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栄司の作品ともいえる会長の写真に針を突き刺すなんていう許されない所業を行っていたことを許してくれるんだろうか。
風紀として押収した会長の写真と栄司が撮影した会長の写真の違いを考えて壁に貼りつけたのが始まりだ。
被写体がクズということは見ないふりをすれば写真というのは、栄司から見える世界の形が切り取られていることになる。栄司は決して適当にシャッターを切っているわけではない。どうしてこの時にこのタイミングの写真を撮ろうと思ったのか、栄司の考えを想像するのは楽しかった。
写真というのは空間の切り取りだとオレは思っている。
栄司の目から見た物事の角度に触れるのは、栄司と感覚を共有しているようで不思議な気持ちの良さがある。
同時に被写体であるクズが目に映ることで冷静に写真を見れるのもいい。
元々は風景を写真に収めるのが好きらしいので、脳内でクズを消去して栄司が美しいと思ったのだろう夕焼けを見たりする。
ただクズに対しての怒りがどうしようもなくたかぶると写真に針や画鋲を突き刺して穴をあけてしまう。
怒りをどうにか消化しなければならないのだと言い訳をしながら続けていた行為だが栄司がからすれば裏切りだ。
栄司の作品だとわかった上で破壊したのだ。我に返って罪悪感にのたうちまわる。
被写体への感情と写真は別物。
そう思っているにもかかわらず苛立ちをぶつけてしまっていた。
オレは清廉潔白、公明正大の人格者ではない。
そう振る舞うように怒りを外に出さずに風紀委員長として淡々とトラブルを処理していた。
クズによってはらわたが煮えくり返る思いをしても耐えてきた。
寮の自分の部屋に帰れば栄司がいる。
その和みの時間すらクズに邪魔されても自分の部屋で怒りを写真にぶつけて表には出さない。
オレの心の狭さを栄司に気がついてほしくなかったということもある。
一つだけとはいえ年上なので余裕のある人間を装っていたかった。
苛立ちをぶつけられないほどに写真うつりがよかったらよかったで、栄司に会長がこう見えているのかと思うと癪に障ってしまう。栄司の写真の腕がいいことは、誇って喜ぶべきことなのに純粋な気持ちで写真が見れない。
嫉妬心はどんな言い訳をしても独りよがりで自己中心的になりがちだ。
クズのふり見てオレはこうはなるまいと自制心を鍛えている。
自分のことしか考えていないから、自分以外を見ている相手が面白くないと感じてしまう。
会長というクズの権化がいなければそもそも出会えなかったかもしれないオレと栄司。
だから、オレの内心に押しとどめているクズへの恨みつらみをわざわざ聞かせたくはない。
同級生で長年そばにいる相手なので、オレとクズは友人だと周囲から見られている。
栄司もきっとそう思っているだろう。
オレがそんなことを少しも思っていないと知られたら栄司に失望されるかもしれない。
心の狭いちんけなやつだと幻滅されたら生きていけない。
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