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第46話

 次の日、涼介君も涼香ちゃんも部活に出かけ、一人になった家で朝ご飯の片づけや掃除を終え、痛みの消えた身体を大きく()ばした。 沙代子さんは家を出てから俺が出会った人がいい人達だったと言ったけど、宮川家のみんなも俺にたくさんの幸せをくれた。 水沢の家にいた頃の俺は幸せだとは言えないけど、今の俺は確かに幸せだと言える。 できるならこの街で働きたい、そのために何が必要だろう。 考えを(めぐ)らせながらボールペンをくるくると回した。 「履歴書、身分証明は保険証でいいだろうけど、住所、住所かぁ」 紙に書き出しながら住所でつまずく。アパートを借りるにしても保証人が要る。前に住んでいたアパートは未成年だったこともあって父さんに頭を下げて頼んだ。 一度だけという約束で、もう二度と関わりませんと誓約書まで書かされたっけ。 住民票は市役所から郵送で送ってもらえるだろうけど、まず市役所がどこだ。 スマホがあれば調べられるんだろうけど、今の俺にはスマホがない。 「……ってことは連絡先も書けないじゃん。難しいかなぁ」 この街に限らず雇ってくれる所なんてあるんだろうか。 「ただいまぁ」 玄関から沙代子さんの明るい声がした。 「沙代子さん、こんな時間にどうしたんですか?」 「翔君とお昼食べようと思って」 重箱の包みを見せながら沙代子さんが明るく笑う。時計を見ると午後1時になろうとしている所だった。 「おいしそうですね」 テーブルに広がる重箱の中身に空腹を感じた途端、鳴るお腹に()かされるように麦茶をとりに冷蔵庫へ向かった。 「翔君、この街で働くの?」 テーブルに置きっぱなしになっていたメモを取り沙代子さんが(たず)ねる。 「できればいいなと思ったんですけど――」 「どうして?」 俺が渡した麦茶を受け取りながら、視線をあげた沙代子さんのくっきりとした二重の大きな瞳が力強く輝いている。 「湯畑にあるエメラルドグリーンの池に感動して、あんな景色の見られる所で働けたらいいなって思ったんですけど、なかなか難しくて」 「うちで働いてみる?」 「うちって、宮川旅館ですか?」 苦笑する俺に真剣な表情で言う沙代子さんに驚いて聞き返すと微笑みながら(うなず)いた。 沙代子さんなら俺の事情も知っているし、住む場所の問題はあるとしても(やと)ってもらえるのはすごく助かる。 でもそこまで甘えていいものだろうか。 「翔君ってわかりやすいわね」 悩んでいる俺に楽しそうに笑いかける沙代子さんに疑問をぶつけてみることにした。 「どうしてそんなに親切にしてくれるんですか?」 「そうねぇ。うちに人手が足りないのも勿論(もちろん)あるんだけれど、翔君は放っておけないっていうか、何かしてあげたくなっちゃうのよ」 優しい笑顔の沙代子さんに複雑な気持ちになる。 「同情、ですか?」 「違うわよ。翔君が素直でいい子だから」 声を落とし(うつむ)く俺に即答した沙代子さんの暖かい笑顔に包まれると泣きそうになってしまう。 『あんた泣き虫だよな』という涼介君の言葉もあながち間違ってないのかもしれない。 ただ沙代子さん達と出会ってから暖かく幸せな気持ちに包まれて涙腺が(ゆる)んでしまう事が多い気がする。 「涼介だって私が頼んでも部活を休んだことなんてなかったのに、自分が翔君と一緒にいるからって言ったのよ。でも一番はね、努さんと同じだったからかな」 沙代子さんが表情に幸せを(にじ)ませながら思い出すように目を細めた。 「え?」 「湯畑よ。『こんな素敵な場所でこんな素敵な君と暮らせる僕は世界一の幸せ者です』って努さんが言ったの。……って何言わせるのよ、もうやだ~」 首を(かし)げる俺の腕をてれたようにばしばしと叩きながら沙代子さんは嬉しそうに笑っていた。 いや、俺は別にそこまでは言ってない。 湯畑には感動して見ていたい景色だとは思ったけど……沙代子さんが嬉しそうなので黙っていることにした。 「翔君に働くつもりがあるなら歓迎するけど、どうする?」 「でも俺まだ住む所がなくて」 「ここに住めばいいわよ。涼介の隣の部屋が()いてるから」 少し考えて沙代子さんが二階を見上げた。 「え、でも――」 「家賃と食費はちゃんと給料から引くわよ」 俺の言いたいことを察したのか沙代子さんがきっぱりと言った。 「沙代子さん、ありがとうございます」 立ち上がって頭を下げる俺にやっぱりいい子ねと沙代子さんが微笑んだ。 お昼を食べ終わると夜にみんなで話しましょうと言って沙代子さんは出かけて行った。

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