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第3話

ある日、父親に部屋に来る様に言われた栄之進は何かしでかしただろうかと 内心焦りながら、部屋に入った。 「父上、何かございましたか」 「おお、来たか。お前に縁談の話が来ておる」 「私にですか」 縁談と聞き、驚く栄之進。 「何もそんなに驚くことはあるまい。お前もそろそろいい歳だ。 身を固めて家を継いで貰わねば」 確かに友人の中には既に婚礼を済ました者もいた。 だがいざ自分となると… 「…まだ先ではあるが、考えておきなさい」 父親はそう言うと、机の上にあった茶を啜った。 その日の夜。 栄之進は居酒屋へと出かけ、熱燗を呑んでいた。 肴に芋の煮ころばしを突きながら、あとで来るはずの悠之介を待っている。 酒も美味いと感じる様になってきた自分はもう所帯を持つほどの年齢なのかと ボンヤリと考えていた。 所帯を持ち、家を継ぎ…藩に仕えて一生を終える。 (当たり前のことを何故悩む必要がある) そのために心身鍛練の武術、武士の作法なども(つちか)ってきた。 ただ気に掛かったのは今まで通り、悠之介と再々逢えなくなること。 だが、隣人として付き合いは続けられる筈だ。 なのにこの気持ちは何だ。 「栄さん、遅くなってすまない」 背後から肩を叩かれ、振り向くと悠之介がいた。 「庭の手入れに駆り出されてて…おや、もうだいぶ出来上がって」 いつもより赤くなっている栄之進の顔を見て悠之介が少し驚く。 生真面目な栄之進が悠之介の到着を待たずにこんなに呑んでいることは今までに無かった。 「何かあったの」 いつもなら鈍い悠之介の鋭い言葉に、栄之進は酒を猪口(ちょこ)に注ぎながら答える。 「縁談が、来たんだ」 その答えに悠之介が一瞬、目を見開く。 猪口の酒をクイッと飲み干すと、空いた猪口を悠之介へ渡す。 「飲まないのか」 「あ、あ、飲むよ。縁談って、栄さんが?」 「そうだ」 悠之介は一瞬、陰った様な顔をしたがすぐいつもの笑顔に戻った。 「そうだよねえ、栄さんは家を継がなきゃ何ないもんなあ」 「そんな言い方はやめろ」 何でだよ、と悠之介は注がれる酒を見て呟く。 「いつの日かこうなると思っていたさ。俺だけの兄さんじゃなくなるんだって」 「…」 神妙な顔を向ける栄之進に、悠之介は吹き出す。 「何も、栄さんが嫁に行くわけじゃないんだし今まで通り隣で住んでるよ、俺」 「…そうだな」 そうさ、と芋を口にしながらこれは逸品だと喜ぶ悠之介に、栄之進はホッとした。 「栄さん〜〜起きなよ〜〜」 居酒屋で舟を漕いでいた栄之進を連れ出し、帰路につこうと悠之介がひっぱりながら 歩いていたが流石にもう限界だった。 神社の境内前にひとまず栄之進を座らせ、自身も座る。 「呑みすぎなんだよ、全く…」 今までにこんなに深酒した栄之進を見たのは初めてだった。 やはり縁談のことが頭になったのだろうか。 ボンヤリと栄之進の顔を見つめていた悠之介は、ふと顔を近づける。 長いまつ毛にすっと通った鼻筋。 その顔は昔から憧れていた。顔だけではない。 なにもかも憧れていた。 (…いや憧れじゃない) こんなにも離れたくないと思う気持ちは、とうに憧れだのそう言う類ではないことを 悠之介は分かっていた。 眠っている栄之進の唇を、自分の指でなぞる。 そして、そっと口を重ねた。

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