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第24話
まず最初の午前中のスケジュールは、一条の診察がある為永井もそれに付き添っている。最初に比べれば、だいぶ触診をする時の手つきも慣れてきたものだ。
今日は、Yシャツにネクタイ、スラックスという格好に白衣。眼鏡をかけているせいか普段よりも一人前の医者らしく見える。
三人目の診察が終わり、一条の側で、じっと診断の様子を見ていた永井に一条が、振り向いた。
「永井先生、このあとは、俺がちゃんと見ているから、ここに座って、ひとりでやってみろ」
「はい」
「返事だけは、いいな。それじゃ、交代だ」
一条が、立ち上がり、永井が座りやすいように回転椅子を引いた。永井は、軽く頭を下げてからそれに座ろうとするが、尻の奥にぴりっとした痛みが走り、思わず一瞬顔を歪めてしまった。
永井は、表情を元に戻すと、若い看護師のほうを向いた。
「次の患者さんを呼んでください」
「はい」
若い看護師が、にっこりわらうと、ベテラン看護師が、初診の前に患者がかいた用紙を永井に手渡した。
看護師に呼ばれて入ってきたのは、45歳の白髪交じりの小太りな男性だった。
「今日は、どうされましたか?」
にっこりわらい、用紙を見ながら、永井が聞く。
しかし、永井の前に座った患者は、永井よりも永井の後ろで立っている一条をちらちら見ている。
「どうも近頃、下腹部が、なんだか変な感じでして、それと、残尿管があるというか……あとはですね。これは、痔だと思うのですが、排便をするたびに
避けるように穴が痛くって、たまらんのですよ〜」
「残尿管と肛門裂傷ですか。それでは、直腸診をしたいと思いますので、ベッドに横になって、お尻を出してください」
「え?お尻ですか?」
「はい。お願いします」
永井が、事務的に淡々と患者に指示を出すと、患者が驚きの声を上げた。
直腸診というのは、医療用に指にフィットしたゴム手袋をはめて、麻酔薬の入った潤滑剤を中指に塗り、それを尻の穴に入れて、検査するものである。永井も男女問わず何度か経験し、だいぶ指示を出すのも検査するのも慣れ来たところだ。
「痛かったら、言ってくださいね」
「はい…」
患者は、ベッドに横向きになり、おずおずとスラックスを下着ごと太腿辺りまで、下ろした。その間に永井が、看護師からゴム手袋と潤滑剤を受け取り、準備をする。
「膝を胸に近づけて、抱えるようにして、軽く口を開けてください。そうそう、力は抜いてくださいね」
「はい……」
永井の指示に患者が従うと、永井は、中指を患者の尻の穴に入れ、中を確かめながら、進めていく。たしかに患者の言うように痔のようだ。それともうひとつ、永井には、奥へと指を進めるうちに前立腺が腫れているのを発見してしまった。
「残尿感以外尿の異変はありますか?」
「他にですか?……言いにくいのですが、おねしょを何度か……」
「おねしょですか。わかりました。」
患者から指をゆっくり、抜くと、永井は、ちらりと一条に助けを求めるように後ろを見やった。
「……。」
一条は、何もいわないが、コクリと永井が感じた異変を悟り、頷く。永井もそれを確認すると頷き返した。
「はい。もう穿いていいですよ」
患者がズボンを穿きはじめたのと同時に永井は、ゴム手袋をはずした。
そして、
「念のため、これから、尿検査とレントゲンをして頂きたいのですが、お時間はございますか?」
患者に告げた。
「なぜですか?」
患者は、ベッドの横に座ったまま永井ではなく、一条の顔を見上げた。
永井は、気にすることなく話を続ける。
若い研修医は、頼りなく思われがちなので、患者が一条の方を見てしまうのは、致し方ないことなのだ。
「触ってみたところ、痔の他に前立腺が若干腫れていたものでして、そこで、もうすこし調べていただきたいのです」
永井が、告げると、患者の顔色が変わった。
「……?」
「前立腺肥大症の可能性もありますね。とにかく、詳しく調べてみないことには、なんとも……」
「そうですか…」
「はい。検査結果は、後日お知らせいたしますので…。今日は、肛門の裂傷を和らげる塗り薬を出しておきますね。一番近くの薬局は、病院をでてすぐ右にございます。」
「はい…。ありがとうございました……」
「お大事に。」
患者は、ほとんど上の空といった感じで、診察室を出て行った。
永井は、患者がいなくなると、深呼吸を深くし、カルテをベテラン看護師に手渡した。
「今のって……いいんですよね?」
斜め後ろに立っている一条に首を傾け永井が聞く。
「今頃聞くな。自分の言葉に責任持て。」
永井の横に行き、肩を掴んで、一条が厳しい口調でいう。
「そうよ。永井先生。一条先生をもっと信用なさい。」
「はい。」
「次、呼ぶわね」
ベテラン看護師に言われ、頭を下げると、若い看護師が、次の患者を呼んだ。
「とりあえず、おつかれ様。」
午前の診察が終わり、看護師たちを休憩に行かせた後、一条が、患者用の丸椅子に座り、永井の肩をポンポン叩いた。
「……お疲れ様です」
永井は、軽く頭を下げた。
「永井先生に処方箋を出しておくから、昼休憩中にちゃんと取りに行くように。」
「え?処方箋って、俺、別にどこも悪くないですよ」
言いながら、一条が紙に薬品名を書き込んでいく。永井は、何が何だか分からないと言った顔で、一条の手元をじっと見つめる。
「塗り薬と飲み薬の二つな。飲み薬の方は、一日食後三回、三日分用意しておくから。」
「塗り薬?」
「昨日から時々痛そうにしてるなとは思っていたが、手首よりも厄介なケガがあったとはな。まったくお前って、やつは…。」
一条が、厳しい顔つきで言い、書いた紙を永井の前に広げた。
「……すみません。これって、飲み薬が、傷の化膿止めで、塗り薬は、肛門裂傷などに用いるやつですよね?」
二つとも何度か一条に習いながら、患者に処方したことが、あるものなので、どういう薬なのか薬品名だけで、すぐに分かった。
「ああ。そうだ。処方はするが、経過によってはどこかで診てもらわないとな。傷があるとなると厄介な事になる可能性もある。今は、痛み以外に熱とかは大丈夫か?何かあればすぐに車を出そう。」
「大丈夫です。何からなにまですみません」
一条から紙を受け取ると、永井は深く頭を下げた。
「痛いなら、痛いといえ。できるだけ気づいてやりたいが、気づいてやれないことだってある。俺は、お前の心も身体も守りたいんだ。そういう俺の気持ちは、受け入れてはもらえないのか?」
悲しげな瞳で、一条が永井を見つめた。
「そんなことないです。そういって、いただけるのは、本当に嬉しいです。でも、俺は、男です。先生に守って欲しいとは、思いません。」
きっぱりとそう告げ、立ち上がると、一礼をして、診察室を出て行った。
「まったく、生意気なやつめ。」
車に乗っていた時、永井が、自ら指を絡めてきたことを思いだし、一条が呟いた。
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