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第16話
屋敷を出て冬樹に会いに行く途中、バンを運転してきた万治に乗るよう促された。
最初は断ったが、一方通行の狭い道をバンで無理にふさがれ渋々乗り込んだ。
「父さんに言われて来たのか」
土臭いバンにはテントの骨組みが積まれている。ボストンバッグもあった。
「しばらく身を隠してください」
「は?」
万治は車を走らせた。
「誰にも使わせたことがねえ山小屋があります。そこで一週間くらい」
「何だよ、急に」
赤信号を無視して万治が車のスピードを上げた。
「今、赤じゃ……」
万治は黙ったまま、さらにアクセルを踏む。
大きなエンジン音と振動。万治が、いつもと違う。こんな荒い運転をする男じゃなかった。
「ま、万治さん」
「兼平組は終わりです」
「え?」
万治が早口に低く言った。
「兼平が終わる? 何で、父さんは?」
さっきまで、話をしていた。父の命が狙われているということならば、こんなところにいる場合ではない。
「も、戻らないと」
「できません」
「っ何で」
「俺が仕えるのは、竜我さん一人だ」
大通りにバンが躍り出る。クラクションを鳴らされる。バンは通りの車の流れに加わって大人しくなった。
万治はもう一度「竜我さんだけだ」と呟く。
「組を抜けたって変わらねえ。あの人が俺の親分なんです。俺は、従うしかねえ」
何を言おうか迷っているとスマホが鳴った。
「出ちゃダメですよ」
通話を押す寸前で万治が言った。
「は? 何で?」
「とにかく出ないで下さい」
「誰からかも知らないくせに」
「冬樹さんっすよね」
ドキッとした。
確かに電話は冬樹からだった。
着信音が車内に鳴り響く。
「何で、冬樹だって……」
「家にいなきゃ恋人の家を探すもんですよ」
「探すって……誰が、何で……」
万治は黙って信号を曲がり、工事中のマンションの地下駐車場へ入っていく。
着信音が切れた。
「隆治の追っ手があなたを探してるんです」
「たか……って、じいちゃん?」
正直、祖父の記憶はない。澄が生まれる前に、海外との武器取引に失敗して刑務所に入っている。父に止められ、面会にも行ったことがない。
「隆治が密輸に失敗し、派閥ごと解体されたのは、兼平にとって痛手でした。あの事件後、統率者を失った組は、恩も義も持ち合わせない幹部たちによって内戦状態に……。そんな空中分解しかけた組をなんとか立て直したのが、竜我さんなんです」
「その話は知ってる」
だからこそ、父は慕われているのだ。
「そんなことより、冬樹は」
万治は「続きがあります」と遮った。
「続き?」
「バンから降りて下さい」
万治が車を停めたのは駐車場の奥だった。
駐車場には他に数台の車が停まっている。
万治はバンからボストンバッグを取り出し、一番近くにあった黒の軽自動車に荷物を詰め込む。
「ナビに行き先が登録されているんで、それで向かってください。食料を含め、消耗品は一週間から十日程度の備蓄があります。休学届けも出てるんで、その辺は気にしなくて平気っす」
澄は手渡されたスマートキーを握りしめる。
あまりに用意がいい。万治は有能だったと聞いたことがある。だが、そうだとしても今連絡を受けて用意したわけではないだろう。
父はこうなるとわかっていて、万治に用意させていたのだ。
「何でじいちゃんが俺を狙うんだ」
殺される謂われない。ほとんど他人だし、跡継ぎから抜けて、組にも関わってこなかった。それなのに、今さら狙われるなんて。
「勘違いしてますよ」
万治が辺りを見渡し、それから腕時計を見た。
「隆治は娘の、先代組長の孫、由紀の血を継ぐ坊っちゃんに組を引き継いでもらいたいんすよ」
「……それなら」
誤解だ。
自分は、父の最愛の妻であった由紀との子ではなく、父が誰かに生ませた子だ。だから、組を継がせようとはしなかった。男との交際にも口出ししなかった。
万治は言いかけた澄に首を振った。
「澄坊っちゃんは、間違いなく、隆治の孫です」
「でも、俺の母さんは……」
万治も知らない話なのだろうか。そう思ったが、万治の顔を見て違うと気づく。
それならどういうことだ。
澄は一度、口を閉じて頭の中で万治に問いかける言葉を唱えた。声に出していないのに、足から力が抜けて、貧血を起こした時のようにふわふわする。
「俺の……」
親は誰?
その時、再びスマホが鳴った。
びくりとして画面を見ると、また冬樹からだった。
「冬樹……」
「坊っちゃん、スマホ貸してください」
万治の声色が変わる。無意識だろうが、脅すような色があった。
そして何故出るなと言われたのか薄々、わかってきた。同時に、何もかも捨てて冬樹のところへ行きたくなる。
「……ヤクザの跡目の恋人が男だなんて、体面が悪いにもほどがある」
万治が呟いた。
「あ、あいつは堅気だぞっ。冬樹は、組とは何の関係もないのに!」
「兼平はホモの色恋で一度、痛手を負ってるんてすよ」
「……い、意味がわからない。俺が別れてすむなら、冬樹と別れる。だから」
「坊っちゃん、もう答えが分かるんじゃないっすか」
わからない。わかるわけがない。
頭を抱えた。
未だに着信音は鳴り続け、目眩がする。
万治に肩を掴まれる。
「坊っちゃん」
「冬樹に会いたい」
裏も表もなく、澄を好きだからそばにいて、優しくしてくれる。甘えても馬鹿にしないし、親友のように遊んでくれる。最愛の友人で、最高の恋人だ。
スマホを万治に取り上げられ、澄は泣いた。
「酷なのはわかってます」
万治が鳴り止まないスマホをポケットに入れた。こちらから切れば、無視したことがわかってしまう。そうなれば、冬樹の命の保証はない。
今の最善策は、甲高く鳴るこの音を聞きながら無視することだけだ。
「冬樹を助けてくれ」
万治は黙って澄を見つめた。
それが答えだ。
冬樹を助けるつもりはないのだ。
澄は黙って車に乗り込み、そして、駐車場を出てからナビを切った。
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