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第5話

 今日の夜、近くで花火大会があるので万治に楠田の浴衣を用意させた。着付けの面倒も見るように言いつけ、竜我は柄にもなく夜を楽しみにしていたのだが、夕方に着付けに向かったはずの万治から電話が入った。 『一都さん、熱あるみたいなんすけど』 「はあ?」 『あ、いや、その……』  一瞬、頭にきたがそういえば朝からぼうっとしていたことを思い出す。  風邪か……。  残念だが、こればかりは、気づけなかった自分も悪い。  浴衣の楠田と泊まるためにいいホテルも取っていたが、キャンセルして真っ直ぐマンションに帰る。  万治が薬やらなんやらは買い揃えたと言っていた通り、部屋の冷蔵庫には食料品が詰め込まれ、リビングのテーブルには一通りの薬が置かれている。  寝室に行くと、空気清浄機だけ動いていて蒸し暑かった。エアコンを入れると涼しい風が吹く。  カーテンが締め切られ、夕方なのに夜のように暗い。キングサイズのベッドに小高い盛り上がりがあって、やや動く。 「ん……ん……」  寝苦しそうな声がする。  ベッドサイドにはスポーツドリンクが置かれているが、あまり減っていない。  近づいて、頭までもぐっている楠田の額を触るため、布団に手を入れた。 「あっつ……」  サウナかと思うほど布団の中が暑い上に汗で湿っぽい。 「おい、こら。起きろ」  寝ている楠田を揺すり、半分目を開けたところで布団から引きずり出す。 「竜我さ……」 「具合悪いなら早めに言え」  浮かれていた自分を棚にあげて、楠田の額を叩く。 「ごめんなさい」  熱で虚ろな目を伏せられて、決まりが悪くなった。  そんなに強く叱りつけたつもりはなかったのに、ずいぶん悄気ている。 「体調が悪いなら何で今朝、言わなかったんだ」  少し声音を緩めて問いかける。 「だ、だって、酷くなると、思わなくて……。花火、行きたかったし……」 「ガキか」  子どもみたいなことを言う。  ただ、その気持ちはわからなくもない。竜我自身も今夜を楽しみにしていた。  じっと楠田の顔を見る。  花火なんていつでも連れていってやれる。まだ、盛りの時期だ。 「まだ……見にも行けるし、今度、万治に花火買わせてやる」 「え」 「海沿いに知り合いのペンションがある。治ったらそこでやるぞ」 「いいの?」 「好きなだけな」  だから、土壇場までこらえて、細い体に無理強いしないでほしい。わがままなら、どんなことでも聞いてやる。  夜中にホテルに呼び出した時も思ったが、寝込んだ今は一層不安を駆り立てる。食っても太らないこの男はある日突然死んでしまいそうで嫌だった。 「着替え持ってきてやる。これ飲んで待ってろ」  スポーツドリンクを押し付けて、寝室のタンスから楠田のパジャマと下着を引っ張り出す。あまり肉のない男の着替えを手伝い、寝かせる。  着替えさせただけで何となくさっぱりした顔つきになった。 「夕飯、七時くらいでいいか」 「うん……」  布団にもぐる楠田の額を撫でる。  楠田が笑った。 「なんだ」  何でもないと言いながらクスクスしているのが気になる。早く休ませてやりたいが、笑っている顔がかわいいのでつい「何で笑うんだ」と食い下がる。  楠田はケホッと噎せてから「竜我さんが」と小さい声を出す。 「ヤクザなのに優しいから、面白くてつい」 「どういう意味だ」 「別に」  ヤクザが優しかったら変だろうか。いや、変と言えば変か。表向き仏のような顔をしていても、やる時は腹心だろうと容赦しないのがこの世界の住人だ。  竜我だって一応は部下に恐れられ、敬われている。組の中でもトップレベルのやり手として扱われているが、これでも同じ人間だし、気に入った相手に優しくなるのは普通だと思うのだが。  そこまで考えて、ああ、でも、と、思い返す。  部屋に入れて何回も抱いているのは楠田だけだと気づく。殴らずに抱けるのも楠田だけだ。  臥せっているところを見て怖くなるのも……。 「寝ろ」  ベッドを離れた。ここにいたらいつまでも楠田を撫でていそうな気がした。持ち帰ってきた仕事を片付けなければならない。  リビングに戻り、外を見た。  マンションの上の方の階ということもあり、眺めはいい。最初、楠田をここへ連れてきた時も景色に驚いていた。  子どもの頃、本気で豚小屋で寝たこともあったが、それが夢のことのように思えた。あの過去があるからここまでのしあがれた、とは思わない。  理不尽でくそみたいな幼少期は、くそと同じで流してしまった方がいい。大事なのは今と、この先だけだ。  三日して、楠田の熱も下がり、八月の中旬。  ペンションを貸しきって子飼いの部下も連れて慰安にいく。ちょうど、ペンションの近くで花火大会があり、楠田を連れていけた。  浴衣の裾から見える細い足首。白いうなじ。花火を見てはしゃぐ楠田はかわいかった。  大満足の楠田を連れて帰る、至福の時。  この時間は誰にも邪魔されない。そのはずだった。  無音の衝撃に襲われ、腹に熱が走る。 「竜我さん?」  人混みの中。誰も異変に気づかない。そばにいた楠田だけが振り向いた。  経験から、撃たれたのだとわかった。  竜我はとっさに楠田を庇うため、抱き抱えるようにして、倒れた。

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