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第50話
12月に入ると寒さは厳しさを増し、刺すような冷たい空気に身体の芯まで凍 えそうなほどだった。
こんな寒さは体験したことない。
駅で一夜を明かしたのが夏でよかったと心底感じた。冬なら間違いなく凍死するレベルだ。
「さっむい」
旅館の入口を掃除しながら大浴場を掃除している山口さんと岩下さんが羨ましくなる。冬の外回りの掃除はじゃんけんで決めているけど、なぜか俺はよく負けてしまう。
「おはよう水沢君」
「おはようございます、今日も寒いですねぇ」
白い息を吐きながら出勤してきた白井さんの笑顔に俺も笑顔で挨拶を返した。
仲居頭の白井さんは沙代子さんが女将になる前から務めていた人で、沙代子さんでも白井さんには頭が上がらないらしい。ほかの仲居さんからは厳しい、怖いと言われているけど俺には親切で優しかった。
「丁度よかった、水沢君よかったらこれ使って」
白井さんがカバンから取り出した紙袋を俺に手渡した。
「何ですか?」
渡された紙袋を覗くと黒とグレーの横縞模様 のマフラーが入っていた。
「白井さん、これって――」
「この間、私のマフラー褒めてくれたでしょう。水沢君マフラー持ってないみたいだから」
取り出したマフラーと白井さんを交互に見る俺に嬉しそうな顔をする。
その日もじゃんけんで負けて外周りの掃除をしていた俺は暖かそうな白井さんのマフラーが手編みだと知って売っている物みたいに作れるなんてすごいと思っていた。その時の事を白井さんは憶えていたらしい。
「作ってくれたんですか?うわぁ、すごい!嬉しいです!」
白井さんの手を握りありがとうございますと何度も振った。
「そんなに喜んでくれると嬉しいわ。風邪ひかないようにね」
「はい!」
白井さんの背中に手を振って、マフラーを巻くと凍えそうな寒さが和らいだ。
手編みのマフラーがこんなに暖かいなんて知らなかった。
初めてもらった手作りの物が嬉しくて誰かに聞いてもらいたくなった俺は事務所に駆け込んだ。
「沙代子さん!沙代子さん!」
事務所のドアを勢いよく開けると努さんが書類に目を通していて、沙代子さんは予約状況の確認をしていた。
「翔君、ノックくらいしなさい」
「すいません。でも沙代子さんこれ!これ見てください!」
いきなり入ってきた俺を軽く睨む沙代子さんに頭を下げてマフラーを見せる為に沙代子さんに近付く。
「マフラー?」
「はい!白井さんが作ってくれたんです。俺、嬉しくて!」
嬉しくて笑顔のまま話す俺に、顔を見合わせた努さんと沙代子さんの表情にも笑顔が浮かんだ。
「あったかそうだねぇ」
「すっごく暖かいです」
努さんに笑顔を返しながらマフラーを撫でた。
「よかったわね」
「手編みのマフラーとかもらったの初めてで、何かお返ししたいんですけど、何がいいのかな」
「そうねぇ、普段でも使える物とかいいんじゃない?」
沙代子さんが顎に手をやり、考えながら言った。
「普段でも使える物……」
何も思いつかない。でも白井さんに喜んでもらえるような物を贈りたい。
「涼香に相談してみたら?あの子なら詳しいと思うから」
「そうします!ありがとうございました。掃除してきます!」
沙代子さんの提案に大きく頷き、まだ掃除の途中だった事を思い出して、頭を下げて走り出した俺の背後から努さんと沙代子さんの笑い声が聞こえていた。
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