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第3話

 ともあれ、宇田川だ。  別に陽之と一緒にいる男を逐一チェックしているわけではないし、そこまで嫉妬深くないつもりだ。それこそ仕事上大勢の人間に会うし、初対面の相手とだってにこやかに会話を盛り上がらせる奴だからいちいち気にしていられない。  俺の知らないプロジェクトなんて山ほどあるのだから、そっちでチームを組んでいて普通に仕事の話をしているのかもしれないけれど、なんとなく相手――宇田川がちらちらとこちらを見ていたのが気になる。  それにただの気持ちの問題とはいえ、会議室の中で二人きりで、なんとなく距離感が気に入らない。近すぎる。  実際の時間はそれほどでもないかもしれないが、体感時間では十分二人の話す時間が長く感じたから、近くにあった適当な書類を手にそのまま会議室へ乗り込んだ。  ちょうどこちらを向いていた陽之が俺に気づき、一瞬焦った顔をした。それを確認したと同時にドアを開ける。 「だから天宮さんにはオフレコで……」  その瞬間、奴の声が聞こえ、そして途切れる。  ドアが開いたからか人の気配を感じたからか、振り返った宇田川は、俺を見て一瞬だけ驚いた顔をしてからすぐに笑顔を浮かべた。陽之の綺麗な笑顔とはまたタイプが違うけれど、それでも見事な営業スマイルだ。 「おや、どうも天宮さん。あ、伊神さんですか?」 「そう。話し中悪いけど、伊神借りれる?」 「あ、はいはい。それじゃあ俺はこれで」  ハキハキとした活舌のいい喋り口調はその笑顔と相まってどこか胡散臭く、取り繕った感じがあった。  そんな俺の空気を感じ取っているのかいないのか、宇田川はあくまでにこやかに、そしてそそくさと会議室を出て行った。後ろめたい空気はあまりなさそうだけど、どうにもその退室の素早さが怪しい。  なにより。 「な、なにかありましたか、天宮さん」  後ろ手でドアを閉める俺に対する陽之の様子で異変を察する。 「ずいぶんと仲が良さそうだったな」  低めた俺の声に、ぎくり、と頭の上に文字が出たようにわかりやすく陽之が反応する。それが珍しい。髪を撫でつけスーツを着こなし普通のサラリーマンをやっている時は、どんな話だってにこやかにかわすのに、なにをこんなに動揺しているんだ。  宇田川と話しているのを見られただけで? 「別に仲いいとかじゃなく、普通に仕事してただけだけど」 「なんの?」 「いや、普通に新規のクライアントの話……」  ソウデスカ、と平らな調子で返せば陽之はあからさまに焦った顔をしてみせる。  そもそも仕事人間のこいつがなんの概要も把握していない時点で嘘だとわかる。  今だっていくつものプロジェクトを同時進行しているけれど、常に進捗を把握している男がなんだこのふんわりとしたとぼけ方は。  なんとなくでしかなかった嫌な予感を本人が決定づけてくれて、イライラの度合いが一気に上がる。そりゃあ自分の欲求に素直な奴ではある。それは十分知っている。だからって他の男にちょっかいかけられてるのを平気で見ていられるほどに懐が広くもない。 「……今日忙しいから家来んなよ」 「え、なんで?!」  別に本当に浮気を疑っているわけじゃない。こいつにだって隠し事の一つや二つあるだろうし、俺に話せない話だってあるだろう。それを全部やましいものだと結びつけるほど短絡的ではないつもりだ。ただ少しでも疑わしい気配がするのが嫌なんだ。そんなことを疑いながら一緒にいてこれ以上八つ当たりしたくないし。 「他の男の匂いがするから今日は抱いてやんねぇ」 「えええ……?」  だから今日は一旦距離を置こうと、その理由を潜めた声で端的に告げてドアを開けると、後ろから泣きそうな声が聞こえていた。周りの目を気にしてボリュームを抑えているのが余計哀れさを誘う。  振り返りはせずにそのまま自分のデスクに戻るついでに必要のない書類を投げて、江ノ本さんに声をかけて昼飯に出た。  その後、急に不機嫌になった俺に対してなにも心当たりがないのか、はたまたありすぎてわからないのか、とにかく鬼電と焦るスタンプと土下座スタンプがひたすら連打され。それを無視して仕事終わりまで放っておいて家に帰ったけれど、俺のスマホに届きまくりの通知でパニクった様子が手に取るようにわかったから仕方なく電話に出てやった。  すると「なんかわかんないけど、怒らせたなら謝るから嫌わないで! やいちゃんのご飯食べたいし抱いてほしい!」と涙ながらに懇願された。そこで俺も八つ当たりだったことを認め、家に来ていいと言った途端に家に飛び込んできた陽之と仲直りのセックスで燃えて、その件はおしまい。  そもそも陽之が浮気なんて器用な真似をできるはずがないんだ。  仕事以外の時間はほとんど毎日のように入り浸っている俺の家で一緒にいるし、飯もセックスも睡眠も全部俺で満たしている。  そして仕事の時に誰かと一緒にいるのは当然仕事のため。  というか、基本社内にいる時は大概誰かが傍にいる。歩いていても呼び止められるし、なにかの確認やら相談やらでしょっちゅう誰かと一緒にいる。  パソコンに向かい合っている時に誰かが傍に来ると不機嫌になる俺と違って、全部ににこやかに応じる俺の恋人は人気者なのだ。抱えている仕事の量が多い分、関わる人数も増え、その誰もが必要としているから、そういう意味でモテるのは仕方がない。  ……そうやって一度は納得したんだけど。

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