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第21話
「竜我さんには言わないで」
疲れた顔で一都からそう頼まれたが、立場上、言わないわけにはいかなかった。
病室に現れたのは一都の親類二人で、眠っていた一都を叩き起こし、金をどうしたのかと喚き散らしたという。金を返せ、寝てる余裕があるなら働け、入院費がもったいないと、とんでもない御託を並べて一都を責め上げたらしい。
竜我の息がかかった病院スタッフが慌てて外に出したらしいが、それでもかなり手間取ったようで、万治が病院に顔を出すとすぐ、怯えた様子のスタッフが事情を説明した。竜我に言えば、血を見るかもしれない。それは避けたいが、一都の寿命を縮めるような存在を野放しにするのも気が引ける。
「言うなって言われてもな」
「俺が払わなくなったのが悪かったんです。俺、生命保険に入ってるから、死んだらちゃんと金を渡せるって話もしましたし、もう大丈夫だと」
「竜我さんに言えば二人くらいなら表から消せると思うぞ」
「そんなこと、させられませんよ」
一都は困ったように微笑んだ。
「それに、いいんです。母が死んでから、育ててくれたのは間違いなくあの二人なんですから。死んだら葬式くらいはやってくれるみたいですし」
「……そんなの香典が目当てだからだろ。ろくな坊主も呼んでもらえねえに決まってる」
「でも、死んだ後のこと……竜我さんにさせたくないし。あの人、俺のこと好きだから……」
一都の目に涙が浮かんだ。
「ごめんなさい、万治さん。迷惑ばかりかけて……」
この男をあわれだと思ってしまった。
生まれなど気にしない、関係ないと虚勢を張ってきた自分が馬鹿らしく思えてくる。ずっと自分は不幸だと思っていた。表社会で生きられない自分が疎ましかった。
そんな思いを揺るぎない強さを持ち、尊敬する竜我の下につくことで、見ないようにしていただけだった。
一都を見ていると、自分の不幸は諦めや、見ないようにしてきた自分のせいであると気づかされる。表社会で生きたいのなら、踏ん張ってみればよかったのだ。
「迷惑なもんかよ」
「嘘ですよ。俺のせいで竜我さん、ちっとも仕事が手につかないの……俺、知ってるんですから」
「まあ、でもな、あの人もちゃんと人間だったんだなって気づかされたよ」
一都は「ふふ」っと笑って目を閉じる。胸で息をして咳き込んだ。
「今日はもう休め。見張りを立ててやるし、竜我さんには、まあ、そこそこでうまく伝えておく」
「ありがとう」
ぽつりと言って、すぐに眠ってしまった。
死に近づいていく一都にはもはや何の力も残されていないのに、表情や、言葉一つ一つに心を揺さぶられる。竜我には我慢できないだろう。
この男の死と向き合う方法を、あの人は持ち合わせていないのではないだろうか。
そんな疑問を抱いたのは二十年以上前の話だ。
実際、一都が死んでみると、悲しみで泣いて暮らすというようなことにはならなかった。竜我の恨みを買ったらどうなるか。万治は間近でそれを見届けることになった。
全く、感心する。最期の最期まで、一都は完璧に竜我を手玉に取ってみせた。
現役でやっていた頃より幾分か痩せた竜我は、昔、一都と暮らしていたマンションの部屋で、何もかも、当時のまま残され、埃だけつもるそこで、冷たくなっていた。
組の暗部である死体処理を専門に請け負っていた平野が「組長がいないンすけど」という連絡を寄越したため、まさかと思い、あの部屋へ行くと、竜我は血を吐いて死んでいた。
一都があの世で寂しくなって連れていってしまったのかもしれない。
もう澄の成人も近い。親として全うしたと言っていいだろう。
平野に見つけたと連絡を入れると「あー。じゃあ、後はやっときます」と簡単に切られた。父親と同じで何を考えているか表に出さない男だ。養豚場を持っていて、父親が組の仕事で出た死体を豚に食わせて始末する仕事をしていた。竜我はそこで奴隷のように働かされていた父親の元で育ち、平野の父親に認められて組入りを果たした。
まさか、竜我の亡骸まで豚に食わせたりはしないだろうが、少し不安だった。
しばらく考えて、もう一度電話をかける。
『はいはい。まだ息ありました?』
「不謹慎だぞ。……で、どうするつもりなんだ。まさか豚の餌になんて」
『いや、流石に。遺骨はほら、あの指輪と一緒に石にして、海に投げてくれって言われてたんで。その費用ももう、業者に払ってあるとか。そんな感じなんで。それより、兼平の屋敷をどうするンすか?』
「そっちは俺がやる。坊に一応、話を通さねえとならねえからな」
『へえ。まあ、じゃあそういうことで』
通話を終えて万治はため息をついた。
竜我はベッドの上で丸くなって、血溜まりさえなければ気持ちよく眠っているようだった。肩の荷が下りたのだろう。
ーー隆治の傘下を潰し、兼平を消す。
昔、竜我はそんなことを虚ろな目で言っていた。そんなことできっこないと当時は思っていたが、気づけば隆治は刑務所で、その傘下はもういなくなっている。
この人はやり遂げてしまった。
後の細かな仕事は下っ端……いや、友人として片付けるべきだろう。
「まったく、本当にお疲れさまでした」
万治はそう伝えて、しっかりと手を合わせた。
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