2 / 9

第2話

 広告会社でフレックス制だと言うと、大抵は昼近い時間に出社していると思われそうだが、俺たちの出社時刻は割と早めだ。  なぜならデキる営業マンの陽之……伊神(いかみ)陽之は朝型であり、朝からバリバリ仕事をこなす。そんな陽之と一緒の時間を作ろうと思うと自動的に俺も朝型になり、デザイナーという職種としてはなかなか珍しく健康的な生活をしている。  とはいえもちろん周りには俺たちが付き合っていることは秘密だから、一緒のプロジェクトでチームを組んでいる時以外はそこまで話さない。どちらかと言うと早送りのようなスピードで働く陽之をディスプレイ越しに眺めつつ企画やメールのチェックをするのが俺の日課だ。そうしていると脳の思考スピードが合わせて速まるからか、意外といい案が浮かんでくるからいい相乗効果なんだと思う。  なにより綺麗なものを見るのはデザイナーとして大事な仕事とも言える。だから断じて「俺の恋人が今日も輝いている」としみじみ浸っているわけではない。  ……ちなみに陽之が呼ぶ「やいちゃん」というのは、俺、天宮(あまみや)弥一(やいち)の「弥一」から取った愛称で、他の誰にも呼ばれたことがない呼び名がいいと本人が言い出したものだ。当然会社ではただの同僚として「天宮さん」「伊神」と呼び合っている。 「あ、その資料はできてる。ていうか送ってある。確認して」   若干の寝不足を抱えた頭に心地よく響くのは仕事モードの陽之の声。プライベートでの甘えたな「陽之」の声もいいけれど、営業スイッチの入っている「伊神」の声も張りがあっていい。離れたデスクの俺の耳も潤わせてくれるとは本当にデキるサラリーマンだ。  そんな陽之は俺と同じ時間を過ごしたと思えないほど朝から爽やかに打ち合わせをこなし、電話の合間に資料を作り、手の足りない誰かのサポートをし、取引先に謝罪に行く後輩には持たせるお土産のアドバイスをし、ミーティングの用意をし午後からの外出に備えてそれぞれまた打ち合わせと、軽やかに仕事を処理していく。  別に俺だって暇をしているわけじゃないし、打ち合わせだってちゃんと参加しているけれど、陽之はレベルが違う。  実際、スーツのよく似合うイケメンで笑顔が輝いていて仕事ができる男なんてモテて当然なんだろうけど、陽之レベルになると彼氏にするには荷が重いらしく、女子社員からは憧れ程度で済まされているのがなんとも言えない。俺からしたらライバルが減るからその扱いは大歓迎ではあるけれど。 「相変わらず攻めたデザインしてるわね」  サボっているわけじゃない証拠に、打ち合わせ用のいくつかのデザインを並べて表示させていたディスプレイを覗き込み、そんな感想を漏らしてくれたのは同じデザイン班の江ノ本(えのもと)さん。江ノ本アートディレクター。  女子ではなく女史という言葉が似合いそうな女性だといえばどういう人かなんとなく理解してもらえるかもしれない。学校でも一年先輩で、この会社に入ったのも一年先輩の、とにかく俺が頭の上がらない先輩だ。 「俺としてはだいぶ大人な創りのつもりなんですけどね」 「……伊神くんだったらこれでも通しちゃうかもしれないけど、よくもまあこの企業の名前をこのデザインに載せられるわね。私だったら恐くてできないわ」 「ま、そっちは捨て案で本命こっちですけど」 「……さらっと無難にいいもの作れるのが最高に嫌な男ね、アンタ。さっさと独立すればいいのに」  心底嫌そうな態度が先輩にとっての誉め言葉だと知っている俺は、それはどうもと軽く受け取っておいた。  そもそも独立なんてできる性格じゃない。それをわかっているからこそ、先輩は愚痴として使うのだ。決められたルールと制約の中で縛られて案をひねり出す方が俺の性に合っているし、なにより営業で飛び回っているとはいえ会社にいるうちは仕事中の陽之を見ていられるのだから、こんなに恵まれた職場はない。  これ見よがしのため息をつかれながら、その先輩から名前の出た陽之を視線で探して、ふと気づいた。 「伊神と一緒にいるの誰すか」  会議室の中に陽之がいるのはすぐにわかった。会議室とはいってもガラス張りのオープンな部屋だからよく見える。打ち合わせに使われる場所だからそこに陽之がいるのもわかる。でも隣で明るい笑顔を浮かべて陽之に話しかけている男は知らない。 「あー宇田川(うだがわ)くん?」 「宇田川?」 「あれ、天宮まだ会ったことなかったっけ? 転職組のマーケティング部デキる男宇田川くん」  どうやら江ノ本先輩はしっかりと情報を持っていたらしく、首を傾げる俺に教えを説いてくれる。 「総務の『宇田川ちゃん』のお兄さんだって」 「あーあの小動物みたいな子」  何度か見かけたことがある。ゆるふわ系の、綺麗よりかは可愛い感じの子。その兄貴があれなのか。 「妹さんが高校生だった頃、忙しい両親に代わって毎日お弁当を作ってあげていたというエピソード付きで女子人気高し」 「……相変わらずギャルゲーの主人公の友達みたいな情報量っすね、先輩」 「独身男(可能性も含む)の情報なら任せなさい」  細いフレームのメガネをわざわざキラリと光らせるように明かりを受けて、得意げに胸を反らせる先輩。普通にしていれば普通にモテるだろうに、そんなことを趣味としてわざわざ公言するものだから男にも女にも色んな意味で一目置かれている。相変わらず変な先輩だ。  まあ、この場合それを頼りに聞いたんだけど。 「じゃあ先輩的にもイケてる相手っすか?」 「……結婚相手は、天涯孤独な男がいいって決めてるから……」 「なんでそこ推し?」 「天涯孤独なら親戚付き合いがないでしょ……?」  なにか思うことがあるのか、とても切実で真摯な瞳で見つめられて深く掘り下げるのをやめる。自ら地雷原に踏み込む気は毛頭ない。 「ちなみに俺の評判は?」 「髪をさっぱり切って猫背を直してくれれば彼氏にしてもいいけど結婚はちょっと、ぐらいの男」 「……微妙にひどくないっすか」  なにが気に障ったのか、地味に俺のテンションを下げる評価を素直に教えてくれた先輩は、それで満足したのかさっさと自分の仕事に戻っていった。どうも息抜きに使われたらしい。

ともだちにシェアしよう!