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第38話

 佑真さんの家を出て、見上げた空は雲ひとつなく、吸い込まれるように青い。まるで時が止まってしまったかのような錯覚を覚えた。 しばらく眺めた後、うるさい(せみ)の声と降り注ぐ太陽に()かされるように足早に歩き出した。 アパートに戻り、貴重品や着替えなどをボストンバッグに放り込んで、管理会社に電話をした。 アパートの退去手続きと残していくものの処分をお願いしてみたけど、当然、はいそうですかとはいかなかった。それでものんびりと手続きをしている暇はないので、申し訳ないと思いつつ(なか)ば強引に電話を切った。      大学も退学手続きを郵送でも進めてもらえるよう頼んでおいた。 バイト先に電話して辞めた後、携帯も解約した。新規契約を進められたけど今の俺に携帯は必要ない。慎吾や佑真さんを裏切って優しさから逃げる俺には連絡をとる資格なんてない。  全てが終わって駅についた頃には昼を少し過ぎていた。 あてもなく、ただホームに入ってくる電車を乗り継いでいく。 どこでもよかった、行く場所も、俺の居場所もどこにもなかった。 水沢の家に連れて来られた時から、産まれた時から、俺の居場所はどこにもなかったのかもしれない。  窓に流れる景色が闇を広げていくと、寂しさが込み上げて、今すぐにでも佑真さんの元に戻りたくなる。できるはずもないのに。 「どこだろ、ここ」 ぽつりと呟いた声は暗闇に吸い込まれた。 乗客は俺だけだった電車を終点の案内で降り、去って行く電車を見送ると明るい車内に慣れた目に夜の闇がいっそう深く見えた。周りを見渡しても街や家の灯もない。 台風が来ればあっけなく壊れてしまいそうな木材でできたバスの停留所のような待合室がわずかな風にもギシギシと音を立てていた。 無人駅らしく人の気配がない。 乗ってきた電車が最終だったからなのか、もとからなのか改札口の(あかり)はどこにも見えない。 風に(きし)む待合室の外に一つだけある裸電球の薄汚れた外灯が、申し訳程度に中を照らしていた。 それでも目が慣れてくると十分な明るさで、待合室に足を踏み入れると、足元のコンクリートは至る所がひび割れている。 両端の壁に取り付けられた古い木製のベンチにゆっくり腰掛けて少し揺すってみても壊れることはなく一息ついた。 聞こえてくるのは虫の声や風に揺れる木々のざわめきだけで、暗闇にざわめく木々は行ったことなどない富士の樹海を連想させた。 付近に民家はなさそうで、ここに駅があっても利用者はいるのだろうかと疑問に思う。 こんな場所に来るのは自殺志願者だけなんじゃないのか。 暗闇に目を向けるとそんな偏見が頭をよぎる。 「困ったな」 小さな呟きでさえ、この静かな場所では耳に響いた。 何も考えずここまで来てしまったけど、俺は別に死にたいわけじゃない。 俺さえいなければ、母さんもお金を要求することはなかっただろうし、父さんや水沢の母さんも嫌な思いはしなかった。兄さんだってあんな風にはならなかったはずだ。 だけど俺が死んでも俺の存在が周りを不幸にしてきた事実は変わらない。だったらこれ以上、人を不幸にしないように生きていくしかない。そのためには仕事と住居が必要だ。 明るくなくてもわかる、ここには何もない。 とにかく明日は街のある所に行ってみるしかない。 「佑真さん、怒ってるだろうなぁ」 ボストンバッグを枕にして横になりながら腕時計を見ると午前1時を過ぎていた。 目を閉じると約束を破り、いなくなった俺を心配して怒っている佑真さんが瞼に浮かぶ。 「ごめんなさい」 俺が謝ると最後に見た優しい笑顔で微笑んでくれた。 俺の好きなあの笑顔で。

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