5 / 6

第5話:紫陽花色の空

完成見学会当日――  上司に相談すると、隣の空き地にタープテントを貼れることになった。そこを託児スペースにする。地主さんとすんなり連絡がとれて、あっさりOKをいただけたことは本当にラッキーだった。 「ほぉら、お花だ」  スーツにお揃いのエプロンで、僕と石川さんはお子様の対応をしていた。ニコニコと笑顔でバルーンアートを披露する石川さんが、いつもと別人すぎてやばい。 「ワンちゃんも作れるぅ?」 「もちろんだ、ちょっと待ってろよ」  キュッキュと音がする。手際よく、あっという間に犬が完成した。 「すごーい!」  嬉しそうにはしゃぐ子どもたち。バルーンを持って佐藤邸の庭に駆け込まないよう、僕はお菓子トラップを発動させた。 「さぁみんな、お菓子のつかみどりだよ! 何個とれるかな~」 「ここのテーブルで食べていいからな」  グッド・コンビネーションで相手をする。しばらくして子どもたちがお菓子を食べ始めると、やっと一息つくことができた。 「ほら」 「ありがとうございます」  お茶のペットボトルを受け取りながら石川さんを見上げると、子どもたちに向けていたような優しい笑顔で僕を見ていた。 「バルーンアートなんて、いつ覚えたんですか?」 「高校生の頃だ」 「へぇ、なにか習う機会があったってことですか?」 「桃李のために覚えた」  石川さんは、さらっとその名前を口にした。 「小学生の頃、デパートでバルーンの剣を貰ったことがあった。桃李はそれを凄く喜んでいてな、だから離婚して絶縁状態だった母親から連絡がきて、桃李が病気だと知った時、作って励まそうと思ったんだ」  石川さんは黄色い風船を膨らませると、長い剣を作った。そしてそれを見つめながら、静かに話してくれた。 「だがそれを知った時にはもう、桃李はろくに会話もできない状態だった……ま、結局見せてやれなかったけど、もう大きくなってたし、見せても喜ばなかったかもな」  そんなことはない、夏目はきっと喜んだはずだ。でも、僕の口からは気の利いた言葉がでてこなかった。 「両親が離婚した時、桃李はまだ小学生にもなっていなかった。俺には多少思い出があるが、あいつはどうだったか……兄らしいことは何もしてやれなかった」  石川さんの寂しそうな笑顔に、胸が締め付けられた。  夏目が母子家庭なことは知っていた。夏目の母親には、何度か会ったことがある。綺麗だけど自分勝手な人で、めったにお見舞いに来なくて、僕はあまり良い印象を持っていなかった。そんな家庭環境だ、石川さんも苦労したに違いなかった。 「って、こんな仕事中に話す話題じゃないな、すまん」 「いえあの、僕も――」  僕も恋人らしいことなんて、何一つしてやれなかった。そう言おうとした時、保護者のお迎えの対応など、バタバタと忙しくなってしまった。  石川さんも夏目のことを気にかけていて、後悔をしている。僕たちは似ていると思ったら、不謹慎だけど少し嬉しかった。 *** 「今日は手伝ってくださってありがとうございました」  片付けも終え、何もなくなった空き地で、僕は改めてお礼を言った。 「あぁ、お疲れ」  石川さんは、荷物をまとめながら少しだけ微笑んだ。 「あの、他の業務とか大丈夫でしたか?」 「今回の件は俺もメールを見落としてたし、多少の責任はある。だから来たんだ、気にするな」 「いえ、あんなメール、伝えたに入らないです。僕のミスです、本当にすみませんでした」  頭を下げる。と、頭をぽんぽんと優しく叩かれた。  「そんなことより……プライベートなことだが、ひとつだけ確認させてくれ。小野はまだ、桃李のことが忘れられないのか?」  空が淡い朱色に染まる。僕は、首を縦に振った。 「とても大切な存在でしたし、あんな別れ方をしたので……忘れるなんて無理です」 「そうか、はっきり言ってくれてありがとう」  石川さんは機材の入ったバッグを肩に食い込ませて、無理やり作ったような笑顔を残し、駐車場に向かって歩きだした。  その背中を見つめる。毎日石川さんのことを考えて、会いたくて、後悔して……色々な気持ちが混ざって、苦しくて、僕は気付けばその腕を掴んでいた。 「小野?」 「でも違うんですっ、僕はっ――」  考えて話す余裕なんてなかった。まさに吐き出すって感じで、まとまらない言葉をぶつけた。 「夏目と話す時、僕は楽しかった。でも石川さんは違うんです。石川さんと話す時、僕はいつだってドキドキするんですっ」  驚いたように振り返った石川さんの目を、真っ直ぐ捉える。 「こんなっ、心臓が壊れそうなの初めてでっ……」  僕にとって夏目は特別な存在だ。恋人らしいことをしてやれなくて、ずっと後悔してきた。でも、そういうことをしてやれなかったのは、僕の夏目に対する気持ちが友情だったからだと気付かされた。 「夏目とは、肩書は恋人でしたけど、友達でした。でも石川さんはっ――」  石川さんは違う。僕はやっと自覚した。 「僕は、石川さんが好きです」  夕日を浴びて、石川さんのキラキラと輝く髪が揺れる。  石川さんはバッグをどさりと地面に落とすと、両手で僕の頬を包み、唇を重ねた。愛しさが溢れ、涙が零れる。視界の端に捉えた空は、少しずつ優しい紫陽花色に変わってきていた。この空を、僕は一生忘れない。

ともだちにシェアしよう!