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第28話

 「お前、小木の家に泊まってたのか?」 一条の目には、怒りのようなものが込められており、 永井は、肩に痛みを感じつつも気迫に押され、動けずにいる。 「はい。そうですけど…?」 「こういう風に詮索するのは、好きではないのだが、お前と小木は、どういう関係なんだ?」 一条が、尋問するような口調で問う。 「どうって…。ただの知り合いです。知り合ったきっかけは、俺が、大学一年の時に定期券を拾ってもらったことが、あってそれ以来顔を合わせれば挨拶するくらいではあったのですが、しばらく会えなくなってしまって。それで最近通勤途中でたまたま偶然再会して、同じ病院ならって事で時々、一緒に通勤してたのです。飲みに行ったのはこの間が初めてですよ。」 「そうか。と、いうことは、親しくなったのは、最近というわけなんだな?」 「そうですね。…あの、先生、さっきから、肩痛いです。」 やっとのこと、永井は自分の痛みを伝えると、一条は表情を元に戻し、永井の肩を掴む手を緩めた。 「悪かった。痣とかできてないよな?」 「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。そこまで、痛くはなかったですから。」 「それなら、よかった。永井、お前にその気がないなら、小木には、近づかない方がいい。あいつはお前をターゲットにしている。」 「ターゲット?」 永井は、怪訝な顔で一条を見つめた。 「あいつは、ゲイなんだ。それも、サド的なやつなんだと思う。」 「なんで、先生は、それを知ってるんですか?だからって俺がターゲットって言うのは……。」 「似てるんだよ、お前が。俺が受け持っていた患者にな。 五年くらい前だったな。当直中に巡回をしていて、個室にいるその患者の様子を見ようとドアを開けようとしたときだった。中から、声がしたんだ。 『これが、欲しいんだろ?欲しけりゃ、なんとかしろよ。』 『はい。』 個室から、会話が聞こえてきたから俺は、なんだろうと思い、少しだけドアを開けて中の様子を伺うことにした。 『口だけで勃たせてみろよ。たく、なってねぇな。昨日みたいにしてほしいんだろ?欲しいなら、ちゃんとやれよ』 『……』 俺の目に上半身裸の患者が、背中で両手首を縛られたまま、跪き、頭を上下に振っている姿が目に入った。その向こうには小木が患者の頭を押さえつけながらベッドに座っていたんだ。あいつはいつもの穏やかそうな声とは違って低くドスの聞いた声だった。 何をしているのかは、すぐに分かったよ。患者にフェラさせてたんだ。あまりにも衝撃的な光景に俺は、目を見張った。  間もなくしてあいつは患者の顎を膝で蹴り上げたんだ。さすがにそれは、黙ってみているわけもいかなくて、俺は、ドアを開け、病室に入った。 『おい!何してるんだ!?』 『何って、金田くんにイイコトを教えてあげようとしているところですよ。ね!金田くん♪』 瞬時にしてあいつは、いつもの穏やかな柔らかい声に戻って、何食わぬ顔で、言った。 『はい。俺、どうせあと少ししか生きられないし、その前にヤリたかったんですよ。だから、看護士さんとのこと許してもらえませんか?』  口からわずかに血を流しながら、彼が言ったんだ。たしかに彼は、末期のすい臓がんで、三ヶ月もてばいいほうだった。 彼にそういわれては、俺も引き下がるしかなかった。  彼は、三ヶ月もしないうちにこの世を去った。たしかまだ二十歳だった。  その直後に小木は、三十代の男の患者との噂が一部で広まり、他の患者との噂もぽろぽろでてな。小児科へ移動となったわけだ。 小児科に移ってからは、場所が離れてるだけあって、その後のことは俺も知らんがな。ま、仕事はできるやつだったけどな。」  「……。」 一条から聞く小木の話は、永井にとって、小木は優しくて穏やかで柔らかな印象が強かっただけに衝撃的だった。 「その末期のすい臓がんの患者は、色白で、細くて綺麗な顔をした聡明な子だったな。だから、 分かりやすいくらいお前が、あいつの好みなだけに心配なんだよ。たしか噂になった他の患者もおとなしそうなツラの綺麗な男だったと聞いている。」 「もしかして、先生も金田くんて子のこと…?」 顔を上げ、永井がふと思いついた疑問を口にしてみた。 「おいおい。俺も小木と同じにするなよ。誤解されてるようだから、言っておくが、男で好きになったことがあるのは、お前だけだよ。だから、いまいち男の扱いは難しいと実感してるところだ。いや、お前が難しいだけか」 一条は、苦笑いを浮かべた。 「難しいとか言いながら、簡単に俺の心を傾けさせたのは、誰ですか?本当、いまだに信じられないんですよ。二週間前までは、あんなに苦手だったひとが、今こうして一緒にいるなんて」 「それを言うのは、こっちの台詞だ。あんなに邪険にされてたやつのうちにあがれるとは、その時の俺には、予測つかなかったよ。」 「嘘。強引に押し進むつもりだったくせに。俺は、うまいこと先生の手中に納収まってるような気がしてならないですよ」 「お前には、言われたくないな。」 「んっ…」 一条が、顔を近づけ、掠めるだけのキスをする。反射的に目を閉じて永井は、それを受け入れた。一条からふわっと漂った自分が、愛用しているボディシャンプーの匂いが、永井の気持ちを昂ぶらせる。 一条の顔が、自分から離れると、永井は、指を解き、腕を一条の背に廻し、Yシャツと肌の透き間に顔を埋めた。肩口からは、キスしたときよりも強くボディシャンプーの匂いが、漂っている。  「くすぐったいよ」 永井にただ抱きつかれてるままの一条が、楽しげに言う。 「ボディシャンプー使ったんですね?」 「ああ。勝手に使わせてもらったよ」 「先生が、この匂いを纏ってると、どうしてだか分からないけど、気分が昂揚してきますね」 「お前は、誘い上手だな。」 「……。」 一条が永井の肩を押しやり下方へと沈めた。永井の腹をまたぎ、先程と同じ体勢になる。灼けつくような熱い眼差しで、永井に見上げられ、自分で沈めたはずの気持ちが、甦ってくる気配がした。 「だがな。」 視線を絡めたまま言い、時間もかなり深くなっていることを察し、これ以上、永井を寝かせないわけには、いかなかったので、一条は、永井の両脇を抱え、上体を起こしてやった。そして、いつでも、永井が逃げれるようにその身体を優しく抱きしめた。背中に腕が回った瞬間、永井は身体を強張らせた。 「まずは、お前の身体を抱くよりも俺はお前の身体を抱きしめられるようになりたいんだ。」 「……」 シーツを掴み、耐えるように永井は、目を閉じる。一条が、低く上品な声で、優しく永井の耳元で言い、その耳の後ろの匂いを堪能する。しだいに永井の中で、背に回った腕への恐怖心が、薄れ、一条の匂いや体温に包まれていることに対しての、安堵感へと変化していく。 永井は、自ら一条を感じられるように顔を素肌に埋め、腕を一条の背に回した。 「…先生、順番間違ってますよ。」 「ん?」 「俺にあんなことしといて、『抱きしめられるようになりたい』だなんて、変ですよ」 「しょうがないだろ?お前が、背後がダメだって言うから、背中に触れられなかったんだよ。できるだけ、お前が嫌がるようなことは、したくないからな。」 「でも、先生って、俺が嫌がらないようにうまいこと誘導してますよね。そういうところ、ズルイなって、思いますよ」 「まあ、お前よりは長く生きてるからな。」 脚で永井の身体を挟み、そのまま横向きに抱き合えるように移動した。  腕を強くし、隙間なく抱き合ったまま、二人は、お互いの体温と匂いを共有しあう。  しばらくして、一条の胸元からから、スースーという寝息が聞こえてきた。  一条は、そっと、永井の身体を自分から離すと、そのままベッドに横たえた。そして、眼鏡をはずし、布団を掛けてやり、愛しげにその安堵しきった寝顔を見つめる。  無意識に逸らした白い首筋が、なんともいえない色気を放っており、無防備ながらの危うさが、漂っている。 「もう、よそんちで寝るんじゃないぞ」 その寝顔に吸い込まれるように一条は、喉仏に口唇をおとすと、永井の部屋を出て行った。

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