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第32話
「どうした?」
玄関から戻ってきた佑真さんが正座している俺の前にしゃがみ込んだ。
「佑真さん、俺、情けないけど今ひとりでいたくないんです。佑真さんといられるのは嬉しいし、ありがたいけど、迷惑になったらちゃんと言って下さい」
トラウマを克服したいからとか、話を聞いてもらうから、とかじゃなく俺はただこの人のそばにいたかった。
でもそのことが佑真さんの負担になって無理させるのは絶対に嫌だ。
「ああ、わかった」
真っ直ぐ見つめる俺を見つめ返して俺の髪を優しく梳く佑真さんの手の優しさにこのまま時が止まってしまえばいいのにと願ってしまう。
早めの夕飯を済ますと、佑真さんはキッチンの横にあるテーブルに座りノートPCでレポートを作成していた。俺はソファの前のローテーブルで慎吾に借りたノートを移していた。
慎吾が言ったことがずっと気になってる。トラウマの原因を思い出せば、佑真さんのことも思い出すみたいな……。
もしかして佑真さんがトラウマの原因なのかと不安になったけど、覚えてなくても、佑真さんに対して怖いとか嫌だと思わない。そんな佑真さんがトラウマの原因になるとは思えない。
でも慎吾が適任だと言うくらいだから、関係あるんだろうけど。
『本人には聞かないのかよ』
慎吾の言葉が頭をよぎる。気になる、聞きたい。
でもなぁ……今日だってすごく不愉快そうな顔してたし、そりゃ名前すら覚えてなかったんだから当然だろうけど、あの顔は怖い。
俺だって慎吾に忘れられてたら結構ショックだ。仕方ないにしても5年も一緒にいたのに、忘れてしまうほど俺の存在は軽かったのかとか、忘れたいほど俺のことが嫌だったのかとか。あ、自分に置き換えたら申し訳なさが半端ねぇ。
そもそも佑真さんといつから知り合いなんだろう。
だめだ、思い出せない――。
「言いたいことがあるなら言えよ」
気になってちらちら見ていた俺に気付いたのか佑真さんが小さく溜息をついた。
「う、いやっ……その……」
聞きたいことはあるのに言葉に詰まってしまう。
そういえば前に慎吾が顔に出やすいって言ってたことがあったけど、出てたんだろうな顔に。そんなどうでもいいことが頭をぐるぐる回る。
「何?」
テーブルの前に座り込んでいる俺の隣に来てソファに軽く腰掛けながら覗き込んで訊ねる佑真さんの黒髪がさらっと流れた。
その髪に触れてみたい衝動に駆られて思わず手を伸ばす。
「翔?」
「佑真さんの事、聞いてもいいですか?」
不思議そうな顔で俺を見る佑真さんに我に返り慌てて戻した手で熱くなった耳を触った。
「どうぞ」
膝の上で手を組みながら佑真さんの穏やかな視線が降ってくる。
「えっと……」
聞きたいことはたくさんあるのに、何から聞けばいいのかわからず言葉が出てこない。
「五十嵐佑真、聖応大学4年、教育学部。最初に会った時にした自己紹介」
思い出すように目を細めた佑真さんが微笑みをこぼした。
「あ、合コン……」
そうだ先月、藤崎に連れていかれた合コンだ。
え、でもだとすると知り合ってすぐってことになる――。
締め付けられるような頭痛に顔をしかめながらこめかみを押さえた。
「俺はお前の兄の水沢渓と高校で同級生だった」
佑真さんの言葉に一瞬目の前が真っ白になった後、佑真さんと出会ってからの記憶が走馬灯 のように駆 け巡 った。
「え、あ……待って」
早くなる鼓動を抑えようと胸を手で押さえた。
兄さんと知り合い?兄さんの高校の時の?
小さい頃の兄さんは優しかった。兄さんだけが俺に優しくしてくれた、変わってしまったのは俺が中学2年の時、兄さんが高校生――。
嫌だ。イヤダ、思い出したくない
息が、できない。
「翔!」
佑真さんが肩で浅い呼吸を繰り返す俺を抱きしめる。
「や……だっ」
佑真さんの腕の中にいるのに、俺の呼吸が、鼓動がうるさすぎて佑真さんの鼓動が聞こえない。それがすごく怖かった。
「痛 っ――」
佑真さんの腕の中で暴れる俺の爪が佑真さんの頬を傷つけ血が滲 む。
「あ……ごめ、なさい。ごめんなさいっ」
滲んだ血が視界に広がり震えが止まらない。
「翔、いいから、俺を見ろ」俯 いて離れようと佑真さんの胸を押す俺の震える手を掴む佑真さんの透き通るような声に少し落ち着いて恐る恐る顔を上げると、俺の恐怖や不安を拭 い去ってくれるような佑真さんの柔らかい眼差しに肩の力が抜けていく。
「大丈夫だから」
まだ浅い呼吸を繰り返す俺を抱き寄せた佑真さんが背中をゆっくりさすってくれる。
うるさい俺の鼓動の中で佑真さんの鼓動を探すと、小さく、でも確かに聞こえた。
「ごめんなさい、佑真さ……五十嵐さん」
ぽつりと呟く俺に、背中をさすっていた佑真さんの手が止まった。
「翔、俺といると辛いか?」
「そんなことない!」
悲しみを含 んだ佑真さんの声に俺は強い口調で返した。
「佑真で、いい」
耳元から聞こえるその声に背中がざわつく。
落ち着いたから離してくださいと言う俺に、納得のいかない顔をしながら佑真さんが離れていく。
それを少し寂しく感じてる俺もどうなんだよ……。
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