてくれてますもんね」
「もちろん! カイくんが練習生の頃から追ってるから。カイくんは絶対にいいレスラーになるって記者のカンが働いてたよ。そんなカイくんがこんなに素敵なヒールになって、感動してるよ、僕は」
「ありがとうございます」
山田さんが俺の顔をじっと見た。
「これは記事にしないし、単純に気になったから教えてほしいんだけど。カイくん、恋してる?」
「恋?」
「そうそう。なんかさ、恋してる顔してるよ」
「え、いや。そんなこと・・・・・・」
「ああ、ごめん。変なこと聞いたね。気にしないで。じゃあ、取材させてもらうからよろしくね」
「あ、はい」
恋。
山田に言われたその一言にどきりとする。
正臣に愛されている気がするのは、錯覚かもしれない。
でも俺は、正臣に恋をしているのだろうか。
自分のことなのにわからない。
飼育クラブのスタッフと会員。結局お金で成り立っている関係というのもある。
でも、正臣はいつも自分でチケットを買ってわざわざ見に来てくれる。
チケットは関係者用の分を渡そうとするのに、いつも断られてしまうから、精一杯恥かしくない試合をしようと思って今日もリングに上がる。
入場ゲートをくぐり、花道を歩くだけで会場全体が爆発的に沸いた。
「カイさ~ん! 今日もマジかっけかったっすよ!」
「あ、ありがと。あれ、加納まだ帰ってなかったの?」
大会が終わり、客席から人がいなくなってからみんなで道場内を片付ける。
俺はいつも最後まで残って、道場の汚れたところを掃除して帰る。加納がこんな時間まで残っていることは珍しかった。
手伝うと言うので、一緒にリング回りの整理をする。
どこか様子がおかしい加納を気にしつつも、黙って手を動かす。
あらかた終わったところで加納が話しかけてきた。
「ねえ、カイさん。好きな人いるんですか?」
「え、なんで?」
ぎくりとした。加納は口元こそ口角があがっているのに、目が笑っていない。
「試合前、月プロの記者さんと話してるの聞いちゃって」
「わからないんだ……確かに、気になってる人がいる。しかも、その人のおかげで、今の俺がいる。でも、それが恋なのかなんなのか、正直わからない」
「俺じゃ、ダメっすか?」
間髪入れずに加納が俺に言った。
「俺ずっと、カイさんのこと好きでした。最近カイさん、どんどん色っぽくなってて、恋人できたんかなって思ってました。でも、そんなことも分からないような相手なら……俺じゃ、ダメっすか?」
じりじりと加納が距離を詰めてくる。
「いや。ダメもなにも、お前彼女いるんだろ?」
いつも彼女とどこに行ったとか、何をしたとか言っていた。そんな男が何を言い出すんだろうか。
「……ウソです。セフレはいますけど、彼女なんていません。俺はずっとカイさんのことしか見てなかったです」
近付いてくる加納と距離を一定に保つためその度に後ろへ下がっていると、リングサイドに敷いているマットに足を取られて尻もちをついてしまった。加納はそんな俺をじっと見下ろしている。
「だから、きっと恋人がいるとしたら男だろうなってのも、わかるんっすよ俺。気付いてないでしょう? カイさん、スマホいじってるとき、雌みたいな顔してるときあるっすよ。 あれ、彼氏と連絡とってんっすか?」
「め、す?」
「そんな顔晒して、俺が練習中とか試合中、どんだけ耐えてるかとかも、気付いてないでしょう?」
加納が膝をついてしゃがむと、俺の肩に手を置いて押し倒そうとして来る。
練習や試合で加納と触れ合うことなんてたくさんあるのに、皮膚に当たる加納の体温が気持ち悪かった。
「や、やめろ……! 加納!」
力一杯、加納を突き飛ばす。ごろりと尻もちをついた加納は、泣きそうな顔をしていた。
「悪い、加納。お前がそういう風に思ってるって知らなかった。でも俺は、お前の気持ちにこたえてやれない」
「なんで? 好きかどうかも分からないのに!」
「その人とは少し特殊な関係なんだ。具体的には、言いたくないけど……でも、その人には触ってほしいって思う」
「カイさん、やっぱりその人のこと、好きなんじゃん」
「そう、なのかもしれない」
加納が下を向いたままそう言うと、鼻を啜る音が聞こえた。
「カイさん、今度会うときも、今まで通りに接してくれますか?」
「うん、今まで通り」
「すみません。俺が勝手に告ったのに、なんか気を遣わせてしまって」
「気にするなよ……また、今度の練習で」
「はい!」
加納は立ち上がると道場を出て行った。
明日も練習がある。
正臣に対するこの気持ちは、恋なのだろうか。
吊り橋効果で、心が勘違いしているだけなんじゃないのだろうか。
でも、加納に触れられた時感じた明らかな嫌悪感は、正臣の時は無い。
むしろもっと触ってほしいとすら思う。
明日、会ってよく考えてみよう。
メッセージアプリを起動させて『明日、何時からいいですか?』と送信した。
はじめて自分から正臣に連絡を入れた。
すぐにピコン、と返事の通知がくる。『今からでもいいですよ』その一言とともに、正臣の現在地の記載された地図が送られてきた。
自分のスマホの使い慣れた地図アプリでその場所を検索すると、住宅街のようだった。
すぐに『今から行きます』と返事をすると、道場に停めている自転車を漕いでその場所へ向かった。
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