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第14話
未婚の叔母は澄を自分の息子だと思い込んでいる。実家に戻ると、いつもぼうっとした様子で徘徊していて、澄を見るなり騒々しく駆け寄ってくる。
今日も例外ではなかった。
「おっ、おかえり、おかえり!」
頬骨のせいか、左と右で大きさの違う目。歯並びの悪い口に笑顔を浮かべている。
玄関先で抱きつく叔母に困っているとボディーガードの平野が引き離してくれる。だが、引き離されるとぎゃあぎゃあと泣き始めて始末に終えない。
困っていると父が奥から現れた。
叔母は父を見るなり、今度はびたりと泣き止んだ。そして逃げるように屋敷の奥へ入っていく。
叔母は幼い頃に実の父親にレイプされて以来、頭がおかしくなってしまったらしい。そして、叔母の実兄である澄の父は、そのレイプ犯と顔が似ている。血の道だからしかたがないとはいえ、そのせいで父は妹から恐れられていた。
「叔母さん、相変わらず?」
「今更だろう」
澄は一人っ子だから、妹がいたらどんな感じがするのか、想像することしかできない。あんな風になって平気なはずがなかった。
だが、父は叔母を見ても眉ひとつ動かさない。それが諦めなのか、それとも他の何かなのか。澄にはわからなかったし、尋ねるのも気が引ける。
「来い」
黙って父について行く。
書斎に通され、向かい合ってソファに座った。
「勉強はどうだ?」
「特別、いいわけじゃねえけど、それなりに順調だと思う」
「そうか」
父はテーブルの下からグラスとウィスキーを取り出す。酒が飲める年になるまで、一滴も飲ませてもらえなかったが、いざ飲めるようになると、普通なら一舐めもできないような高級品を飲ませてくれた。これも数百万ものだろう。
濃い琥珀色に染まるグラス。持ち上げると芳醇な香りにうっとりする。
「買ったわけ?」
「まさか。ルイスの秘蔵っ子だ」
「ああ……」
ルイスには子どもの頃、よく面倒を見てもらった、いい人。料理の腕も申し分ない。だが、半年前に亡くなり、もうこの世にはいなかった。澄にしてみれば、祖母を亡くしたような喪失感に近く、名前を聞くだけで、未だにじわりと涙が滲む。
ルイスは父に上物の酒を何本か残した。それだけ親しかったのだろう。男と女として、というより、友人として。
ウィスキーを口に含み、味わう。
父もグラスを持ち、くいっと一気に煽る。
「はあ」
息をつき、カツンとグラスを置く左手。その薬指にはいつも、青いダイヤの指輪をしている。リングは太めのプラチナで、ダイヤは二カラットはあるだろう。かなり高価そうだが、この家の宝飾品の類いではこれで一番地味な方だ。
「彼氏とはうまくいってるのか」
急に尋ねられて一瞬焦ったが、他意はないらしく、短く「まあ」と返すと「そうか」と簡単な返事があった。
ヤクザの息子なのに、男とつき合っているなんて後から知られたら厄介だと思い、交際前、父にだけは、と、話していた。
「俺、一人息子なのに、男とつき合うなんて……」
「悪かねえ。それでお前が幸せなら、俺はそれで十分だ」
冬樹のことを打ち明けたあの時、父は低く笑った。それだけだった。
本当にそれでいいのだろうかという疑問が未だについて回る。いや、だからと言って今さらだめだと言われようと、別れられない。ただ、少しも反対しない父に不安を煽られる。
跡目は継がなくていいと言われているが、孫まで見せないとなると、そこまで勝手にしていていいのかも迷う。これでは、親不孝ではないか、と。
ウィスキーを舐めるように飲んで、琥珀色の水面を見つめる。
「なあ、澄」
父が自分のグラスにウィスキーを継ぎ足した。
「育ての親と、産みの親。どっちが本当の親か……いや、何でもない」
「は?」
継ぎ足したウィスキーをぐびぐびと飲み、派手に息をつく。様子が少し変だった。
「急に、なんだよ。俺、養子なの?」
父は黙りこみ、腕を組んでソファに深く座った。そして、思い直したように腕を解き、指輪を見つめる。
その時の瞳。視線の滲みで、澄はハッとした。
「俺は、母さんの子じゃないのか」
「……どう思う?」
「何だよそれ」
グラスを持つ手が震えた。
母がどんな人か、父から聞いて知っているだけに、その人と血の繋がりがないとこにショックを受けた。
母は、父が唯一、愛した女性だった。
明るく聡明で、亡くなる間際まで澄を思ってくれて……。母が好きだった。父が語る母が好きだった。一緒に過ごした記憶にはなくても、それでも、父と同じくらい母を思っていたのに。
それなのに。
今まで信じてきた血の繋がりが嘘だったなんて。それは、この人にとってどれ程のことだろうか。父は他の人とは違う。部下から恐れられ、敬われるのは、人情なんてものは欠片も持ち合わせていないからだ。
だから、母は特別だった。父が自分以外の誰かを愛するなんて母以外にあり得なかった。そんなあの人の子どもでない澄が、父の中で一体どれ程の意味を持つのか。今まで、母を語る父を見てきただけに、答えは明白だった。
「だから、俺のことはどうでもよかったのか」
思ったことをそのまま口にする。
「澄」
「俺が何をしてもあんたが何も言わないのは、どうでもいいからなんだろ」
組を継がなくても、男とつき合っても。父にとって全部、どうでもいいことだったのだ。
父は「それは違う」と声を荒らげたが、そんなことにはなんの意味もない。
父が、どれだけ母を思っているか知っているだけに、ショックだった。
自分は、父に息子として、認められていなかった。当たり障りなく、育てられただけで、どうでもよかったのだ。
「産みの親も、育ての親もない。俺には、母さんに育ててもらった記憶なんてねえんだから」
ソファから立ち上がると、呼び止められたが、振り向かずに澄は書斎を出てそのまま屋敷を後にした。
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