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【50】彼は特別
「夏と言えば怖い話だよね。海にまつわる怖い話を今からしても良い?」
「やめろ馬鹿。」
「あ、怖いんだろ?」
「怖くない。」
「ちぇ。怖がってくれたら夜一緒に寝れると思ったのになぁ。」
「馬鹿」
錦は肩に置かれた手に手を重ね両手で包み込む。
「甘えてるの?可愛いなぁ。」
「少し冷えただけだ。」
「そういう事にしといてあげよう。」
揶揄うと言うよりは、喜色満面という表現がふさわしい。
溶けそうな表情で男は笑い錦を引き寄せる。
大人しく脇腹に体を寄せ、横から恐る恐る男の腰に両腕を回した。
「ん?抱っこ?」
「…だ、…だっこ。」
額を擦り付ける様にして頷く。
顔が熱い。男は、温かいなぁと笑い錦を抱きしめる。
すっぽりと体を包まれる心地よさに、目を細め男の背中に掌を這わせた。
男の右手が錦の頭を撫でながら、子供を寝かしつける様に左手で背をゆっくりと叩く。
気持ちが良い。気持ちが良くてたまらない。
こんなに優しい大人は知らない。
こんな風に優しくしてくれた年上の男が父親ではなく、見知らぬ誘拐犯など笑える冗談だが、この男以外の大人なら今の様に甘えることは無いだろうと思う。
彼は特別なのだろう。
「ふふ。嬉しいなぁ。錦君がこんなに甘えてくれるなんて。」
この男といると、男の「特別」になった気分になる。
きっと誰に対しても優しいのに誰に対しても特別だと錯覚させて――女に恨みを買うタイプだ。
そこまで考え、面白い様な面白くない様な相反する気持ちを抱く。
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