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第11話

 万治は、車に乗り込んできた竜我の顔を見て驚いた。送迎で毎日会うから、当然、機嫌のいい日も悪い日もある。だが、一都と暮らし始めてから、ドアが壊れるのではないかと思うほど荒れているのは今日が始めてだった。  ははーん、ついに喧嘩したな。と、どうせ仲睦まじい二人のことだから大した理由もなく、もめたのだろう。犬も食わないというやつだ。  そう思っていると、考えが顔に出ていたらしく「ンだ、その面」と後部座席からドスの利いた声で話しかけられる。 「すんません」  反射的に謝った。竜我は腕を組み、窓の外をにらむ。その目つきだけで子どもは泣き出すだろう。  万治は黙って車を走らせ、事務所に向かう。  竜我は父親を豚の餌にしたという逸話の持ち主で、その生い立ちは生半可ではない。万治はというと、少年院でスカウトされたくちだが、竜我の過去話を聞いてからというもの、自分の武勇伝が急に陳腐に思えて情けなかった。  万治も片親で、父親のいない貧乏な家に育ったとはいえ、母親はまともだったし、ちゃんと働いていた。手を上げられたことなんてなく、中学までは豊かではないにしろ、平々凡々といっていい毎日。そんな、優しい母が母親が過労で亡くなり、その憤りで町で喧嘩沙汰を引き起こした。喧嘩を止めに入った警察に重傷を負わせて……。こんなものは陳腐だ。ガキ臭くて、下らない。  警察とやりあったと自慢気にしていた自分が恥ずかしかった。  竜我はよくも悪くも経歴を気にしない。働きをよく見てくれる。そうわかっているから、馬鹿な見栄を捨ててこの人に付いていこうと思えるのだ。  ただ、ひとつ秘密があるとすれば、竜我が猫可愛がりしている一都のことだ。 「万治。今日から楠田の護衛はいらねえ」 「え? あ、はい」  驚いて問いかえしてしまった。  竜我ににらまれる。 「すんません」 「……楠田とうまくやってたみたいだな、お前は」 「え、ええ。まあ、智宏よりは」  一都は智宏を怖がっていた。何を考えているかわからないから嫌ならしい。 「あの余計なお世話だとは思うんすけど」 「全くだな」  竜我が腕を組む。  万治は少し考えて怯まずに続けた。 「早めに仲直りした方がいいっすよ」  後で悔やむ竜我を見たくないという思いで。  そんな思いから万治が言うと、竜我は怒鳴るわけでもなく、ぼそりと「俺はいらんらしい」と呟いた。 「え? 一都の野郎、そんなこと言ったんすか?」 「前見て運転しろ」  座席を後ろから蹴られた。  慌てて視線を前に戻すが、一瞬、曇った竜我を見逃さなかった。  いらないだなんて、一都が言うわけがない。 「……いらないとか、ないと思うんすけど」 「お前、俺に意見するのか」 「いや、それは、その」  何か勘違いがあったに違いない。  竜我は首を振る。そしてぎょっとするようなことを言う。 「もう、追い出した」 「えっ」  万治はとっさにブレーキをかけた。後続車がクラクションを鳴らしながら、追い越していった。 「おい」  座席からずり落ちた竜我に髪を鷲掴みにされた。 「っい……りゅ、竜我さん」  竜我に本当のことを言った方がいいのだろうか。だが、そうした時、一都が何をするかわからない。もし、そうなったら、責められるのは自分だ。  責められるのが嫌なわけではない。  竜我の過去を思うと、一都という心を許せる存在はあまりにも大きい。  万治が恐れているのは、万が一の時、竜我が壊れてしまうことだった。  話をしない万治を離し、竜我は車の外へ出た。  どうしようか迷った。  一都が本当に出ていけば、姿を消せば、竜我はいずれこのことを過去にするかもしれない。  だが、そうしなかったら?  本人がそうだと気づいているかわからないが、竜我は本当に一都を大切にしている。そう簡単に忘れることはできないだろう。そして、きっと、自分の気持ちに気づいた時には、手遅れだ。  そんなことは、させたくない。怒鳴られようが、殴られようが。  万治は竜我を追って車を出た。

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