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第6話

今日の永井のスケジュールは、一条が執刀医の手術がはじまる。  永井は、出勤早々手早く手術着に着替え、一条のところへ向かった。 「おはようございます。昨日は、ご迷惑をおかけしました。」 永井は、頭を深く下げる。 「ああ。それよりも、今日は、間嶋先生が休みだから、代わりに鉤引き(こうびき)をやってもらう」 「鉤引きって、切った皮膚や脂肪や肉なんかをひいておく係ですよね?」 「そうだ。そういうわけだから、念入りによく消毒しとけ」 「はい」  鉤引きというのは、名前のとおり、術者が、手術をしやすいように鉤のようなもので、手術する部分や皮をずっと引っ掛けておくことを言う。一年目の研修医が、手術で任されることといえば、これと縫合したいとを結ぶ係くらいである。  一条の手術は、音楽を流すことなく、静かな中で行われる。  「鉤」 「はい。」 「そのまま、こっちをひいてろ」 一条の厳しい声が、手術室に響く。  メスで一条が手術する部分を切ると、永井は、他の助手の先生のじゃまにならないように一条の後ろから、腕を伸ばし鉤引きをする。 ずっと、術中は、この体勢なので、慣れない永井は、二時間も経つと、腕がしびれてきた。昨日のように具合は悪くはならないが、 何かによっかかりたい気持ちが、永井の中で芽生えてくる。少しだけならと思い、永井は目の前にある広い一条の背中に自分の額を つけてみた。幾分か楽になった気がする。 「おい!」 「すみません」 ふいに一条が振り向き、永井を睨んできたので、永井はあわてて額を上げた。 「違う。鉤はもういらない」 「あっすみません」 永井は頭を下げながら、鉤をどかした。  その後は、縫合をし手術は無事に終わった。  手術後は、シャワー室で体を洗う。 永井は今回はじめて手術に参加したので、シャワー室を使うのは、初めてだ。 眼鏡をはずし、衣類を脱ぎ、タオルを腰に巻くと、永井は一番隅の椅子に座るとシャワーで身体を流す。 術中、顔に血が飛んできたので、顔も念入りに洗う。 「永井、初めての鉤引きは、どうだった?」 隣から一条の声がしたので、タオルで顔を拭きながら、そっちを向いた。 「近くで一条先生のオペが見れて、勉強になりました」 「ほう。それだけか」 「はい。」 永井が頷いた視線の先に、一糸纏わぬ一条自身が、飛び込んできた。他の先生は、永井も含め皆、腰にタオルを巻いているというのに 一条だけは、堂々とその立派なモノを晒しているのだ。  白衣の上からでは分かりにくかったが、一条の身体は、浅黒く意外にも筋肉質で、立派なソレに相応しい男らしい体つきである。 永井は、羨望の眼差しを向けてしまっていた。 「ん?俺に何かついてるか?」 「いえ。」 永井が、気まずさから一条から視線をはずし再びシャワーを浴びる。 「永井は、白いな。外科医は体力がないとやってけないぞ」 一条が、永井の横顔を見つめながら言う。一条の言葉に永井は苛立ちを覚えた。 「昨日のは、たまたまです。肌が白いからって、体力がないって決め付けるのはよしてください!」 永井が、シャワーを止め、一条を睨みつける。一条は、それに動じることなく、永井の視線を受け止める。 そして、一条が、腕を伸ばし、永井の肩を掴んだ。 「なにするんですか?」 「たしかに、思ってたよりはしっかりしてるな。だが、外科医をやっていけるだけのものがあるかどうかとは別だ。」 「分かりました。今後の俺を見ててください。」 永井が、一条の手を振り払い立ち上がった。 「楽しみにしてるよ。一年持てばいいが…」 一条が口元をゆがめ、永井を見上げた。 「お先に失礼します」 永井は、挑戦的な目を一条に向けると、シャワー室を出て行った。  その後は、再び手術だったので、合間に永井は一条に言われる前に明日の一条が受け持つ患者の検査室の予約を済ませた。  午後からの手術は、中本が執刀医で一条が助手を務めていたので、永井と佐木は、手術の見学だった。  「お疲れ様です。明日の検査室の予約は、田中さんと木村さんがMRIで三時からと五時からで、佐藤さんが、CTでよろしいんですよね?」 「ああ。」 白衣に着替え、医局に戻ろうとしている一条を捕まえ、永井が横に並びながら歩く。一条は、わざと歩く速度を速めてみる。 「それでは、お疲れ様でした。明日もよろしくお願いします」 淡々と永井は言い、最後に 「大人気ないですよ」 と、冷たく言い放ち、研修医室へと戻っていった。  「どうしたん?永井顔が怖いぞ」 永井が戻ると、すでに着替えている佐木がいた。 「別に特に何もないよ」 ロッカーを開けながら、佐木の問いにそっけなく答える。 「中本先生から聞いたけど、一条先生とシャワー室で険悪だったって。それか?もしかして?」 「知ってるんなら、聞くなよ。」 ケーシーを脱ぎ、着てきたTシャツに袖を通す。 「でも、珍しいな。永井が誰かと対立するのって。なんか言われたん?俺でよかったら、話してみって。そうだ。たまには二人で呑みに いこう!大学時代は、あんま二人だけで話すことなかったし」 「遠慮しとく。」 言いながら、カーディガンを羽織り、ロッカーを閉めた。 「相変わらず、連れないヤツだなぁ。お前知ってた?大学ん時、何回か『永井を酔わせて本性を暴こうの会』なんてのが、決行されてたの」 「さぁ」 小首をかしげ、永井はバッグを肩にかける。 「だよなぁ。永井のこと潰す前に俺らが先につぶれちゃってるからさ。結局、意味なかったんだよな。」 「ふうん。じゃ、お疲れ様」 永井が、佐木に軽くお辞儀をして、研修医室を出ようとしたが、佐木が永井の腕を掴んで引き止めた。 「待っててやったんだからさ。置いてくなよなぁ。」 口唇を尖らせ、佐木が言う。永井は、佐木の手を払うと、やれやれといった顔で佐木を見た。 「はいはい。分かったよ。どうせ佐木は、車だろ?俺は電車だから、下までな」 「おうっ♪」 再び、佐木が永井の腕を掴もうとしたので、永井は、それをよけ歩き出した。  「お疲れ様でした」と、会う医者会う医者に挨拶をしながら、二人は、エレベーターに乗った。  「さっきの続きなんだけどさ。小林んちに俺とお前と村上で泊まったことあったじゃん?」 「ああ。あったかな」 「小林と村上が、小林の部屋で寝て、俺とお前がリビング使ってさ。実はさ。俺、あん時…いや、お前の寝顔にそういう気起こしたのは、 俺だけじゃなかったけど…」 「そういう気?」 永井が、怪訝な顔で佐木の顔を見つめると、佐木は、愛想笑いを浮かべ、あせったように言葉をまくし立てた。 「いや、なんでもない。おかしいよな。おかしかったんだよあの夜の俺たちは。まぁ、あれだな。永井は、起きてる時はムカツク時もあるけど、 寝顔は、かわいいってことだよ。」 「ああ、そう。かわいいって言われても嬉かないけど」 永井は、なにがなんだか分からないって言うような顔をしながら、受け答えをする。佐木が、愛想笑いを浮かべると、エレベーターは、四階で止まり、 扉が開いた。  「あ、永井くん、お疲れ様。今、帰るとこなの?」  一瞬、水色の男の看護師が着るケーシーを着ていたので、分からなかったが、小木だった。 「はい。お疲れ様です。小木さんは、まだまだこれからですね」 「そうなんだよ。そちらは?」 小木が、極上の笑みを浮かべ、永井の肩に片手を置く。そして、小木と永井に近寄りがたいものを感じながら、 二人を眺めていた佐木に視線を移した。 「え?俺のことですか?」 佐木はふいなことに驚き、声が上ずってしまった。 「そう」 「すみません。研修医仲間の佐木です。」 あわてて永井が、佐木を紹介する。 「はじめまして」 「初めまして。小児科の看護師の小木です。君も附属大学出身なの?」 小木が、永井に向ける笑顔とは、また質の違う笑顔を佐木に向ける。 「はい。永井…くんとは、実習で一緒になることが多かったんです」 「実習…。もしかして、金髪だったことある?」 「はい。怒られたんで、すぐに戻しましたけど…?」 「ああ。やっぱり。永井くんを前に見かけた時にいたなと思ってさ。印象的だったからね。」 小木が、佐木ににっこりと笑う。その笑みに永井と親しくしすぎるなとでもいいたげな威圧感を佐木は、小木から感じた。 永井は、小木の様子には、気付かず、パネルに目を向けていた。そして、二階につき、扉が開いた。  「小木さん、俺たちは降りるんで、失礼します」 「お疲れ。気をつけて帰ってね。」 いつものように口元軽く手を振りながら、小木は永井に笑みを向けた。永井と佐木は、小木に会釈をすると、エレベーターをでた。 エレベーターが動き出したのを確認し、佐木が永井の腕を掴む。 「なに?」 「あの看護師と永井ってどういう関係なん?」 神妙な顔つきで佐木が永井に聞く。 「ただの知り合いだよ。」 「ただの知り合いにしちゃ、俺を見る目がすっげぇこわかったんすけど…?」 「それは、お前が挨拶しなかったからだろ?あのひと、結構そういうのに厳しそうだしな」 「そうじゃないだろ?…とにかく、あの看護師に近づきすぎないほうがいいぞ。」 「佐木に忠告される理由が分からないね」 不機嫌に永井が言い、佐木の手を自分から剥がした。 「たく、人の気も知らないで。じゃあな。」 佐木は、投げる様に言うと、永井から離れ、駐車場の方へと歩いていってしまった。  小木が怖い?佐木の言葉に永井は、まったく思いつかないわけではなかった。  自分に向ける視線とかふいに色が変わる声とかあの綺麗な笑顔には、何が隠されているんだろう?  たしかに過去にも感じたことは、あるのだけど、永井には、それがなんなのか思い出せなかった。

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