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第23話 SIDE江角慎吾

 人もまばらなカフェテラスに着くと、五十嵐さんは空いてる席に座り、お前も座れと顎で指した。 何を聞きたいのか知らないが、次の授業には間に合いそうもないと諦めて五十嵐さんの向かいに座った。 「翔に何があった?」 何かあったと確信している五十嵐さんの口ぶりに、思わず眉をひそめた。 「どうしてそう思うんです?」 「わかるからに決まってるだろ」 五十嵐さんが愚問だと言いたげな顔をする。 答えになっていない。何なんだこの人、翔が何か話したのかと思ったが、そうでもないのか。 「そんな適当な――」 「適当じゃないな、水沢渓のことだろ」 俺が驚いて視線を合わせると、五十嵐さんが満足そうな表情をしていた。 あ、俺この人苦手だわ。自信家で今まで思い通りにならなかった事はないみたいなタイプ。 でも翔は五十嵐さんのこと気に入ってるんだよな。 どこがよかったのか俺には全然わからないけど、トラウマを克服したいと言い出したのも五十嵐さんと話したいとかそんな所だろう。 五十嵐さんといると翔は嫌でも兄を思い出すだろうし、それでも話したいと思ったからこそ克服しようとしたんだろう。 その話を俺がしてもいいものか……けど、この人は俺と翔の知らない兄のこと知ってるわけだから、翔にとっては悪くないのかもしれない。 ベストなのは翔が直接五十嵐さんに話すことだと思うけど――。 「思案中に悪いがさっさと話せ」 全く悪いと思っていない口調で俺を急かすその眼差しは、納得できるまで決して引かない強い意志を宿していた。 「翔はトラウマを克服したがっているんです。トラウマの原因を誰かに話しながらその記憶を少しずつ塗り替えていくのが克服の方法なんです」 この人に嘘や誤魔化しは通用しない気がして事実を伝えた。 後で翔は怒るだろうなと考えながら俺は話始めた。 「翔の水沢家での立場はちょっと複雑で――」 「父親か母親が違うんだろ。水沢の家なら母親か……。それが原因?」 五十嵐さんの言葉に俺はゆっくり首を横に振った。 「俺も最初はそうかなって思ったんですけど、五十嵐さんはどうして?」 「俺が高2の時、翔に一度だけ会ってるんだよ、水沢に会いに来た翔にな。その時に水沢が少しでも同じ血が流れているかと思うと虫唾(むしず)が走るって言ってたからな」 ひどい言い様だな。 子供の頃の翔の兄の話を聞いていた俺は別人じゃないのかと疑いたくなった。 それよりも翔が兄に会いに来たという五十嵐さんの言葉に違和感を覚えた。 「その時の翔の様子って覚えてます?」 「あぁ、校門のあたりで誰かを探しているようだったから声をかけた。なかなか挙動不審だったな」 記憶を辿るように視線を空に泳がせていた五十嵐さんが思い出したようにふっと優しい笑みを浮かべた。 「でもちょっと変な気がするんですよね。翔は中学2年の夏くらいから兄さんに嫌われだしたって言ってたんですよ、五十嵐さんが高校2年だと翔は中学3年なわけで――」 「確かに変だな。そういえば、すぐ後から来た水沢を見て俺の後ろに隠れたのは怯えていたからか。その時は兄弟喧嘩くらいにしか思わなかったけどな」 その時の情景が蘇ったのか五十嵐さんが眉間に皺を寄せ辛そうな表情をした。 この人、自覚があるのかないのか翔のこと結構気にしてるよな。 「――で、トラウマの原因って何だ?」 「わかりません。翔は気づいたのかもしれませんが……」 五十嵐さんの話の続きを促す強い視線に溜息をついて、2日前に翔が過呼吸を起こしたこと、その後の翔の様子が変だったこと、それから連絡がとれていないことを告げると五十嵐さんは顔色を変えて怒鳴りだした。 「お前バカなのか!?なぜすぐ様子を見に行かなかった!」 「翔は子供じゃありませんよ。それにあいつはそんなに弱くは――」 「トラウマの原因が水沢だとしたら、翔の今の精神状態は怯えて誰かの後ろに隠れたがる子供だろうが!」 自信ありげにいつも落ち着いてる五十嵐さんの表情に焦りの色が濃く見えた。 「あ……」 五十嵐さんの言葉に全身から血の気が引くのを感じた。 俺は翔の何を見ていたんだろう。帰ると言ったあの時の翔から感情が消えていたことに気づいていたのに……。 「お前の反省は後にしろ。翔の家に急ぐぞ」 車で行った方が早いという五十嵐さんと駐車場まで走っていき助手席に乗り込んだ。 「江角、もしかしたら、翔は水沢から――」 少し落ち着いた五十嵐さんがぽつりと呟いた。 信じ難いその言葉に愕然として五十嵐さんの横顔に視線を向けると苦渋に満ちた表情を浮かべていた。 「そん……な、ことって……」 「水沢が高校の時、俺の言うことを何でも聞く玩具(おもちゃ)がいる、と言ってた事があってな。それがおそらく翔のことだったんだろう」 ハンドルを強く握りしめ、噛み締めた五十嵐さんの唇に血が滲んだ。 『翔は水沢から性的暴行を受けていたのかもしれない』 五十嵐さんの言葉が鉛のように重くのしかかる。間違いであってほしい。 翔が何をしたっていうんだ。 否定しようとしても、翔の感情のない顔や高校の時うなされていた様子を思い出すと、辻褄があうようで――。 「助けて、五十嵐」 翔がうなされている時によく言っていた言葉がふと頭に浮かんで口に出した。 「は?」 「俺、翔と高校の寮で同室だったんですけど、たまにうなされて、そう言ってたんです」 口に出すと全てが一つに繋がった気がして、車内の空気が重さを増した。 翔が兄を思い出して苦しくなりながらも、五十嵐さんに近付きたがったのは無意識に助けを求めていたから……か。 でも五十嵐さんにとって翔は同級生の弟ってだけのはずだ、なのにどうしてこんな必死になるんだろう。 「五十嵐さんはどうしてそんなに――」 「さぁな。ただ、俺にできることなら何でもしてやりたい、くらいには気になっている」 俺の疑問を察して答える五十嵐さんの表情は真剣で、不安だった俺の心にわずかな安心感をもたらした。

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