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第39話
差し込む朝日と吹き抜ける爽やかな風に俺は目を覚ました。
立ち上がりゆっくり伸びをすると固い木のベンチに横になっていた身体が軋 む。
外に出て周囲を見渡すと、暗闇にざわめいていた木々が青い空を背景に涼しげに揺れていて、夏の爽やかな風景が綺麗だった。
誰だよ富士の樹海とか言ったのは。ひとりで突っ込みを入れながら木々の緑の眩しさに目を細めた。
待合室に戻り時刻表を見ると始発の時間まではまだ3時間もある。昨晩は気にも留めなかった外の景色が気になり、周辺を歩いてみたくなってくる。
小さな駐車スペースを少し歩くと、車1台分ほどの道路が左右に分かれているのが見えた。どっちを見ても山の合間に道が続き先は見えない。
何となく左に五分ほど進んだ所で微 かに聞こえた水の音を辿 ると、舗装されていない山道に入っていく。
それなりに人が通っているのか、ゆるやかな登りの砂利道 は意外と歩きやすく、進むにつれ木々が日陰を作り吹き抜ける風が冷たい。
水の音に導かれるまま進んでいくと、石造りの小さな橋が現れた。人一人通れる幅の短い橋には落下防止の柵などなく、余所見 をすれば足を踏み外してしまいそうだ。
橋の上から下を覗き込むと手を伸ばせば届きそうなほど近くに川が流れている。
様々な大きさの石の合間を柔 らかく流れる小川の水面 が光を浴 びてきらきらと輝いていた。
しゃがみ込んだまま、せせらぎに目を閉じると佑真さんの笑顔が浮かんでくる。
「もう笑ってはくれないだろうな」
静かに目を開け佑真さんの巻いてくれた手の包帯を見つめながら呟いた俺の声は川の中に吸い込まれた。
「あんた、何してるんだ?」
人などいるはずないと思っていた山の中でふいに聞こえた声に身体が跳ねた。
「え?うわっ!!」
声のする方を振り向いた瞬間バランスを崩して川に背中から落ちていった。
「おいっ」
「いってぇ!!」
川の中に尻餅をついて見上げると、声の主が橋の上から驚いた顔で俺を見ている。
「大丈夫か?」
ハーフパンツにTシャツの小麦色に日焼けした高校生くらいの男の子が俺に声をかけた。
「なんとか……」
立ち上がったものの背中の痛みに顔を歪 めながら、橋の上に這 い上がった。
「こんなとこで何してるんだ?」
背中の痛みに立ち上がれない俺の頭上から声がする。
「散歩……」
「はぁ?あんたどっから来たんだよ」
何言ってるんだというような声にもっともだと納得する。
あんな何もない駅で始発を待ちながら散歩している人なんていないだろう。
「立てないのか?」
這い上がったままの姿勢で動けない俺の横にしゃがみながら訊ねた。
「しばらくすれば大丈夫だと思いますから」
首を動かすことすら辛くて下を向いたまま話した。
「あんた、どこいくの?」
数秒の沈黙の後、男の子が聞いてくる。
もう放っておいてほしい。服はびしょ濡れだし、背中は痛い、川に落ちただけでも間抜けなのに、動くこともできないとか恥ずかしいやら情けないやら。
「なぁ!」
答えない俺に催促 するように声量が上がる。
「駅!痛 っ」
つられて大きな声を出すと背中に痛みが走り息が詰まる。
「駅か、ほら」
「え?何?」
言われて痛みに耐 えながらゆっくり首を動かすとしゃがんだまま俺に背中を向けていた。
「背負っていってやるよ」
振り返った顔はくっきりとした二重で、少し大きめの瞳が笑えばきっと人懐っこい笑顔になるんだろうなと思わせる。
だけどその男の子は無表情で、何を考えているかわからない。
「え、いやっ、いやいやいや!大丈夫ですから、お構いなくっ」
親切で言ってくれてるんだろうけど……自分の不注意でこけた挙句に背負われるとか情けない、さすがに情けなすぎて嫌だ。
「ずっとそうしてる気かよ」
立ち上がれない俺に呆 れたような声が届く。
確かに背中の痛みは治まるどころか増している気がする。今すぐにでも横になってしまいたいくらいには辛い。このままだといつ歩けるようになるのかわからない。だけどおんぶされるっていうのはちょっと……。
「ほら、早くしろよ」
戸惑う俺にしゃがんだまま急 かす声は何としてでも俺を背負っていくつもりらしい。
良い人ではあるんだよなきっと無表情だけど。
駅まで、駅までだ。きっと誰にも会わずに済むはず、お世話になるしかない。自分にそう言い聞かせて、四つん這いのまま背中に近寄った。
「ご迷惑おかけします」
肩に手をかけながら出した声が背中に響き、痛みに顔が歪 む。
「よっと」
掛け声と共に俺の太腿をぐっと掴んで立ち上がった。
「いってぇ!」
「暴れんなよ」
背中に伝わる衝撃の強さに思わず声を上げた俺に溜息交じりの声が聞こえた。
ゆっくり歩いてくれていても振動が背中に響いて呻 いてしまう。
「あんた、手も怪我してんの?」
言われて右手を見ると傷口が開いたのか血が滲 んでいた。
「これはこの間――水沢、水沢翔」
「宮川涼介 」
迷惑をかけている相手に名乗ってすらいないことに気づき、名乗る俺に名乗り返してくれた。
態度や話し方は素っ気ないけど、その声には優しさが含 まれているような気がした。
「どんな漢字?俺は、飛翔の『しょう』なんだけど、飛ぶ方の――」
「無理して話すなよ」
痛そうな声に聞こえたのか俺を心配してくれたんだろうけど、素っ気なく言われると少し寂しい気分になる。
「ごめん」
「納涼の『りょう』に介入の介で涼介」
無理していたわけじゃないけど、心配かけるのも申し訳ない気がして黙る俺に答えてくれる声はやっぱり優しいと感じた。
「夏って感じの名前だな」
「あんたさぁ、耳元であんま話すなよな」
ふっと笑う俺に立ち止まる涼介君の日焼けした横顔がほんのり赤みを帯 びている。
耳元……ああ、そういえば俺も佑真さんに耳元で話されると力が抜ける感じがしたっけ。
なるほど、あの感覚か。
さっきまでの素っ気ない態度とは逆に照れる涼介君がなんだかかわいくて、可笑 しくなって涼介君の肩に額を乗せ耐 えきれない笑いを洩 らした。
「あんたなぁ!」
ふてくされたように言うと涼介君は足早に歩き出した。
「痛 っ痛いって。翔、あんたじゃなくて翔だってば」
痛みと可笑しさが入り混じった声で早くなった揺れに抗議した。
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