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第35話

目に涙をボロボロ零し、ほとんど目を瞑った状態で、左手で、右腕を押さえながら、蓮見は、看護師の手を借り、一条の前に座った。  「いてぇーよ!どうにかしろよ!!」 足をばたつかせ、身体中で痛みを訴えている。  蓮見の話によると、コンビニに行った帰りに何者かに突然背後から、催涙スプレーを掛けられ、暴れると、右腕を強い力で引っ張られたのだという。 そして、バキっという骨が折れる音がしたと同時に背後の人物は、走りさったというのだ。  幸いにも盲腸の傷の方は、大丈夫だった。しかし、骨が折れているのは、確実なので、一先ずは応急処置をし包帯を巻いた。 「整形と眼科の先生に連絡を。それと、警察にも。これは、立派な傷害事件だ。」 看護師に指示を出しながら、一条は、真剣な眼差しで蓮見を見つめる。腕の治療をしているうちに蓮見の目の痛みは、だいぶ和らいできたようだ。薄っすらと目を開け、まだ残る痛みに目をしかめている。 「なんで、退院早々、腕折られなきゃなんねぇんだよ!」 「さあな。なにか恨まれるようなことしたんじゃないのか?」 「はぁ!?おっさん、俺の日頃の行動疑ってんの?もしかして、おっさんが犯人じゃねえの?俺が永井先生と仲いいから妬いてんだろ?」 「残念だな。俺はその時ここにいたし、お前が来る直前まで永井と電話してたよ。まあ、それだけ喚く元気があるなら、心配いらんな。後で警察が来るだろうから、犯人は警察に探してもらえ。」 淡々と一条は応対し、カルテに症状を書き込んだ。  背後からというのと催涙スプレーというのが、一条の頭に引っかかった。 永井が強姦に遭った時も催涙スプレーで掛けられた後に背後から襲われたと、言っていた。 永井の事件となにか関係があるのではないだろうか?と、一条は考えを巡らせた。 蓮見の処置後、二時間ほど寝る時間があったが、そのことが頭を過ぎり、一条にしては珍しく眠れなかった。  『深夜未明、蓮見聡良さん(17)が、帰宅途中に何者かに襲われ、全治一ヶ月の怪我を負うという事件が、発生しました。犯行の手口から、警察では、一ヶ月前にあった鴨居伸治さんとの事件の関連性を調べる方針です』  トーストをかじったまま、テレビをつけると、永井は食い入るようにテレビを見つめた。  催涙スプレー、暗闇、背後。この三つの単語に永井は、他人事ではないような気がした。 「二人の共通点は、俺。まさか…そんなわけないか。」 テレビが、別のニュースに変わると、永井は、ひとりごちて、ソファに座った。   それにしても、蓮見は、退院したばかりだというのにまた病院の厄介になるなんて、不運でかわいそうだ。怪我の具合は?どこの病院で入院しているのだろうか。 まさか一条が電話の途中で呼び出されたのは、蓮見だったのではないだろうか?等といろいろと気になったが、すぐにそれは解決した。 永井が、出勤すると一条が、蓮見の事を教えてくれたのだ。  永井は、一条に許可をもらってから、朝の回診のあと、蓮見がいる以前使用していた特別室を訪ねた。  「こんにちは。一条先生から聞いたよ。大丈夫?」 蓮見のベッドに近づき、心配そうに見下ろす。蓮見は、上体を起こし永井の目を睨み付けるように見つめた。 「あーあ。すっげぇ恥かしいよ。右腕を素手で折られるなんてさ。先生には、こんな姿見られたくなかったよ。」 「えっ!?素手でやられたの?ということは、かなりな腕力の持ち主ってことだよね」 「だろうね。腕に噛み付いてやったけど、けっこー太くて硬かったし。」   催涙スプレー、暗闇、背後。そして、腕力がある。  永井の頭にあの日の暗闇に踏み入れた時の感覚が、蘇る。別の事件なのかもしれないが、永井には自分との関連を疑ってしまう。 「姿は、見てないんだ?」 「さあ。暗かったし、すんげー痛かったし、見るどころじゃなかったから。でも、なんとなく感覚だけど、背は、俺より低かったような気はするよ。先生くらいかな」 「へぇ俺くらいね。175ぐらいってことか」 「多分ね。なーんだ。俺のこと心配して来てくれたんじゃなくって、推理ごっこしにきただけかぁ」 蓮見が詰まらなそうに言い、口唇を尖らせた。 「ごめん。ごめん。もちろん、君が心配できたんだよ。早く犯人が見つかるといいね」 永井は、子供を宥めるように蓮見の頭を撫でた。 「子供扱いすんなよ。」  蓮見の左手が、永井の手を捕らえ、そのまま永井の体を引き寄せようとした。 トントン。 しかし、それはノック音に阻まれた。 「はい。」 舌打ちをする蓮見の代わりに永井が返事を返した。 応答のないままドアが開けられ、スーツ姿の男が二人、警察手帳を広げたまま入ってきた。 「またかよ」 蓮見が、うんざりといった顔で二人を見渡す。 「俺は、失礼するね。お大事に」 「先生!?」 永井は、それだけ言うと、刑事に会釈をしたあと、病室を出た。  エレベーターまで行くと、昨日と同じような場所で、永井は、小木に遭遇した。背後を取られないように永井は、壁に寄りかかる。 「そんなに警戒しなくても、背中に触ったりしないって。十分、君が背後がダメだってことは、理解してるよ」 にっこり笑い、一歩永井に近づく。たいして、寒いわけではないのに小木は、いつもの水色のケーシーの上から、紺のカーディガンを羽織っている。 「すみません。どうもくせになってしまってて。エレベーターでもそうですね。後ろの角に背中をつけてないと落ち着かなくって」 「そっかぁ。そういえば、あの特別室のイケメンくん、ニュースでてたね。そこにまたいるんだよね?」 「はい。今度は整形の方だから、俺の担当ではないのですけどね」 「永井くんの出番がないって事は、盲腸の傷口は大丈夫だったわけか。」 「はい。」 「そう。それは、よかった。悪さをしなければ、悪化することもないと思うけどね。そう思うよね?永井くん」 「……」 不気味なくらい綺麗な笑顔を永井に向け、頬に触れた。そのひんやりとした感触に永井の背筋は、凍る。 「ひどいな。黙らなくてもいいのに。ああ。分かった。あんまり黙ってるとキスsichauyo」 「もぉ、悪い冗談はやめてくださいよぉ」 永井は、そっと、小木の手を自分の頬から剥がした。 「クスクス。院内でキスなんてスリルがあって意外にいいかもしんないよ。なんてね。お互いいいかげん仕事にもどらないとね。じゃね。今晩楽しみにしてるよ」 小木は、手を振り、永井がいた方向とは、逆の方へと行ってしまった。  永井は、小木の背中を見ながら、大きく深呼吸をした。  そう、今夜、なにかが、分かるのだきっと…。

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