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【32】この言葉に嘘はない

両親に相手にされない自分を誰かに知られることは、自分に価値が無い事を吹聴する様なものだ。 真価を認められない俺は見知らぬ男に愛されている自分を語ることで、客観的に愛されている子供という評価が欲しいのか。 初めて会う男できっと二度と会う事は無いだろうから。他人に認めてもらうことで、両親に愛されている理想の自分が現実に存在していると、幻を見たいのだろうか。 男の目を通し偽りの自分を見て、それで一体何になると言うのだ。 目を伏せた錦に男の無邪気な言葉が続く。 「理想の家族だね。」 「それは、どうも。」 「錦君、どのイベントが好き?」 特に好きな学校行事はないが、演劇鑑賞と音楽発表会と答えた。 演劇鑑賞は面白いし、音楽を聴くのも楽器を弾くのも悪くはない。 「お前は?」 「僕は運動会だな。懐かしいなぁ。今でもパン食い競争とかあるの?」 「パンじゃなくて飴食い競争ならある。人気があるが俺は出たことは無い。」 手を使わずに、白い粉の中に埋もれた飴を顔面から突っ込み探し当て口に入れて走ると言う正直訳の分からない競争だ。飴食い競争と、障害物競走は人気が高い。 「お前はパン食い競争に出ていたのか?」 「出たかったけど、人気があり過ぎて無理だったんだよねぇ。一回も出たことないや。でも競技よりお弁当を家族皆で食べる事が一番楽しみだったんだ。」 自分の子供の頃を思いだしているのだろう。男は懐かしそうだ。男の家は両親が揃って参加したのだろう。家族皆と言ったから祖父や祖母、兄弟のいずれかも含まれるのかもしれない。 「朝比奈家のお弁当とか言ったらやっぱり豪華なんだろうな。ほかの皆驚いてたろ?」 「家族ごとに別々に場所をとって座るし、いちいち他の家の弁当の中身なんか見ないだろう。」 弁当を囲み休憩時間限定の家族団欒を楽しむクラスメイトに交じり、運動会に参加する両親も弁当を囲む自分も想像できない。 これから先も、経験することは無いだろう。 「でも、そうだな。母の作る料理は世界一だろうな。」 彼女が料理が出来ればの話だが。 家には家事使用人がいる。料理人も居るので母の手料理を一度も口にしたことが無い。 それが当たり前なのだから一度も疑問を抱いたことは無い。 クラスメイトが運動会や家族遠足の時に話す、弁当のおかずの話題でなんとなく母親が子供の為に作る得意料理に少し興味を持った事はあるが錦は母の得意料理など知らないし、強請ったこともない。 もし彼女の手料理が不味くても錦にとっては世界一だと言い切れるからこの言葉に嘘はない。

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