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act.09 ”What goes around comes around”
随分と賑やかな顔合わせを果たした数日後。辰巳はクリストファーとふたり、部屋で酒を飲んでいた。と言っても、クリストファーの前に置かれたグラスに入っているのはソフトドリンクだ。
フレデリックは、アドルフの都合で仕事に駆り出されて不在である。
仕事中は飲まないのかと、そう尋ねた辰巳に返ってきた返事は否だった。クリストファーは下戸らしい。そう言えばフレデリックも、クリストファーに酒を飲ませるなと出掛けに言っていた。
「全然飲めねぇってのも珍しいな。付き合いとかねぇのかよ?」
「酒など飲めなくても何の問題もない。むしろ飲みたくもない」
「俺らは、そうでもねぇな。付き合いが多くて敵わねぇよ」
ここ数日、辰巳はヤクザとマフィアの違いなどを聞いてその好奇心を満たしている。たった数日話を聞いただけで、げんなりする事の方が多かったが。
規模も違えばやる事が派手である。自分にはついていけないと首を振る辰巳に、クリストファーが呆れた顔をした事は言うまでもない。
「そういえばお前は射撃もなかなかだな。どこで覚えた? 日本は煩いだろう」
「あー…ガキの頃河原でぶっ放して遊んでた程度だよ。別に習っちゃいねぇし、当たるだけマシってもんだ」
「はあ? それであれかよ…」
辰巳は、しっかりと大男の腕を撃ち抜いていた。それをクリストファーが言えば、それはただのまぐれだと辰巳は言う。
「粗方見当つけて撃ったら当たんねぇか?」
「駄目だ。お前と話してると頭痛がしてくる」
向かいのソファで項垂れるクリストファーを見遣り、辰巳は肩を竦めた。
そんな辰巳を、クリストファーが垂れた長い髪の間からじっと見つめていた。船の中で二人は手合わせなどをしていたが、その時からクリストファーには思うところがあった。
辰巳はその動きのすべてを勘に頼っている。故に無駄に攻撃を受ける事になってしまう。防御もほとんど出来ていないに等しいのだ。それでは、どれほど勘が鋭かろうと限度があると。
確かに辰巳の勘は鋭い。それはむしろ本能に近いと言ってもいいかもしれない程に。とにかくクリストファーがどれだけ不意をついた動きをしても、辰巳はある程度の衝撃を逃がしてしまう。
当たらない訳ではない。逃がすだけだ。だからこそもったいない。
もう少し格闘技などを辰巳が学んでいたならば、とんでもない化け物が出来上がっていたのではないかという予感がクリストファーにはある。
初めてシャワールームで辰巳の躰を見た時、随分質の良い筋肉だと、そう思った。本当に宝の持ち腐れだ。もう少し早く出会っていたなら、クリストファーは辰巳に格闘技を教えたかもしれない。
そんな事をクリストファーが考えていると、不意に名前を呼ばれた。顔をあげた先に、辰巳の苦い笑いがある。
「そんな目で俺を見てっと、今度こそ殺されるぞお前。うちの嫁はおっかねぇからよ」
「…気付いてたのか?」
「あぁん? そりゃ見られてりゃ気付くだろぅが。お前らの目は、色気があって敵わねぇな」
フレデリックといい、クリストファーといい、内側まで見透かす様な視線を向けられると、辰巳はどうしても躰が反応してしまう。気持ちが良いのだ。
そう辰巳が言えば、クリストファーは背凭れにどさっと寄り掛かって髪を掻き上げた。
「勘弁しろよ辰巳。お前、それ絶対にフレッドの前で言うなよ? 俺はまだ死にたくない」
「二度ある事は三度あるって言うだろう。今度も命拾い出来んじゃねぇか?」
「馬鹿、三度目の正直って言葉があるだろう。さすがに、あいつがそこまで我慢強いとは思えん」
辰巳とクリストファーは、思わず笑い合う。この場にいないフレデリックを肴に酒を飲むのは、案外楽しい二人である。
クリストファーが席を外した時だった。不意に、辰巳に悪戯心が湧き上がる。
ほんの出来心。下戸だというクリストファーに酒を飲ませてみたくなったのだ。
フレデリックも、出がけにクリストファーには酒を飲ませるなと言って出て行った。それが、余計に気になる辰巳である。
辰巳の周りには下戸という人種が一人もいない。酒が飲めない人間がどういう反応をするのか、頗る気になった。それが、とんでもない事を巻き起こすことになろうとも知らずに。
クリストファーのグラスに酒を混ぜ込む。気付かれたらその時はその時だと思っているだけに、量も度数も気にしてはいない辰巳である。
程なくして戻ってきたクリストファーがグラスに口をつけるのを、辰巳は自分もグラスに口をつけながらちらりと上げた視線で見遣った。
グラスの中身を口に含んだ瞬間、僅かにクリストファーの眉間に皴が寄る。クリストファーは、すぐさまテーブルにごつりとグラスを置いて辰巳を睨んだ。
「酒を混ぜただろう」
「ああ」
「っ…なんて事をしてくれる…んだ…この……馬鹿が…」
額に手を遣るクリストファーは、はぁ…と息を吐いた。その息が随分と上がっているように感じて、辰巳は慌てる。まさか口に含んだだけで酔うとは思ってもみなかった。
大丈夫かと声をかける辰巳の目の前で、クリストファーがゆらりと音もなく立ち上がる。辰巳を見てにぃ…と嫌な笑みをその唇に浮かべた。ざわりと、身の毛がよだつ。
テーブルを踏み越えたクリストファーが、あっという間に目の前に立つ。逃げる隙さえ与えられず、辰巳は硬直する事しか出来なかった。何が起きているのか理解が追い付かない。
辰巳の脚の間に膝をつき、クリストファーが無造作に手を伸ばす。怪訝な顔をして見つめる辰巳は、頬を鷲掴みにされた。その力の強さに顔を顰める。
外側から押さえつけられた口の粘膜が歯に当たり、口の中に鉄の味が広がった。意識せず呻きが漏れる。痛みに、辰巳は口を開けずにはいられなかった。
「ッ痛…ぁ…」
「良い顔だな」
うっとりと囁くクリストファーに、ぞくりと辰巳の背筋に悪寒が走る。殺気や殺意ではない。むしろ狂気に近いその空気にアテられる。
反射的にクリストファーを押し返そうと伸ばした辰巳の右腕は、逆に捕らえられた。同じくクリストファーの右手で掴まれた腕を強く引かれ、肩に激痛が走る。
その直後、クリストファーの舌が、辰巳の口の中に入り込んだ。辰巳の目が見開かれる。
「ッ!?」
「お前の血は…甘いな、辰巳?」
血で唇を赤く染めたクリストファーの様相は、辰巳に吸血鬼を思わせた。明らかに様子がおかしい事は分かっているのだが、どうする事も出来ない。酒で正気を失くしたクリストファーを押し退けるには、辰巳は無力過ぎた。
ギリギリと締め上げられる頬が痛い。そのまま顎の骨を砕きかねない強さに、さすがに危機感が募る。酔っ払い程始末に負えないということに気付いたところで今更遅い。
「ぁ……かはッ…」
「痛くて、苦しくて、気持ちが良いだろう?」
顎を捉えられたまま首を振る事も適わない辰巳に、くつくつと喉の奥でクリストファーが嗤う。
辰巳の口から唾液と血液が滴り落ちるのを、クリストファーの舌が舐め上げる。痛みと恐怖に混乱しそうになりながら、辰巳は拳を握り締めた。
たかが酒でこんな酔い方をするなど誰が想像できるかと、辰巳は内心で悪態を吐く余裕すらない。痛みに、眩暈がする。本能的な恐怖が全身を縛り付けていた。
辰巳は辛うじて残る左手で、頬を締め上げるクリストファーの手首を掴んだ。右手を引かれていて自由が利かない中、それでも引き剥がそうと手首を掴む辰巳を、クリストファーが嘲笑う。
「どうした? もっと強くして欲しくておねだりか? 顎を砕いてやってもいいが、そうでないのならその手を放せ。利口なお前なら、脅しかどうかは判断がつく筈だな?」
「はッ…はあっ…ぁ、はぁ…ッ」
自分を落ち着かせるように自発的に呼吸を繰り返しながらゆっくりと手首を放す辰巳に、クリストファーが満足そうに微笑んだ。
「よくできました。お前のその本能は優秀だ。大人しくしているのなら、もう片方の腕も自由にしてやろう。いい子に出来るなら自分の脚を叩いてみせろ」
言いながら捕らえられた右腕を強く引かれて、肩に激痛が走る。辰巳の口から悲鳴が漏れた。
それでも脚を叩く気配のない辰巳に、クリストファーが低く嗤う。
「っあ…はッ、…は…ぁっ」
「強情なのか馬鹿なのか。それとも、痛みが好きなのか…」
クリストファーの膝が、辰巳の中心を服地の上から擦り上げた。突然の刺激に辰巳の躰がビクリと跳ねる。一度意識してしまったそこから、ぞわぞわと熱が広がる感覚に辰巳は混乱した。顔に熱が集中する。痛くて恐ろしいのに気持ち良いなど、有り得ない。
愕然とする辰巳の頬を掴む手が不意に離れた。が、ほっとしたのもつかの間、辰巳は易々と躰をひっくり返される。ソファの背凭れに押し付けられる辰巳の背中に、クリストファーの膝が乗っていた。
「ッ…クリス…てめ…っ」
「あまり煩くすると、また口を塞ぐぞ?」
思わず黙り込む辰巳の背後でクリストファーが自身のベルトを引き抜いた。あっという間に辰巳は腕の動きを封じられた。
ベルトが食い込み軋みを上げる関節に辰巳が顔を顰めると、クリストファーは愉し気に嗤った。
「良い格好だ。そのまま裸に剥いて犯してやりたくなる」
「ッ馬鹿な事…言ってんじゃねぇぞてめぇ」
「威勢がいいのは変わらずだな。自分の置かれた状況を、もう少し知った方がいいんじゃないか?」
クリストファーはそう言って、無造作にベルトを掴みあげた。ただそれだけで肩の関節が締め上げられてミシリと音を立てる。激痛に、辰巳の口から悲鳴が迸った。
どさりとソファに落とされ、辰巳は尾を引く苦痛に耐えるようにして歯を食いしばる。鉄の味がして気持ちが悪かった。
「痛ぇんだよクソがッ」
「そりゃあそうだろう。それなのに、お前はそうやって騒ぎ立てる。俺には強請ってるようにしか見えないんだがな」
「誰が強請るか変態。痛ぇのなんざ御免なんだよ」
「だったら、優しくしてくださいってお願いしてみろよ辰巳。別に俺は、悲鳴が聞きたい訳じゃないんだぜ?」
後ろから辰巳の耳元に囁くクリストファーの声は、甘く掠れていた。色香を含むその声に、辰巳が身震いする。恐怖と甘さが綯い交ぜになって、訳が分からなくなりそうだった。
混乱する辰巳の背中に、クリストファーが覆いかぶさってくる。身動きすら取れない辰巳は、背中の重みにきつく目を閉じた。
だが、それだけだった。それ以上動く気配のないクリストファーに、辰巳はゆっくりと目を開けた。耳元にあるクリストファーの口から、妙に規則的な呼吸音が聞こえてくる。
まさかの事態だった。恐る恐る辰巳が首を動かしてみても起きる気配のないクリストファーに、辰巳は安堵の溜め息を吐く。
だが、どうやら身の危険は回避したものの、状況が状況である。腕を拘束された上に態勢も悪い。おまけにクリストファーが乗っていて身動きが出来ないままだ。
「…勘弁してくれよ…」
と、辰巳が弱々し気な声をあげた瞬間だった。凶悪な破裂音と共に、辰巳の頭のすぐ近くにあるクッションが羽を撒き散らした。近くにあるクッションが、破裂音と共に立て続けに無残な姿に変わり果てていく。
「ッ!!」
不自由なままの躰を捻ってリビングの入り口を見れば、フレデリックが銃口を向けて立っていた。辰巳が口を開くよりも先に、今度はテーブルの上のグラスが粉々に砕け散る。
躊躇いもなく放たれる銃弾が、狙ったものを精確に撃ち抜いている事を嫌でも知らされた。
「ッ待てフレッド。落ち着けお前」
「僕は落ち着いてるよ。言い訳があるなら聞こうか、辰巳?」
フレデリックが静かに告げる。その目は、恐ろしい程に冷酷だった。辰巳でさえ身の危険を感じる程に。
最悪の事態だった。フレデリックを止める術を、辰巳は知らない。元よりそんなものがあるのかどうか知らないが、さすがに今回は辰巳自身が引き起こしたトラブルだ。まさに不貞を妻に見つかった夫の気分である。
だが、辰巳自身言った通り、辰巳の嫁は…おっかない。
「酒。酒飲ませただけだ…」
「そうだろうね。でも、そうじゃない。僕が言いたい事はわかるね?」
「悪かった…」
つかつかと歩み寄ったフレデリックの手によって、クリストファーの躰は床に転がされた。背中の重みはなくなったものの、辰巳の腕はベルトで戒められたままである。
小さな溜め息を吐いたフレデリックが、床に膝をついた。辰巳の顎を捉えて顔を覗き込む。くっきりと頬に残った鬱血と、口に残る血痕を見て再び溜め息を吐く。
「無様にも程があるね…辰巳」
蔑むようにそう言ってフレデリックは立ち上がると、辰巳を放置したまま手に持ったオートマチックをソファの影に転がるクリストファーへと向けた。フレデリックが何をしようとしているのかなど、分かりきっている。辰巳は狼狽した。
「ちょっと待てお前ッ」
「何かな?」
「冗談でもダチにそんなもん向けんなよ…俺のせいなのにそんな事すんじゃねぇ…」
狼狽える辰巳の言葉は弱い。ほんの出来心で、まさかクリストファーに酒を舐めさせただけでこんな事になるとは思っていなかったとは言え、悪いのは辰巳だ。彷徨わせる視線の先に、無残に散らばった羽とガラスが映って何も言えなくなる。
辰巳は、初めて後悔という言葉の意味を知った。
だが、そんな恋人の姿を冷たい視線で見下ろしていたフレデリックから返ってきた返事は素気無いもので。
「そうだね。でもキミは、もう少し僕の性格を知った方がいい」
冷たく笑いながらフレデリックはゆっくりと引き鉄を引く。それはまるで辰巳に見せつけるようだった。
「ヤメろ…ッ!!」
辰巳の怒号と、オートマチックが発する破裂音は同時だった。ゆらりと、僅かに銃口から硝煙が上がるのを辰巳はただ見つめている事しか出来ない。
「ッお前…」
フレデリックは再び辰巳の目の前に膝を折った。舌先で辰巳の涙を掬い上げて、首を傾げる。
「どうして泣くのかな」
「何でだよ…」
「悲しいかい?」
「何で撃ったって聞いてんだ…ッ」
怒っているから。と、そう短く告げたフレデリックの顔を、辰巳はただ見つめることしか出来なかった。自分のせいだと、そう思う。
「ねえ辰巳。少しは反省したかい?」
「ああ」
短く応える辰巳に、にこりとフレデリックが微笑んだ。
「だ、そうだよクリス」
「ッ!!」
ソファの影から、クリストファーがふらりと立ち上がった。傷ひとつないその姿に、濡れた辰巳の目が見開かれる。
「さすがにそこまで泣かれると俺も心が痛むんだがな。ただの賭けだ」
「ッ……クソ野郎が」
「何を言ってるんだい辰巳。キミはまだ自分が何をしたか分かってないね。僕の言う事を聞かずにそんな恰好をしてるなんて、許せないよ?」
「まあ、そういうこった。これに懲りたら二度と俺に酒を飲ませるなよ辰巳。フレッド、俺の勝ちって事で、あとで金は振り込んでおけよ」
ひらひらと手を振りながらクリストファーはそう言い残して出ていった。
当然ながら取り残された辰巳は、未だに腕を拘束されたままである。解いてくれそうにもないフレデリックを辰巳が睨んだ。
「賭けって何だよ」
「辰巳が、僕の言う事を聞くか、聞かないか。まあ、聞かなかった場合はキミがこうなる事も分かってたし、その後の事は…僕の嫉妬かな」
「クリスのあれは、演技だったって事かよ?」
「クリスの酒癖の悪さはキミが身をもって経験した通りだよ。まあ、クリス自身飲まされるのも嫌いだからね。僕が負けた場合は、僕の提案に乗って少しお仕置きをしようかって話にはなっていたけどね」
フレデリックの種明かしに、辰巳は渋い顔をするしかなかった。結局は自業自得なのだ。
苦々しい表情の辰巳の唇に、フレデリックが手を伸ばす。その目に揶揄いの色が浮かんでいる事に、辰巳は何故だか安堵してしまった。
「しかしまあ、随分と痛そうだね辰巳?」
「痛ぇよ。つぅかいい加減、腕解いてくれてもいいんじゃねぇか?」
「うーん…どうしようかなぁ…。僕の言う事を聞かずにクリスに唇を奪われるなんて、許せないと思わないかい?」
わざとらしく聞いてくるフレデリックに、今度こそ辰巳は本当に顔を顰めた。全部、バレている。
辰巳と同じように、興味本位でクリストファーに酒を飲ませたがる輩は少なくはない。実際フレデリックの目の前でも、酒を舐めたクリストファーは相手を拘束した上に血を舐めていたことがあるくらいだ。クリストファーに酒を飲ませて拘束されずに済んだのは、フレデリックくらいのものである。
「お前は本当に質が悪ぃな…。謝っただろ…」
「そんな可愛い事を言われると、もっと虐めたくなるね…」
「勘弁してくれよ…」
弱々しく言う辰巳の躰を、フレデリックは易々と持ち上げてソファに座らせた。腕はそのままにシャツのボタンを外すフレデリックを、辰巳はただ見降ろしている事しかできない。
腕を後ろに回している事で幾らか反り返った辰巳の胸を、フレデリックの舌が辿る。
「っぅ…待て…フレッド…」
「普通にしていれば、痛くはないだろう?」
「そういう問題じゃねぇだろ」
狼狽える辰巳を、フレデリックの愉し気な視線が見上げる。
「やっぱり、お仕置きに少し痛い思いをさせてあげようかな」
フレデリックの手が背後に伸びるのを見て、辰巳がピクリと肩を震わせた。クリストファーにベルトを引き上げられた時の激痛は、思い出したくもない辰巳である。
人に痛みを与える方法を知っている人間のやり方は、容赦がない。それは、フレデリックも同じだろう。
無意識に躰を強張らせる辰巳の耳に、低い声が流れ込んだ。
「大丈夫だよ辰巳…僕は絶対にキミを傷付けない…」
腕を拘束するベルトに、囁くフレデリックの長い指が掛かる。腕を食んだベルトがじわじわと引き上げられていく感覚に、辰巳は思わず目を閉じた。ゆっくりと、関節が締め上げられていく。
辰巳の口から小さな呻きが漏れた。
「っう…ぁ」
「うーん…。ちょっと…ごめんね、辰巳」
何気ない口調でそう言って、フレデリックは辰巳の腕を拘束しているベルトの穴をひとつ分縮めた。一瞬にして拘束が強くなって、関節が軋みを上げる。
激痛ではない。じんわりと疼くような痛みに、辰巳の口から自然と息が漏れる。
「ぅあ、はっ…お…前…マジで…っく」
「うん、良い声だね辰巳。大丈夫、ちゃんと気持ちよくさせてあげるよ」
フレデリックの手で辰巳はソファに寝かされた。仰向けにされた事で自重にまた僅かに関節が軋んで、辰巳が苦しそうな声をあげる。それを、すぐ横に座ったフレデリックは愉しそうに眺めながら黒い髪をその手で撫で梳いた。
声を押さえようと辰巳が噛み締める唇を、フレデリックが長い指先で辿る。
「あまり噛むと、また血が出てしまうよ?」
「ッだったら解けよ……」
「その前に、消毒かな」
髪を撫で梳いていたフレデリックの手が、そう強くはない力で辰巳の頬を挟んだ。クリストファーに鬱血する程に強く締め上げられたそこを同じように掴まれて、辰巳は反射的に口を開けた。
一度味わった恐怖は、なかなか消えない。無意識に躰を強張らせる辰巳を見下ろすフレデリックの目が、一瞬だけ苦痛の色に染まる。
「はっ…ぁっ」
「いい子だ。そのまま口を開けていてくれるね?」
優しいくせに有無を言わせぬ口調で言うフレデリックに、辰巳は逆らうことが出来なかった。座ったまま上体だけを倒したフレデリックに口付けられる。その手は、頬に添えられたままだ。
フレデリックの舌が辰巳の口腔を舐る。歯で傷付いた粘膜を舐め上げ、辰巳が痛みに口を閉じそうになると、フレデリックは頬を掴む指に少しだけ力を入れた。
フレデリックはそうやってひたすらに辰巳の口腔をその舌で舐り続けた。閉じる事を許されない辰巳の口から、滴り落ちる唾液と共に苦痛だけでない声が零れ落ちる。
「うっ…ぁ、あっ…はあっ、ぁ…ッ」
嬲るような仕打ちをされているというのに、辰巳の口から漏れる声が濡れた響きを持ち始める。それは辰巳自身も気付いていた。痛いのに、気持ちが良い。触られてもいない下肢に熱が集中しているのがわかって辰巳は混乱する。
頬に触れていたフレデリックの指が、首筋に滑り落ちる。鎖骨を辿られ、胸を軽く弄るフレデリックの視線が下肢へと向けられるのを感じて、辰巳は顔を背けた。
クスリと、フレデリックが小さく笑って辰巳の耳元に低く囁く。
「気持ち良くなってきたかい?」
「嫌…だッ、解け…よ、フレッド…、ん…ッ」
「駄目だよ、辰巳。今日は…このまま気持ちよくなって…」
嫌だと頭を振る辰巳の首筋に、フレデリックが歯を立てる。胸から滑り降りた長い指が、服地を押し上げる辰巳の屹立を撫で上げた。
「っぃ…あっ、…はッ、なん…で、だよ…んあッ、あっ」
「お仕置きだって…言っただろう? クリスなんかに躰を許した罰だよ、辰巳」
そう言ってフレデリックは辰巳の頬を両手で挟んで口付けた。再び口腔を嬲られる。
舌先に歯列を辿られ、口腔の粘膜を舐られて、辰巳の口から甘い吐息が漏れる。じわりとした痛みが快感に変わって躰を這い上がる感覚に、辰巳は堪らずフレデリックの舌を吸い上げた。舌先を絡めて吐息を貪る。
「ぁ…ふっ、っぅ…んっ」
「良い声だ…。もう、怖くないね?」
「っ…ああ、気持ち…良い…ッ、フレッド…」
「いいね。もっと…気持ちよくしてあげるよ」
フレデリックは自身の服を脱ぎ捨てると、辰巳の下肢を剥き出しにして抱え上げた。ソファに座って腰を支えてやりながら辰巳に自重で剛直を飲み込ませると、反り返った胸へと舌を這わせる。小さく尖った胸の飾りを口に含めば辰巳の口から嬌声が零れた。
奥まで熱棒を飲み込まされた辰巳が快感を堪えるように俯くその唇に口付けて、腰を揺すり上げる。フレデリックが動く度に辰巳の唇からは濡れた吐息と共に声が漏れ出た。
「はっ…あ、いいッ…んっ、ッぁ」
「僕も…気持ち良いよ、辰巳…」
「フレッド…ッあ、もっ…と…」
辰巳に強請られるままフレデリックが腰を突き上げる。
「っふ…ッ、ああっ、あッ、ぃッ、――…ッッ! ふっ……くッ」
「ッ……きつ…い、ね。…でも、まだだよ…辰巳」
白濁が腹を濡らすさなかから容赦なく抽送を繰り返すフレデリックに、辰巳が悲鳴にも似た嬌声をあげて仰け反った。自らの腕の重みに肩の関節が軋みを上げて、痛みと快感が綯い交ぜになる。
苦痛と交じり合った痺れるような快感に全身を支配されて、辰巳は艶やかな悲鳴を上げた。
「あっ、あぁ…あ、あぁああッ、待っ…ふっ、あぁあッ」
「痛いかい?」
「いっ…あっ、気持ち良ッ、あぁあ…っあ」
仰け反る辰巳の背を支えながら、フレデリックは苦痛にも似た表情を浮かべて熱を吐き出した。躰の奥深くに熱い飛沫を叩きつける。辰巳の躰が震えるのをその腕に感じて、フレデリックが満足そうに嗤う。
辰巳の腕を拘束するベルトをフレデリックは片手で器用に外してしまうと、今度はその腕で躰を掻き抱く。相手が女なら簡単に骨など折れてしまいそうな程に、強く強く抱き締めた。
「辰巳…お願いだから…嫉妬させないでくれ…」
「ベルトなんかより…お前の腕のが痛ぇんだよ…この馬鹿。腕放せ、抱いてやれねぇだろうが」
フレデリックの腕から力が抜けて、辰巳は少しだけ痺れの残る腕をようやく自力で動かした。強くて、優しくて、少しだけ不器用な嫁を抱き締めるために。
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