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第43話
車で10分ほど走ると木製の看板に宮川旅館と彫刻された文字が車内からでもはっきり見えた。看板の先に整えられた砂利道 が続き、訪れる人を別世界へ誘うように木々が優しく迎え入れていた。奥に見える木造の旅館は時代を飛び越えたような錯覚 を覚える。
こうゆうの、老舗旅館っていうんだろうな。
幻想的な風景を横目で眺 めながらそんなことを考えていると着いたよという努さんの声と共に車が止まった。
涼介君に支えられて車を降りると、旅館とは対照的な二階建ての一軒家が目に入る。黒いお洒落な扉には防犯センサーが付いていて、洋風の玄関灯が見える。壁の白さは新しさを思わせた。
「どうした?」
立ち止まっている俺を涼介君が見る。
「いや、老舗旅館の人の家って自宅も日本家屋な感じなのかなぁって――」
「あんた、バカだろ」
「イメージだよっ」
心底呆れたように言いながらそれでも俺を支えゆっくり歩いてくれる涼介君の優しさに慎吾を思い出していた。
小言を言いながらもいつも俺を助けてくれた優しい親友。きっと今も怒りながら心配してくれているんだろう。ごめん慎吾、もう少し勝手させてと伝える術 もない慎吾に心の中で呟いた。
「いらっしゃい」
リビングに通されると着物姿の女の人が振り向いてにっこり笑った。
くっきりとした二重の涼介君とそっくりな容姿に涼介君のお母さんだと聞かなくてもわかる。
「沙代子さん、朝礼はもう終わったの?」
努さんの問いに笑顔で頷 く沙代子さんの顔は年齢より若く見え、努さんと並ぶと親子だと言われても違和感がないくらいだ。
「水沢翔です。しばらくお世話になりたくて――」
背筋を伸ばそうとすると痛みで顔が歪 んでしまう。
「無理しないで、涼介から聞いたから。とにかく座って」
沙代子さんの明るい声に緊張が和 らぎ、キッチンテーブルの椅子に座ってテーブルの上に乗せた腕に体重を預 けてゆっくり息を吐いた。
「あらあら、痛そうね」
グラスに注 いだお茶を置きながら沙代子さんが明るく笑う。
相手に気を使わせないように配慮された沙代子さんの明るさにさすが女将だと感心する。
「あの、俺しばらくまともに動けそうになくて、ご迷惑おかけすると思うんですけど、よろしくお願いします」
「いい子ねぇ!」
少し驚いた顔で俺を見た後、満面の笑みで俺の頭をぐりぐりと撫 でた。
「翔君は素直な子なんだよ」
努さんまでにこにこと言う。
何だろう照れくさいような、くすぐったいような、こんな暖かい感情を俺は知らない。
俯 いた俺の目から零 れ落ちた涙が机を濡 らしていく。
「あ……れ、すいません」
泣くつもりなんかないのに、溢 れ出る涙は止まってくれそうにない。
「あんた、泣き虫だよな」
涼介君がティッシュの箱を机の上に置きながら余計な一言を添 える。
「涼介!生意気な言い方しないの。翔君は涼介より年上なのよ、あんた何て言い方はないでしょう!――年上よね?」
うるさそうに眉をしかめるる涼介君を咎 めた後、俺に向かって訊 ねた。
「だと、思います。俺20歳 ですから」
ようやく止まった涙をティッシュで拭 いながら顔を上げて鼻水を啜 った。
「よかったぁ。ちょっと心配だったんだよね。一人暮らしだったみたいだけど、未成年だと親御さんに連絡した方がいいのかなとか」
「未成年じゃなくても親御さんに連絡はいるでしょう!」
安心したように笑う努さんに沙代子さんが厳しい目を向けると、努さんが叱 られた子供のような表情で頭を掻 いた。
「あ、親は……」
話した方がいいんだろうか。今まで誰にも話したことはなかったし、話すような機会もなかった親の事を。
「涼介、客間に布団敷いてきて頂戴 」
涼介君が出ていくと、努さんと沙代子さんが俺の前に座った。
「翔君、言いにくいかもしれないけど、あなたを預かる以上、聞いておく責任があるの。話してくれる?」
沙代子さんが優しく強い眼差 しで俺を見つめた。
「俺は父と愛人の間にできた子で、俺が小さい頃、母は俺を父の家に預けて行方 がわからなくなりました。それから俺は水沢の家で暮らしていたんですけど、全寮制の高校に入学すると、俺の荷物は処分されて水沢の家に俺の居場所はなくなったんです」
こんな重い話続けてもいいんだろうかと沙代子さんを見ると真剣な表情の沙代子さんの隣で努さんがティッシュを握りしめながら鼻水を啜 っていた。
「努さんが泣いていたら翔君が話しづらいでしょう!」
困った表情の俺に気づいた沙代子さんが厳しい声を出した。
「すいません重い話になってしまって。俺が20歳 になるとや相続放棄 や転籍 の手続きの書類が届いて、戸籍上は俺一人なので、その、承諾 とかはなくても大丈夫です」
「わかったわ。話してくれて有難 う」
話してしまった後でも、よかったのか悪かったのかわからない。ただ申し訳ない気持ちになる俺に沙代子さんが優しく笑ってくれた。
「大変だったね、苦労したんだね」
「いえ、そんな」
鼻を真っ赤にしながら潤 んだ眼をする努さんに恐縮してしまう。
「かわいそう!!」
背後から聞こえた大きな声に驚いて振り向くとセーラー服姿の沙代子さんそっくりの女の子が怒ったような表情をしていて、隣には涼介君がいた。
「涼介、涼香 。いつからそこに」
額に手を当てながら沙代子さんが大きく溜息をついた。
「だってかわいそうじゃん!ずっとうちに居ればいいよ!」
涼香ちゃんが怒ったような顔で足早に俺の横まで歩いてくるとばんっと机を叩いた。
「翔君はかわいそうじゃないわよ。確かに大変だったかもしれないけど、家を出てからきっとたくさんいい出会いがあったのよ。そうじゃなければこんな素直ないい子にはならないわ。でしょう?」
明るく笑いながら沙代子さんが言う。
「沙代子さんってすごい……」
俺が素直ないい子かどうかは疑問だけど、沙代子さんの言う通りだ。慎吾や先生達、それに佑真さん。
俺が出会った人はみんな優しかった。俺ですら気付いていなかった事に気付く沙代子さんはすごいと尊敬する。
それがすごく嬉しくて、本当に嬉しくて、沙代子さんに話せてよかったと思った。
「女将だからね。人を見る目は自信あるのよ」
子供みたいに笑う沙代子さんを可愛いと素直に感じた。
「僕と沙代子さんは旅館にいることが多いから、困った事があれば涼介か涼香に言うといいよ。二人とも高校2年生で双子なんだよ」
まだ赤い鼻を啜りながら目尻を下げた努さんの表情は柔 らかく安心させてくれる。
「やだもうこんな時間!私達行くけど、翔君は客間でおとなしく寝てなさい。食事は涼介に運ばせるから、涼香も部活あるんでしょう、さっさと支度して行きなさいよ!」
沙代子さんは早口で指示を出すと努さんと家を出て行った。
「翔君、かわいそうなんて言っちゃってごめんね」
申し訳なさそうに話す涼香ちゃんの瞳が不安に揺れていた。
「ううん。俺のために怒ってくれたのは嬉しかったから」
「涼介のこと、こき使えばいいからね!じゃあ行ってきます」
俺が微笑むと涼香ちゃんの表情がぱっと明るくなり、笑いながら言うとキッチンに置いてあったお弁当を鞄 に入れ、手を振りながら出かけて行った。
テレビドラマで見るような朝の慌ただしい風景に自然と顔が綻 ぶ。
「翔、布団敷いてあるから」
差し出された涼介君の手に頷きながら掴まりゆっくり立ち上がった。
あれ?今呼び捨てにされなかったか?高校2年生ってことは3つ年下なんだよな、その年下の子に背負ってもらい、今も支えてもらっている俺が言えた立場じゃないのかもしれないけど、『あんた』から『翔』は格上げなのか格下げなのか、どっちだ。
リビングを出て少し奥にある客間に入ると、八帖ほどの畳の部屋に真っ白なシーツにふんわりとした布団が敷いてあった。涼介君のハーフパンツとTシャツを借り、着替えて布団に倒れ込むと、痛みに固くなった身体が解 れていくようだった。
枕に頭を沈め横向きになると、座って壁にもたれかかりながら涼介君がスマホを見ていた。
「ここに居てくれるんだ」
「一人がいいなら出ていくけど」
独り言のような俺の呟きに素っ気ない言葉を返す涼介君はやっぱり慎吾と重なって安心する。
「ううん、落ち着くから」
俺が笑うと涼介君は何も言わずにスマホに目を落とした。
涼介君は慎吾と似ていて、言い方も態度も冷たく感じる時もあるけど、でもすごく気を使ってくれている。涼香ちゃんは明るく、努さんに似て、表情がくるくる変わり、感情が顔に出てわかりやすい。双子でも違うもんなんだなぁ。
そういえば最初の頃、慎吾には嫌われてるのかと思ったんだよな。無愛想だし、素っ気ない態度だし。それが感情を出すのが苦手なだけで優しく気遣いのできるやつだって知ったのはいつだったかな……。
「頭も打ってんのかよ」
思い出して顔を綻ばせる俺に冷めた声が聞こえた。
「涼介君が、似て……る、から」
声にならない声を出しながら重くなる瞼 を閉じた。
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