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第21話

 カツカツカツ。ふたりの足音だけが、明け方のマンションの廊下に響く。  永井は、神妙な面持ちのまま一条を自分の部屋へと案内する。一条は、そんな永井の横顔を眺めながら、彼の歩調を合わせて、隣を歩く。  終始、会話のないままふたりは、永井の部屋へと着いた。 「想像通りのシンプルで綺麗な部屋だな。」 沈黙を破ったのは、一条だった。 一条は、永井が用意したスリッパに履き替えると辺りを見渡した。 「あまり見ないで下さいよ。ただ単に部屋を汚してないだけで、綺麗なんかじゃないですよ。そこにソファが、ありますから座って下さい。俺は飲み物でも持ってきます。」 永井が、一条の腕を掴んで、ソファへと促す。 そして、冷蔵庫に向かおうと一条に背を向けようとした時だった。  「飲み物は、いい。」 「!?」 その瞬間、一条は永井の身体を後ろから強く抱きしめた。 途端に永井の身体は、背後からの体温に恐怖心で身体が震え、強張っていく。 自分の身体を覆う大きな身体も鼻先を掠める汗に混じった煙草の香りも胸に回された腕の感触もあの時の男でないのは確かだと確信できるのに永井の身体は拒否反応を隠すことが、できない。 徐々に顔色も青くなっていく。 「……は……な………。」 「永井?」 触れる肌の温度変化に一条も困惑の色を隠せない。 「……お願いです……僕から離れて……ください……。」 蚊の鳴くような声でそう告げると、一条は永井から腕を離した。すると、永井は脱力したようにそのままその場にへたりこんだ。 「永井!?」 一条が、慌てて座り込み永井の肩に手をかけようとするが、 「僕の後ろに来ないで下さい!!」 永井が、ぴしゃりと言い放つ。 一条は、その声に一旦動きを止めたが、すぐに永井の顔色を伺うように真正面に腰を下ろした。 「……。」 「……すみません……本当にすみません。俺、背中を触られるのが本当にダメで、先生だって分かっていても怖くて身体がどうしようもなくなるのです。」 「そうか。それは気づかなくてすまなかったな。昨日、お前の様子がおかしくなったのもそれが原因なのか?俺が背中に触れたから」 「……はい。でも、矛盾してるかもしれませんが、先生が、こうやって、俺に触れられる事自体は嫌なわけではないのです。むしろもっと先生に触れたいって、思っています。先生の匂いを感じていたいって……」 永井は、腕を伸ばして、一条の身体を抱きしめ、首の後ろに顔を埋めた。 「永井……。」 一条は、甘くやさしい声音で呼び、抱き返すことなくただ永井に身を任せている。 誰よりも落ち着く体温や匂いに徐々に永井も平静を取り戻していく。 「俺の事面倒くさいって、思ってますよね?今だったら、引き返せますよ。」 「バカ。面倒くさいなんて思うわけないだろ?むしろ俺はお前が俺に自分の気持ちを話してくれて心底嬉しいよ」 「先生、ありがとうございます。」 「俺は、礼よりもキスがしたい。キスは大丈夫か?嫌なら言ってくれ」 「大丈夫だと思います。」 永井の脳裏で一瞬だけ、あの時男にされたキスが過ぎったが、一条から腕を顔をあげ、笑みを作った。そして、瞼を固く閉じた。 「そうか……」 吐息交じりの声が、永井の口唇を掠めるが、一条が口唇を落とした先は、瞼の上だった。  思わぬ温もりを瞼に感じ、永井は、驚きで目を見開く。 「どうした?鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔して。」 「まさか瞼だと思わなくて。」 「俺はキスとしか言ってないぞ。キスできる場所は口唇だけに限らないさ。そんなに口唇の方がよかったか?欲しいなら。俺の事を抱き締めたみたいにお前から奪いにこい。俺はいつだって歓迎するぜ。んー」 わざとらしく一条は、口唇を尖らせる。 「あはは。先生、おもしろい顔しないで下さいよ。」 永井は、一条の胸に手を置き、笑う。 「……安心した。そう言う顔も出来るんだな。」 「……。」 一条が、愛しげに見つめ、ポツリと呟いた。  ブルブル。一条のジーンズの後ろポケットに入れていた携帯が振動した。  「ちょっと。悪いな」  一条が、携帯を取り出し、立ち上がり、画面を確認した。  「これは……。」 その画面を見た途端、一条の表情が固まった。 「先生、何かあったのですか?」 「……。」 永井が、立ち上がると一条は、無言のまま携帯を画像を表示した状態で、永井に手渡した。 「!?」  永井も一条と同じく表情が固まる。  メールの内容は、件名に『永井先生の日常』と書かれており、本文はなく、画像が、2枚添付してあるだけだ。問題なのは、その画像である。ひとつは、ベンチで永井が、蓮見とキスをしている画像であり、もうひとつは、蓮見が、永井を抱きしめている画像である。  はっきりとは映っていないが、本人を知る者たちが見れば、永井と蓮見であることはすぐに分かってしまうだろう。  永井の脳裏に昨日昼休憩中に屋上外観庭園で、蓮見にキスされた事が過る。その時、近くに人気はなかったはずだと認識していたが、どうやら誰かに目撃されてしまっていたらしい。  あの場で蓮見に口唇を許した自分に永井は、後悔した。 「これ……俺と蓮見くんです。」 「それは、見れば分かる。知りたいのは、そっちじゃない。これは事実なのか?」 一条が、永井の両腕を強く掴み冷たい視線を向ける。 つい先程の優しい一条は、消えてしまったが、永井は、それを腕を締め付ける痛みごと受け止める事にした。 「事実です。これらの画像は、昨日の昼休憩中に屋上外観庭園で撮られたものだと思います。その時にキスもされましたし、抱きしめられました。ですが、信じてくれって言うのも無理な話だと思いますが、俺が好きなのはこの時も今も先生だけです。」 「……。」 一条の瞳をまっすぐと見据え告げる。 次第に一条の表情が、徐々に平静を取り戻していき、腕の力も弱まっていった。 「腕痛かっただろ?本当に俺はお前の事になると見境がなくなるらしい。」 自嘲し、永井の腕から手を離した。 「いえ。俺だって、自分の好きな人が他の人とこんなことしていたら、疑いたくもなりますし、怒りたくもなります。俺が、軽率な態度をとったのがいけなかったのです。」 「それは、お前が優しいからだろ。だが、こんな画像を撮る輩だっているくらいだし、クソガキといるときは、気をつけろよ。何よりも俺は、お前自身が心配だ。まさかとは思うが、お前がキスや背中を触られるのがダメになったのって、このクソガキのせいなのか?」 「それは、蓮見くんには関係ないです。また別の理由があって……。」 永井の脳裏に強姦された時の記憶が甦り、表情を曇らせる。 「……悪かった。俺は、傷を抉るような事ばかりしてるな。お前にそんな顔をさせたいわけじゃないのに。」 「謝らないで下さい。俺の方こそ……。」 すがるように永井は、一条のタンクトップの裾をぎゅっと掴む。 「お前は何も悪くない。その話は止めような。こんな画像も早く消しちまおうな。」 一条は、フッと笑い、永井から携帯を受け取り、画像ごとそのメールを消去した。

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