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第42話

 困ったなぁ。しばらく安静にって……この状態じゃ動きたくても動けないけど。ホテルにでも泊まるしかないのかな。お金がないわけじゃないけど、仕事も住む場所も決まっていない今、無駄に使うお金が勿体ない。 待合室の椅子になるべく痛くない姿勢で座りながら大きく溜息をついた。 「翔君、家はどこなんだい?よければ送って行こうと思うんだけど」 隣に座っていた涼介君のお父さんが柔らかい表情で俺を見つめる。 家はないし、ここがどこかもわからない。心配して言ってくれているこの人に何て答えればいいんだろう。 「あんた、家出人?」 お父さんの隣に座っている涼介君が横から聞いてくる。 「えっそうなのかい?」 「違います」 驚いた顔で俺を見る涼介君のお父さんに苦笑しながら否定した。 「じゃあどっから来たんだよ」 「えっと、家はないので……」 何と答えればいいかわからなくて、とりあえず事実を()げた。 涼介君のお父さんを見ると顔いっぱいに、なぜ?どうして?が広がっていて、可笑(おか)しさが込み上げる。 「旅がしてみたくなって、住んでたアパートも引き払ってきたので」 笑いながら言うと疑問だらけだった顔が安心したように(やわ)らいだ。 脚色した部分はあるが、嘘ではない。 「でもそれじゃあ安静にできる場所がないね」 「あ、しばらくホテルにでも泊まろうかと――」 「うちに来ればいいんじゃねぇの」 まともに動けない身体でホテルを探すのも難しそうだと思い、場所だけでも教えてもらおうと言いかける俺を涼介君の素っ気ない声が(さえぎ)った。 「そうだね、うん、そうしよう」 無表情な涼介君の真意の見えない言葉にお父さんが名案だというように大きく(うなず)く。 「え、いや、大丈夫ですからっ」 決まりかけた提案を、これ以上迷惑をかけられないと慌てて断った。 「あんたのそうゆう所さ、人の好意を踏みにじってるって気付いてねぇの」 不機嫌な強い口調が俺に刺さった。 「涼介!」 (しか)るように厳しい声を出したお父さんに涼介君は黙って受付の方へ歩いて行った。 俺はいつも迷惑かけないようにと言いながら、自分が不安だっただけだ。 『迷惑かけるとか思ってるんだろうけど、お前がいない方が辛い。どこへも行くな』 佑真さんの言葉が脳裏(のうり)(よぎ)る。佑真さんはそう言ってくれたのに、信じられなかったのは俺だ。 失ってしまう優しさなら最初からないほうが傷つかなくて済むなんて勝手に決めつけて。 でも寂しくて優しさを求めて、不安になると逃げ出した。迷惑かけたくないから、なんてただの免罪符(めんざいふ)だ。 「――君、翔君。涼介がひどい言い方をして悪かったね」 名前を呼ばれて顔を上げると涼介君のお父さんが申し訳なさそうに眉をひそめていた。 「違うんです。涼介君は悪くない、俺が、俺、自分の事ばかりで……っ」 涙が出そうになりぐっと奥歯を()()めた。 「翔君は素直な子なんだねぇ」 涼介君のお父さんが目尻に(しわ)を作りながらにこにこと柔らかく笑う。 「そんなこと、ないです。涼介君に言われるまで俺、気づきもしなかったんです。俺がいなければ迷惑かけることもないって相手の気持ちも考えないで、自分のことばっかりで……本当は怖かったんです。優しくされればされるほど失うのが怖くて不安で」 今日会ったばかりの人に自分でもどうしてと思うくらい正直な気持ちが(あふ)れ出てくる。 慎吾や佑真さんの優しさが嘘だとは思わない。でもいつまで?兄さんだって優しかった、俺の母さんの事を知るあの日までは……。 「そうだね。寂しいことだけど人の気持ちは変わることもあるから、それが好きな人なら尚更(なおさら)怖くなるね」 「好きな人……?」 そういえば慎吾に対して不安になったり怖くなって逃げ出したくなったことはない。付き合いが長いからだと思っていたけど、最初からそんな風に思った事はなかった。 でも佑真さんには対しては、優しくされると不安になったり、そばにいたいと思ったり、離れても佑真さんの事ばかり考えてる。 それって好きだから――? 慎吾の事も好きだけど、()れたいとか離れたくないとかは思わない。 俺、恋愛的な意味で佑真さんの事が好きなのか。 今まで誰かと付き合った事も、好きになった事もない俺には佑真さんへのこの気持ちが恋愛感情なのか確信は持てない、持てないけど……友情じゃないことは確かだ。 う、嘘だろ……。気付いてしまった事実に思わず頭を抱え込む。 「僕もね、沙代子さん、僕の奥さんね。沙代子さんにプロポーズする時にとても迷ったんだよ。沙代子さんは旅館の女将になることが決まっていたし、僕は普通のサラリーマンだったしね。それに婿養子って何だか抵抗があってね」 ゆっくり顔を上げた俺に涼介君のお父さんは表情に幸せを(にじ)ませながら、記憶を辿(たど)るように目を細めて続けた。 「僕に何ができるのかもわからない、沙代子さんにとって僕はお荷物になってしまうのかもしれない。沙代子さんはもっとふさわしい人と一緒になった方が幸せなのかもしれない。そんなことばかり考えてしまって、なかなか言い出せなくてね」 「わかる気がします」 俺はいつも佑真さんを困らせて、気を使わせてばかりで、俺がいなければ佑真さんに嫌な思いをさせることもなかった。 「それでも僕は、沙代子さんのそばにいたかったし、沙代子さんに笑っていて欲しかったから、僕にできることを一生懸命やろうと決めたんだよ。まだまだできていない事はたくさんあるんだけどね」 そう言いながら笑う顔は柔らかく幸せに満ちていた。 「俺も同じです。そばにいたかった、笑っていて欲しかった。涼介君のお父さんみたい――」 「努でいいよ」 頷きながら微笑む努さんの眼差しが俺を包み込んでくれるようで涙ぐんでしまう。 「俺は努さんみたいになれなかった。俺は、その人から逃げ出したんです」 話していてわかった。男が男を好きなんておかしいのかもしれないけど、男とか女とかじゃなく、佑真さんだから好きなんだ。 「人の気持ちが変わってしまうのは悲しいけど、楽しかった事や幸せだった時間は消えないから、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。そばにいて、楽しい時間を過ごせばいいんだよ。別れてしまったとしても、きっとそれは、かけがえのない大切な思い出になるから。ねっ!」 離れてから気付いても遅いのかもしれないけど、そばにいて、笑っていて欲しかった俺が初めて好きになった人。 人を好きになる事がこんなに苦しくて切なくて、でも暖かい……こんな感情知らなかった。 頷く俺の背中を努さんがぽんと叩く。 「い、(いた)っ!!」 「ああ!ご、ごめんね」 天然のボケなのか慌てて謝る努さんに、大丈夫ですと引きつった笑いしかできなかった。 佑真さんのことを好きだと自覚すると、今すぐにでも会って伝えたくなる。佑真さんの事だからきっとすごく困った顔をして、でもありがとうとか言いそう。ありえない勝手な想像をしているとなんだか可笑しくなってくる。 「何してんの?」 薬をもらって戻って来た涼介君が、痛みに耐えながら笑う俺と、大丈夫?ごめんねと繰り返す努さんを交互に見て不思議そうな顔をした。 「努さん、しばらくお世話になってもいいですか?」 「構わないけど、いいのかい?」 息を()いて真っ直ぐ努さんを見つめる俺を見つめ返す努さんの眼差しが逃げ出したままで伝えなくていいのかいと訊ねているようだった。 「俺、もっと強くなりたいんです。今はまだ同じことを繰り返してしまいそうで、強くなってから会いに行きたいんです」 いま会えばきっと佑真さんの優しさに甘えてしまう。 佑真さんを好きだと自覚しただけでこんなにも幸せな気持ちになれた。佑真さんはいつも俺にたくさんのことを教えてくれる。 好きだなんて言うつもりはないけど、佑真さんにもらった、たくさんの気持ちが、どんなに有り難く、嬉しかったか。嫌われることが怖くて兄さんとの事を話せず逃げ出した事も、ちゃんと伝えて謝りたい。 もし、もしも許されるなら佑真さんのそばにいたい。 「うちは大歓迎だよ。な、涼介」 「ああ」 優しく(うなず)きながら涼介君に同意を求める努さんに短く返事をして差し出した涼介君の手を、俺は素直に取って立ち上がった。

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