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第9話

当初、十時間の予定だった手術は、予定外の出血により、予定していたよりも三時間も長引いてしまった。緊迫感と集中力を維持していないといけないため、無事手術が終わった後は、執刀医と助手三人だけでなく、見学をしていた研修医も倒れそうになったり、腑抜け状態になるものもいた。  こういった長時間手術は、稀ではないのが、外科である。  一条の執刀医の元、永井は、第三助手として、鉤引きをやっていたので、何度か長時間手術を経験したといえども、終わった後は、腕が痺れてしまっていた。  だから、手術後のシャワーの時間は、格別に幸せである。  永井は、いつものように隅に座り、腕をほぐしながら、シャワーのお湯を当てていく。  白い肌をほんのり紅く染め、自分の世界に浸る。  「肩でも揉んでやろうか?」 一条が、いつものようにタオルも巻かず、堂々とした姿で永井の隣に座った。  他の先生からも聞いたが、一条は、昔からタオルを巻かずに堂々とシャワー室に入るらしい。何度か一緒に入っていたので、永井も一条の立派なモノには、慣れてしまった。  「何言ってるんですか?。俺よりも一条先生のほうが、体力も気力も使ってるんじゃありませんか?」 永井は、一条を見ることなく、自分の身体をほぐしている。 「珍しいな。永井が俺を労ってくれるなんて。ついでに腰を揉んでもらえるとありがたいんだがな。この仕事をやっていると、どうも腰痛に悩まされる」 腰を擦りながら、一条は永井を見るが、永井は一条に目もくれない。 「それ、年のせいもあるんじゃないですか」 永井は、シャワーを止め、いつも以上に棘のある言い方と眼差しを一条に向けると、立ち上がり、シャワー室を出て行った。  一条は、永井の背中を見送りながら、ニヤリと口元を歪めた。 「荒れてんな」 ボソリ。呟いた。  カタカタカタ。パソコンのキーボードを叩く音が、研修医室に響く。  永井が、手書きのカルテと見比べながら、ノートパソコンに同じように打ち込んでいく。今日は、朝に自分が受け持っている三人の患者の回診をしたあと、 一条の明日の検査室の予約をし、すぐに手術だったので、カルテを打ち込む時間がなかったのである。  食事は、家を出る前に昨日の残りのカレーを食べたきりだ。  時折、カップに入ったブラックコーヒーを永井は、口に含む。 斜め後ろの位置から、ソファに寝転がり、じっと佐木は、その背中を見つめている。その視線は、ケーシーを身に纏った真っ直ぐな背中から肩のライン、そして、白いうなじへとゆっくり注がれていく。 ゴクリ。佐木は、生唾を飲み込み、起きあがるとごまかすように煙草に火をつけた。 それでも、永井を見る目も疼きはじめた下半身も抑えることはできない。  男に欲情するなんて、こんなのは、狂ってると佐木は、自分に言い聞かす。 永井とは、一緒にロッカーで着替えることもあるのにどうして今ケーシーを着たままの彼の後ろ姿にこんな感情を抱いたのかが、佐木自身も今戸惑っているのだ。  理性ではそうは思っても、下半身の疼きはやむことがない。  思わず、煙草の火を消し股間を両手で抑えてしまう。  佐木は、前にも一度永井に欲情してしまったがあった。  二年前、実習で一緒になった時に呑んだ際、メンバーの小林宅に佐木と永井と村上で、泊まった時だ。 リビングに永井はソファで、その下に佐木は布団をひいて寝た。一番最後に寝たのは永井だったが、途中目覚めた佐木は、永井の白い肌、少し開いた薄い口唇、寝乱れたシャツの襟元から覗く綺麗な鎖骨を食い入るように見つめてしまった。 そのうち我慢しきれなくなった佐木は、トイレに駆け込み、自慰をした。  トイレから出ると、他の二人も起きており、永井の寝姿を欲望の眼差しで見ていた。 あと、三分永井が起きるのが遅ければ、永井は、三人に廻されていただろう。 酒が入っていたとは言え、今まで女にしか興味のなかった三人が、あんな感情を抱いたことは、当人たちも信じられないことだった。 それっきり、三人は、永井を自分の部屋に泊めようとはしなかった。  「あ、悪い。寝てたのに起こして」 ふいに永井が、佐木の方を振り向いた。 「え?ああ。気にすんなよ。どうせ着替えなきゃいけなかったんだし」 佐木は、孤立したものを隠すようにタオルケットを膝にかけた。 「それならいいんだけど…。今日って、佐木は当直だっけ?」 「いや。術後管理があるから、泊まってるんだ」 「 そうか。俺は、これ片付けたら、帰るよ」 「……。」 永井が、ノートパソコンの電源を消し、カルテをファイルに挟む。佐木は、永井に何かいいたげな顔をしながら、タオルケットを握りしめ、彼の行動を見ている。 「どうしたんだ?黙ったままでさ。いつもの饒舌な佐木とは、人が変わったみたいだな。」 佐木は、ゴクリと再び生唾を飲み込み、永井を見据えた。  「なぁ?永井…」 『一度でいいから、ヤラせてくれ』と、言いかけたとき、研修医室のドアをノックする音が聞こえた。  

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