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第2話 前夜祭

 スマートかどうかは別にして、ある意味、直江の言う通りだった。直江は現時点でこそ俺の部下だが、実力的にはライバル、いや、そのうち立場が逆転して俺の上司になるかもしれない存在だ。しかし、俺はそういった出世欲や競争心とは無縁で、周囲からもそういう奴と思われている。「藤原さんは気にしない」と彼が言うのも、そういった周囲の評価を耳にしているのだろうし、彼自身に映る俺もそう見えていたのだろう。でも、人間関係全般気にしていないかと言えばそんなことはない。時期外れに異動してきた奴がいれば事情は気になるし、そいつの面倒を見ろと言われれば、それなりに心を砕いて歩み寄る努力位はする。ただ、そいつが俺より先に出世するかどうかには関心がない、というだけだ。 「営業一課にいたんだっけ。尾関さんとこ」 「ええ」 「花形だもんな。引き抜きで来たような奴が謙虚な態度取ってたら逆に目立つだろうし、嫌味に思われたのかもな」 「あそこは全員、俺が一番、ですからね」  思わず本音を漏らす直江に、俺は少しばかり嬉しくなる。ようやく心を開いてくれた気がしたからだ。それから俺は窓際を離れ、部屋の中央を占拠するダブルベッドに腰掛けた。 「でかいな。ダブルどころかキングサイズだろ」 「川の字で四人ぐらい寝られそうですよね」 「川の字と言うなら三人じゃないか?」  俺のくだらない発言をスルーして、直江はベッドの反対側に回り、同じように腰掛けた。 「どうですか? 振動、伝わります?」 「いや」 「端と端なら、行けるんじゃないですか」  そう言うと直江は靴のままベッドに寝そべった。それでも振動は伝わってこない。 「どうだろうな」今度は俺が直江の真似をして、直江から極力離れて寝そべってみる。「どう?」 「さすがに今みたいに飛び乗ったら、少しは揺れますけど」体を俺のほうに向けて、直江はそんなことを言う。スーツ姿のアラサー男が二人、ベッドの上でご対面だ。「でも、寝ちゃってれば気づかない程度です」  俺はソファを見る。肘掛も立派だが所詮はソファだ。こんなに広いベッドを俺が独り占めして、それを横目に直江が窮屈そうにソファに寝る様子を想像する。さすがにその状態で熟睡できる気がしない。 「じゃあ、これで我慢するか」 「ええ」直江はそう言い、それからプッと吹き出した。「何やってるんでしょうね、三十男同士でピロートーク」 「変な言い方するなよ」俺は慌てて起き上がり、そのままベッドから降りた。「晩飯、行こう。ホテルのレストランで良いよな?」 「はい」  直江もベッドから降り、シャツやズボンの皺を手で伸ばした。  メインダイニングは混んでいたから、サブのダイニングへと行先を変えた。フルコースはないが、一般的な日本人の食事量なら充分足りるボリュームの食事はできる。 「藤原さんは新卒で入ったんですか?」 「そう。だから、よその会社は知らない」 「僕も二社目だから、大差ないですよ」 「おまえはどこ行ってもやっていけそうだな」 「そんなことないですよ。現に早速、配置換えじゃないですか。鳴り物入りで入ったのに、期待外れだったってわけですよ」 「違うだろう、異動はおまえの希望だと聞いてるぞ。そもそも一課の連中がおまえに嫉妬して足を引っ張るようなことをしたからなんだろ? 出る杭は打たれるってやつ。うちの会社の悪いところだな」 「そうでしょうかね」直江は少し遠い目をした。「前の会社でも似たようなことはあったので、自分に非があるんだと思います。だからこそ今回は慎重にしたつもりだったんですが、この始末です」 「おまえに非なんかないだろう」  俺は直江に苛立ってくる。俺よりずっと有能なくせに、何を甘えたことを言っているのかと。過ぎた謙遜は人を不愉快にさせるものだ。一課の連中にもこんな態度だったのなら、鼻につくと思われても無理はなかったかもしれない。 「藤原さんはこの会社のことしか知らないんでしょ?」直江は直江で俺の受け答えが気に入らないのか、薄笑いを浮かべながらそんなことを言いだす。「僕は二社目は二社目だけど、学生の時はインターンでベンチャーから業界最大手のところまでいくつかの企業を経験しました。半年間、海外のNPOでも働きました。そのどこでも、同じだったんです。だから、問題は僕のほうにあるんです」  滔々と経歴を語りつつも自分の非を断言する直江。俺にどう反応してほしいのかさっぱり分からない。 「まあ、そう思うなら思っていればいい」  俺が発した言葉はいかにも冷淡だったが、そう響いていいと思った上で言った。俺はこういう面倒な男は嫌いなんだ。問題は自分にあるなどと断言するのは謙遜なんかじゃない。他人はみんな自分に関心があり、自分こそが周りに影響を与えていると信じている証拠だ。殊勝なことを言っているようでいて、やはり営業マンらしい自意識過剰な側面も持ち合わせているらしい。 「……藤原さん。やっぱり僕も少し飲んでいいですか」  直江が言った。翌朝は早く出るし、今晩の内に資料を整理しておきたいから酒は控えておく。最初に食事をオーダーする際にはそう言っていた直江だった。だから俺一人がワインを傾けていた。 「ああ、別に構わないけど」  直江は自分で店員を呼び、ワインリストを持って来させた。 「ボトルで頼めよ。俺だけならグラスでいいかと思ったけど、おまえも飲むなら」  少々気に障るところはあるが、だからといって仲違いするほどのものではない。少なくともこの出張中はお互い「うまくやる」に越したことはない。 「それ経費で落ちます? 僕からのお祝いはグラス一杯だけって約束でしょ」  直江は笑った。  不意打ちだった。  今さっきの直江の話に、俺が苛立ちなり落胆なりを感じているのは伝わっているはずだった。伝わっても構わないとばかりの態度を取ったのだから。直江だってそれが面白くなくて生意気な口を叩いたのだろう。それなのにここへきて、こんな風に屈託なく笑い、ワインをねだる。  もしかして直江は、本当にただ素直に一所懸命頑張って、それなのにその努力は誤解され、空回りしただけなのか。そんな時に出会った俺が淡々としていたことに、本気で感謝してくれていたのか。にも関わらず俺が彼の言い分に納得してやらなかったから、拗ねたのか。  なまじ仕事ができるものだから、俺と違って世渡り上手な奴なのだと思い込んでいた。不愛想な態度は海外事業部も俺のことも舐めているからで、花形部署のお偉いさん相手なら愛嬌も振りまくのだろうと思っていた。けれど、それは違っていたのかもしれない。そんな風に思わせる笑顔だった。 「あんなの本気にするなよ」俺もつい笑ってしまう。「いいから、好きなの頼め」 「じゃあ、そうさせてもらいます」  直江は再び店員を呼び、赤ワインの銘柄を口にした。 「酒、好きなのか。歓迎会の時もほとんど飲んでなかったから弱いんだとばかり」 「二日酔にはならないけど、すぐ眠くなるんですよ。だから仕事のある時は控えめにしてます」 「そうか」  直江のグラスにワインが注がれると、彼は改めて「誕生日おめでとうございます」と言い、二人で乾杯をした。 「誕生日は明日だけどな」 「前夜祭ですよ。明日はもっと盛大に乾杯しましょう」  直江は結局、ボトルの三分の二ほども飲んだ。すぐ眠くなると言っていた割にはそんな様子はない。ただ、顔は赤らんで、目も潤んでいる。仕草が緩慢になり、時折、はあ、と甘ったるい吐息をついた。 「なんだ、さっきから溜め息ついて」 「え、溜め息なんかついてました?」 「ああ。やけに色っぽい溜め息な」  俺がそう言って笑うと、直江は俺の顔色をうかがうように上目遣いで言い出した。 「これなんです」 「あ? これ?」 「なんか僕、酔うとそうなるらしくて」 「溜め息のことか?」 「それもそうだし、誤解っていうか……。招きやすいみたいで」 「誤解?」  直江の顔がふわっと明るくなる。 「藤原さんは大丈夫なんですね。よかった。いや、ちょっと残念かな」 「何言ってるんだ?」 「いえ、なんでもないです」直江はグラスに残った最後の一口を飲み干した。「ああ、久しぶりに楽しいお酒でした」 「よく分からないが、食べ終わったんなら部屋に戻るか」 「はい」

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