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第8話
「支障が、ある!」
次の日の昼近く、勢いよく飛び起きた陽之がいきなり叫んで、それから襲い掛かった頭痛に頭を抱えた。あれだけ酔うほどに飲んだんだ。二日酔いにもなるだろう。
「ううう……っ」
「ちょっと待ってろ、今水持ってくるから」
頭を抑えて呻いている陽之が今の今までぴくりとも動かず眠っていたことに対する原因に少しばかり心当たりがあったから、すぐに水を運んだ。そういえば前に買った、二日酔いに効くサプリメントがあった気がする。いや、ここはセオリー通りみそ汁がいいか。
そんなことを考えながら呻きながら水を飲む陽之を眺めていたら、コップを空にしてから「やばい」と呟かれた。
「まずいよやいちゃん。めちゃくちゃまずい」
「なんだよ、浮気がバレたから?」
「全然違うから!」
自らの頭に響くくせに、否定するためについつい大声を出してしまう陽之が愛らしい。本当に仕事以外はポンコツだなこいつ。
「でも宇田川と二人で会ってただろ。その前にもこそこそ喋ってたし」
「俺が宇田川さんと会ってたのは、やいちゃんガードのためなんだよ」
浮気じゃなくてもちょっかいをかけられていたのは確かだろうと引かない俺に、陽之は眉を八の字にして盛大に参った顔をした。
「あ? なにガードって。あいつの狙いが俺だったってこと?」
とりあえずベッドの脇に座り聞く態勢を作ると、今度は犬が尻尾を振るみたいに首を振られた。だからそういうことをしたら頭に響くというのに。
「そうじゃなくて。宇田川さんの妹さん。知ってるでしょ?」
「あーなんか話は聞いた」
確かに宇田川の話を聞いた時に付け足しのエピソードとして聞いた。毎日弁当を作っていたとか。その妹が総務だかにいるらしいことは知っているけれど、どうしてこいつと宇田川の話に俺とその妹が出てくるんだ。
「その妹さんが、どうもやいちゃんのことが好きらしいんだって」
「俺を?」
「それを知った宇田川さんが、お兄さんとしてその恋路に手を貸そうとしたけど、やいちゃん本人には絶対余計なことを言わないで、近づかないでって妹さんに強く念押しされたから、じゃあせめて周りから情報収集しようって」
「で、お前? なんで?」
「正確には江ノ本さん経由だけど。やいちゃんのことなら俺に聞けって言われたんだって。よく話してるからなんか知ってるかもって」
社内の独身男のことなら江ノ本さんに聞けばいいというのは割と知られている話で、転職組とはいえマーケティングを仕事とする上で情報集めは得意なんだろう宇田川の耳にもそれは届いていたらしい。その人に聞いてみると、詳しく聞くならと陽之に回されたらしい。
俺と陽之は基本的に関係をオープンにしているわけではないから、普段は仕事上の付き合い程度で留めている。とはいえまったく話さないわけでもないし、仕事でチームを組むこともあるから知っているといえば知っているんだろうけど。俺のことなら陽之に、と言えるような関係性は見せていないはずだ。
それなのに俺の話は陽之に回し、俺が聞いた宇田川の情報にはさり気なく、けれどしっかり必要な妹の話も混ざっていた。
つまり、だ。
思った以上にあの人は色んなことに聡いのかもしれない。それにしたって一体どこまでなにを知ってるんだ……。
そんな俺の内面の苦悩は露知らず、陽之は頭痛か現状かに顔をしかめながら経緯を語る。
「さすがに俺とやいちゃんが付き合ってることは言えないし、だからってくっついてもらっちゃ困るでしょ? 遠回しに妹さんにはお勧めできないですって断ろうと思ったんだけど、嘘でもやいちゃんのこと嫌な風に言えなくて、曖昧に誤魔化してたんだけど全然諦めてくれなくて。だから飲みに行ってきっぱり諦めてもらおうと思ったんだけど」
遠ざけるための簡単な方法はやはり悪口だろう。どれだけ嫌でダメな男かをデキる営業マンに滔々と語られたら、妹が大事な兄ならばすぐに諦めさせるはずだ。そういう色眼鏡をかければ、普段の俺は決して素行がいいようには映らないだろうし。
だけど大義名分のある嘘でも、そして俺のいないところでも陽之は俺の悪口を言うことができず、そのせいで宇田川を追い払うことができなかった。なんせ可愛い妹の恋の相手を調べているんだ。簡単には諦めてくれないだろう。そういえば有能な男だと聞いていた。
「飲みに行ったら行ったで、やいちゃんのいいとこ聞かれて、ついつい喋りすぎちゃって、酒で誤魔化してたら酔っちゃって、酔っ払った勢いでまた喋っちゃったら宇田川さんが喜んじゃって、焦ってまた酒飲んだら」
「潰れた、と。……お前って、仕事以外は本当にポンコツだなぁ」
「ニヤニヤすんなよー。失敗したと思ってるんだから」
はあと、珍しい大失敗をため息に込める陽之は、はっきり言ってとても可愛い。
俺を他の女に渡さないために奮闘する姿なんて、思い浮かべるだけでニヤニヤするに決まっている。
ここ最近の謎と誤解が一気に解け、その上でしょんぼりしている可愛い姿を見せられて、たまらなくなって両手で頬を包み込むようにしてキスをした。
音を立ててついばむようなキスに続き少しばかり深く唇を合わせたけれど、現状を鑑みてそこでやめた。さすがに食欲を満たしてやらないとまずいだろう。
「シャワーでも浴びるか?」
「ん、そうする……って、あれ」
とりあえず色々眼前でやらかしてしまった宇田川対策は後で練るとして、一度さっぱりしてこいと乱れまくった陽之の髪を掻き回す。疲労の溜まった体を洗い流しているその間に、軽い朝飯でも作っておこうとシャワーに追いやろうとして。
「なんかメッセージ来て……」
「どうした?」
ふと見つけたスマホに視線を落とした陽之がそのまま固まった。まさしくフリーズ。
一体なにが起きたんだと後ろに回って肩越しに画面を覗き込むと、どうやら宇田川かららしいメッセージがいくつか表示されていた。
陽之の体調を心配するメッセージの後、「なんとなく事情はわかりました」「妹にはうまく言って諦めてもらいます」「誰にも言わないので安心してください」の言葉と、「お幸せに!」と文字が踊り紙吹雪が舞うスタンプが縦に並んでいる。
確かにあの時は少々攻撃的になっていたせいで、必要以上に陽之との仲をアピールしてしまった。それは俺のミスだ。もう少し冷静になるべきだった。けれどあいつもそれなりに酔っていただろうし、実際よくありえることではないから、なにかしらの勘違いとして記憶から消してほしかったのだが……理想と現実はなかなかにして噛み合わない。
どうやら俺たちの仲はきちんと誤解なく伝わってしまったようだ。それどころじゃなく祝われてしまった。
「どうしようこれ……」
「さすがデキるマーケ部の男。欲しい情報は全部手に入れたな」
「どうしようこれ!」
あまり記憶がないせいか盛大にうろたえる陽之に、敵ながらあっぱれと感心する俺。いや、この場合俺も自ら塩を渡して料理を手伝った節はあるけれど。
なんにせよ向こうは任務達成している。そしてある意味こちらも。
ただそれで良しとは言えずに、やいちゃあああんと鳴き声を上げて戸惑ったままいつまでも踏み出せないでいる陽之をシャワーに送り出すため、俺は手を伸ばして勝手に画面を操作した。
「これでいいだろ」
返したのはありがとうのスタンプ一つ。
呆気に取られて「ふぇえ?」とかアニメキャラみたいな声を出している陽之の頭を撫で、もう一度さっぱりしてこいと告げた。
バレたものはしょうがない。そう割り切って、それぞれに怪しい人間を遠ざけられたことを喜ぼうじゃないか。……なんて、正直今は万々歳というにはほど遠い状況かもしれないけれど、その件は今度しっかりと宇田川を交えて話そう。プレゼンもミーティングもお互い慣れたことだ。
そういうわけで今はとりあえず、みそ汁を作ろう。
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