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第17話

 竜我の憔悴ぶりは見ている方も辛かった。一都の前では普段通りを装っているだけに、事務所や現場で見せる、ふとした表情に彼を慕う部下や万治は胸を痛めていた。  どれだけ金をつぎ込んでも構わない。あいつを治せる医者を探せ。最初の頃、病気を知った竜我はそう命令したが、どれだけ名医に見せても、もうだめだと言うことを自身も命を預けるかかりつけの医者から聞いて、無茶は言わなくなった。  その分、上の空でいることが増え、辛気くささを振り撒き、部下の意欲を削いだ。同情するが、仕事とこれは話が違う。金を借りた連中から舐められたら流石にこの人も終わりだと思ったが、そこまで府抜けてはなかった。むしろ、仕事は今まで以上に集金できていた。 「万治、お前、施設運営に興味ねえか」  深夜、マンションに向かう道すがら、信号待ちをしていると竜我が唐突に呟いた。 「急になんすか」 「ドでかいキャンプ場を売りたいって男がいてな」  昔話でもするかのように、半分上の空で呟く。  もう十一月も下旬だった。キャンプなんてしたことがなく、今年もそんなことはしないまま年末を迎えようとしていた。 「買ってもいいかとは思うんだけどな。使い道に迷うが……。ルイスの知り合いで、山小屋で隠居生活するのに金がほしいんだと。俺は金貸しだし……」  車が走り出すと竜我は黙った。  後ろを見ると、ぼうっと外を見ている。  脱け殻だ。明らかに。今の話も意味や、何か話さなければならない理由があったわけではないのだろう。 「クリスマス、ホテルとか取ったらどうっすか」  町並みは早めのイルミネーションで飾り立てられている。  気分を変えるために言ったはずだが「そんなことしねえ」と返事があった。 「一都さん、デートしたがってましたけど」 「黙れ」  本気で拒絶しているのを感じて口を閉じる。  一都がデートしたがっていたのは本当だ。病気のことを知ってから竜我は一都のことを避けている。そのこともあり、一都は最近よく「デートしたい」と愚痴ってきていた。体がつらそうなので、外出したいなんて本気かどうかはわからないが、死ぬ前に竜我と一緒にいたいという思いは間違いなくあるだろう。  竜我はそんな願いに気づかないふりをして避けている。  深夜も早朝も関係なく、万治に仕事と言って電話をかけてくる。そして緊急性のない話。次の会合の確認だとか、逃げた客の行方だとか。  きっとそんな話をする竜我の背中を、一都は少し離れて見ているのだろう。一秒たりとも無駄にしないように、と。  今まで手放しがたいものを知らずに大人になり、そして、金で何でも手に入れてきたこの人にとって、今の状況は現実味がない悪夢のようなものに違いない。  楠田一都がほしい。そのためなら時間も惜しくない。だが、一都は余命幾ばくもなく。金はあるのに、延命できない。一緒にいるとつらいのに、離れていてもつらくて、不安になる。そんな悪夢。  一都亡き後、彼を思い出してしまうことを、竜我は恐れている。  マンションの駐車場に車を停めたが、竜我は降りなかった。未だに窓の外をぼうっと見ている。  一都のために急かしたい気持ちはあったが竜我の機嫌を損ねるのは得策ではない。事務所に戻ると言われたら万治だって迷惑だ。  黙って運転席にいると「昔」と呟く。  また意味のない話が始まることに苛立つが、今度は少し違った。 「まだ、ガキだった頃、俺は楠田に会ったことがあるんだとさ」 「は、へ?」  バックミラーで見た竜我は頭を抱えるように自分の髪を握った。 「信じられるか?」  胸が苦しくなるような消え入りそうな声だった。  万治はかける言葉も見つけられず、ただ黙って自分の膝を見つめた。  竜我のことは尊敬している。冷静冷徹な仕事ぶりは部下でいて快いほどだ。そして、こういう人間としての根幹が弱いところも、非情になりきるためには必要なのだろう。  普通は成長過程で何となく学ぶ人同士の繋がりや、気持ちの機微というものへの理解を、竜我は何一つ持ち合わせていない。それがこの世界でのしあがるための強みであり、人として生きていく上での弱点だった。  竜我は自分の気持ちを手に余らせている。 「……今、やっておかないと、もう、できなくなるんすよ」  万治が呟いても、竜我は黙っていた。  そして、そのまま車を降りた。  一都が死んだら自分だって寂しい。最初は目障りで、早くいなくなれと思ったものだが、今はもう違う。放っておけない弟のように思っている。だが、彼を失う悲しみや喪失感は竜我のものとは比べ物にならないだろう。  竜我の一都に対する執着ぶりは、一都の死後その後を追うのではないか今から不安になるほどだ。  一都が倒れたのは、その翌日のことだった。  結果としては栄養不足のようなもので、二日、三日、病院で検査したら退院できると言われたが、竜我の取り乱し様は尋常ではなかった。 「僕が死んだらついて来ちゃいそうで嫌だから……」  竜我の代わりに退院した一都を迎えに行くと万治が危惧していたことを、彼も気にしていた。 「竜我さんが後追いしないように、あなたの子どもが見たいって言っちゃいました」  それは、またずいぶん酷なことを言ったもんだと思いながら荷造りを手伝う。 「俺は、あんなドSの血は竜我さん一人で十分だと思うが」 「万治さんはそう言うけど、竜我さん別にドSじゃないですよ。子どもだって、いい子が育つと思うんです。将来は弁護士とか、お医者さんとか……。竜我さん、子育て上手そうじゃないですか?」 「……んなこと言うやつ、この世にお前だけだぞ」  一都はやつれた顔ににこっと笑みを見せた。  あの笑顔の意味はわからない。だが、結果として竜我は一都が言った通り、思いがけず子どもを慈しんだ。その子が何であれ、竜我は澄を大切に育ててきた。  万治は澄が去ったのを確認してから、けたたましくなり続ける呼び鈴に答えた。 『坊っちゃん、やっと出てくれましたか』 「坊っちゃんじゃねえな」 『……何だ? 竜ンとこの古だぬきか』  電話の向こう、何やら物音がするが場所はわからない。ただ、通話の相手はわかった。隆治派だった宮永の弟分で先導役、水城だ。出所したのは知っていたが、兄貴の宮永が死に、隆治がムショ入りしてからこっち、敬愛する主人を失ったためか長いこと大人しかった。  だが、竜我が本格的に動き出した今、忠犬らしく反旗を翻したらしい。  隆治を返り咲かせるつもりなのだろう、竜我を引きずり下ろし、澄を台頭させることによって。 「古だぬきはお互い様だ。坊っちゃんの男返しな」 『兄貴分に随分な口をきくじゃねえか』 「誰が誰の兄貴だ。堅気に手ぇ出すのは隆治派だろうが何だろうが御法度だったはずだがなあ」 『ああ? 古い話してんじゃねえよ。澄坊っちゃんと竜を豚舎に連れてこい。そうすりゃ、まあ、五体満足でホモガキも解放してやるよ』 「そのホモガキが誰かわかってんのか? 例え坊っちゃんが組長になったとしてもお前らは終わりだぞ」 『兼平の血さえありゃあ古参の奴らはついてくる』 「ああ……」  今までの組の経緯から水城が何を考えているのかわかった。  血の繋がりにどれほどの効力があるというのか。万治には理解できなかったが、頭の古い輩、または裏で兼平組を操作したい野郎は違うのだろう。 『堅気に手ぇ出してほしくねえなら言うことを聞くんだな』  通話が切れた。  万治はそのまま自分のスマホで竜我にかけた。  水城との会話のあらましを伝えると『何人だと思う』と問いかけられた。 「まあ、坊っちゃんの捜索組、襲撃組を抜いてもまだ豚舎に十五か二十くらいは集まってるでしょうね。隆治派の古参となると、武装してる可能性も高いっす」 『万治の読みもお前の言った通りだな』  向こうに誰かいるらしい。 「どうします」 『どうもこうも、堅気のガキには関係ねえ話だ。水城に落とし前をつけさせる』 「俺は」 『澄を見張れ。親が親だからな、ここぞという時の覚悟は洒落にならねえ』  こんな状況にも関わらず、どこか嬉しそうに呟かれ、この人は変わらねえな、と万治はややあきれた。 「そこんとこ、竜我さんも相当っすけどね」 『ンなこたねえだろ』 「親馬鹿っすね」 『……いいんだよ』  それだけ言って通話が切られた。  万治は澄に与えた車同様、ここに隠しておいたバイクで駐車場を出た。

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