56 / 71

【50】彼は特別

「夏と言えば怖い話だよね。海にまつわる怖い話を今からしても良い?」 「やめろ馬鹿。」 「あ、怖いんだろ?」 「怖くない。」 「ちぇ。怖がってくれたら夜一緒に寝れると思ったのになぁ。」 「馬鹿」 錦は肩に置かれた手に手を重ね両手で包み込む。 「甘えてるの?可愛いなぁ。」 「少し冷えただけだ。」 「そういう事にしといてあげよう。」 揶揄うと言うよりは、喜色満面という表現がふさわしい。 溶けそうな表情で男は笑い錦を引き寄せる。 大人しく脇腹に体を寄せ、横から恐る恐る男の腰に両腕を回した。 「ん?抱っこ?」 「…だ、…だっこ。」 額を擦り付ける様にして頷く。 顔が熱い。男は、温かいなぁと笑い錦を抱きしめる。 すっぽりと体を包まれる心地よさに、目を細め男の背中に掌を這わせた。 男の右手が錦の頭を撫でながら、子供を寝かしつける様に左手で背をゆっくりと叩く。 気持ちが良い。気持ちが良くてたまらない。 こんなに優しい大人は知らない。 こんな風に優しくしてくれた年上の男が父親ではなく、見知らぬ誘拐犯など笑える冗談だが、この男以外の大人なら今の様に甘えることは無いだろうと思う。 彼は特別なのだろう。 「ふふ。嬉しいなぁ。錦君がこんなに甘えてくれるなんて。」 この男といると、男の「特別」になった気分になる。 きっと誰に対しても優しいのに誰に対しても特別だと錯覚させて――女に恨みを買うタイプだ。 そこまで考え、面白い様な面白くない様な相反する気持ちを抱く。

ともだちにシェアしよう!