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第20話

 目を閉じると、あいつの最期が未だに鮮明に思い出される。  騒然とする院内の雰囲気、由紀の「さっさと死ねよ!」という品のない叫び。あいつの掠れた声が、まるで今起きたことのように記憶に強く焼きついている。  楠田は死に際にただ一言だけ残した。  レイプドラッグに犯された甘い匂いの吐息に乗せて。目を潤ませて。  ゆっくり来て、と。  竜我は指輪を撫でた。  昔、楠田と住んでいた部屋に久々に戻る。帰って寝るだけの部屋だったここが、特別な場所に変わったのは楠田のせいだ。  冷たいベッドに倒れ込むと埃が舞った。気にせず、布団に顔をくっつけて深く息をする。  何の匂いもしない。ただ息が詰まる。咳き込み、ベッドの上で丸くなって指輪を眺めた。 「……寂しくなったんだろ」  自分の吐いた血で赤くなった指輪を見て、竜我は「なにか言え」と拳を握って指輪を胸に押し当てた。 「なにか言え……楠田」  ゆっくり来て、と。もう、あの声しか思い出せない。その声だけ。どう呼ばれていたのか、どんな風に求められていたのか思い出せない。 「なにか、言ってくれ……一言でいい」  思い出せないことが多すぎる。  どんな風に笑ったか、拗ねたのか。泣いたのか、怒ったのか。どんなキスをした? どんなセックスをした? 体を重ねた時、どこに、どんな風に触れられたのかさえ忘れてしまった。  楠田が病で死ぬ事実から逃げて、逃げ回った結果がこれだ。  残ったのは痛みと絶望だけだ。  痛みも、何もかも、殺してしまえばよかったのかもしれない。後を追って逝くこともできた。だがしなかった。できなかった。  そう、そうだ。楠田が言った。わずかに覚えている。  竜我を生かさせたもう一つの願いが、澄だった。  澄が生まれてから今日まで、自分は酷い痛みを伴いながらも「親」だった。楠田が願った通りの親でいられただろうか。 「楠田」  かつて、この部屋にいた男。  この部屋にいて竜我を誰より……。  ベッドから起き上がった。咳が出る。  今度は咳を押さえた袖を真っ赤に濡らすほど血が出た。

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