「ただいま」 緩(ゆる)みっぱなしの顔をなるべく引き締めリビングに入ると涼香ちゃんがソファに座りテレビを見ていた。 「おかえり～早かったね」 「うん、涼介君は部屋？」 いつもより１時間程早く帰った俺に話しかける涼香ちゃんに頷(うなず)きながらリビングを見渡した。 「部活から帰って、また出かけて行ったから遊びに行ったんじゃないの」 「出かけてるのかぁ……」 涼香ちゃんの言葉にがっかりした気分になる。そりゃ涼介君だって友達と遊んだり騒いだりするだろう。俺だって寮にいた頃は朝まで友達の部屋で騒いで、そのまま寝てしまうことも多々あった。 でもそれが。今日か……今日だからか、みんなでケーキ食べようって言っておけばよかったと後悔の溜息が出る。 「なになに？涼介いないとそんなに寂しいの？」 涼香ちゃんの目が悪戯っぽく笑っている。 「そうじゃなくて……涼香ちゃんはデートしなかったの？」 「明日彼氏と遊ぶよ～。翔君も明日涼介とデートすればいいじゃん」 楽しそうに笑う涼香ちゃんの表情はどうみてもからかっていた。 「はいはい、大人をからかわない。涼介君に怒られるよ」 「そうかなぁ。涼介は翔君の事好きだと思うけどなぁ」 涼香ちゃんの言葉に苦笑していた顔が固まる。 佑真さんへの気持ちを自覚してから好きって言葉に過敏(かびん)になってる気がする。 涼香ちゃんの言う好きは友達としてってことだろう。普通ならそう考える。 普通なら……普通じゃないのは俺の気持ちだと自分で考えて落ち込んでしまう。 「だといいんだけどな」 嫌われてはいないと思うけど、面倒臭いとは思われていそうだ。 「だって翔君が帰るの待ってるじゃん」 「え？」 驚いて涼香ちゃんの顔を見ると知らなかったの？というような顔をしていた。 言われてみれば帰るとリビングには涼介君がいる。俺が来る前の涼介君を知らないから不思議にも思わなかったけど、待ってくれていたのか。 涼介君だって部活で疲れているだろうに寝そうになる俺を部屋まで連れて行ったり、髪を拭いてくれたりしてくれていたのか。 年下のまだ高校生の涼介君にそんなにも甘やかされていた事実に改めて気づくとすごく恥ずかしい。 「翔君、顔真っ赤だよ」 「俺は今、自分の甘え癖のひどさを猛烈に反省している所だよ」 額(ひたい)に手をあて大きく溜息をつく俺を見て涼香ちゃんがお腹を抱えて笑いだした。 「ふふっ。いいんじゃない涼介も好きでやってるんだし、甘えられるなら甘えておけば」 涼香ちゃんが笑いすぎて涙が滲(にじ)んだ目を拭(ぬぐ)いながら言う。 「でも俺の方が年上なんだよなぁ。涼介君はそう思ってなさそうだけどな」 「わかるわかる！」 そう言って涼香ちゃんはまた笑いだした。 いや、わかるわかるって俺は涼香ちゃんの中でも年上と認定されてないのか。 「涼香の声が外まで聞こえてうるせぇ」 リビングの入口を振り向くと呆れた顔で涼介君が立っていた。 「おかえり涼介君」 「今日は早かったんだな」 沙代子さん達が帰って来る前に帰って来た涼介君に安心する俺に涼介君がスマホの時間を見ながら言った。 「涼介がいないから翔君寂しがってたよぉ」 「はぁ？」 涼香ちゃんの言葉に眉間に皺(しわ)を寄せながら涼介君が俺を見る。 「だから違うって！」 涼香ちゃんに抗議の目を向けると今にも舌を出しそうな悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。 間違いなく遊ばれている。俺は溜息をつきながらテーブルの上に突っ伏した。 「賑やかねぇ」 「シャンパンとワインも買ってきたんだよ」 帰って来た沙代子さんが明るく笑い、努さんも嬉しそうに紙袋を見せた。 「待って待って涼介君！」 風呂に入ってくると言う涼介君の服を思わず掴んで俺は引き止めた。 「翔君がみんなでケーキ食べようって」 「食べたい食べたい」 沙代子さんの言葉に俺が頷くとソファに座っていた涼香ちゃんが足早にテーブルに来て椅子に座った。 「この時間からかよ」 面倒臭そうに言いながら涼介君も座った。 冷蔵庫から持って来たケーキを開けると沙代子さんと涼香ちゃんがかわいいと口を揃(そろ)えた。 「何だか切るのが勿体ないくらいだね」 努さんの言葉にうんうんと俺は頷いた。 「切らないと食べられないじゃない」 かわいいと言っていた沙代子さんは手際よくサンタクロースを避けるとケーキを切り始めた。 女の人ってこういう所ドライだよなぁ。 「はい、翔君」 お皿に乗せたケーキを俺の前に沙代子さんが置いた。 「え、こんなに――」 ８等分に切り分けられたケーキの上にMaryChristmasと書かれたチョコレートが乗っていて、ケーキの横にはソリを引くトナカイにのったサンタクロースが置かれていることに驚いて沙代子さんを見上げた。 ケーキの主役を俺が全部もらってもいいんだろうか。 「いいんだよ」 戸惑っている俺に努さんが優しく笑う。 「誰もいらねぇし」 冷めた言い方の涼介君の隣で俺はじっとケーキを眺めた。 「子供の頃は涼介とチョコ半分個したよねぇ」 涼香ちゃんが懐かしそうに笑う。 やっぱりケーキの主役はみんな欲しくなるんじゃないか。 自分のケーキの上からチョコレートを取って涼介君のケーキに乗せた。 「何する――」 「だって涼香ちゃんと半分個してたんだろ？」 真面目な顔で言う俺に涼介君は大きく溜息をつき、沙代子さん達はきょとんとした顔をしていた。 「子供の頃の話だろ」 「ああっ！――んあ？」 溜息交じりに言うとチョレートを掴んでパキッと二つに折り、片方を驚いた俺の口に涼介君が放り込んで、もう片方は涼介君の口の中に消えていった。 「仲良しね」 ふふっと沙代子さんが微笑む。 「子供の頃の話だし、今じゃ欲しいと思わないって」 涼香ちゃんが耐えるように肩を震わせて笑っていた。 口の中で溶けるチョコレートの甘さと同じような、みんなと過ごす甘い時間が嬉しかった。 「やめろ。泣くな」 涼介君の声に涙が溢(あふ)れていることに気づく。 「ごめん、なさい。丸いケーキ初めて……でっ、みんなで、食べてるのテレビ……でしか見た事なかっ……嬉しくて」 止まらない涙に言葉が途切れ、俯くと膝の上にポタポタと涙が染みを作っていく。 「私達も翔君がいなかったらケーキなんて食べることなかったから、とても嬉しいのよ」 沙代子さんが俯く俺のそばで優しく背中を擦りながらありがとうと言った。 「顔洗ってきます」 鼻を啜りながら洗面所に向かった。 嬉しかったのは本当だけど泣くつもりなんかなかった。ただそこには家族の愛情が溢れていて、俺が心の奥底で求めてやまないものが確かにあって、家族のように接してくれるけど俺は家族じゃない。 俺の居場所がないような気がして、嬉しいのに寂しい感情が混ざり合っていた。 ここにいてもいいんだと不安にならない居場所が俺にもあればいいのに……。 こんなによくしてもらってるのに何考えてるだ俺。大きく首を振って顔を洗うと冷たい水に頭がスッキリした。 リビングに戻るとシャンパンとワインで乾杯してケーキを食べた。 「このワインすごく飲みやすくておいしいですね」 「そうだろう、苺のワインもあるから後で飲もうか」 グラスを空にした俺に努さんが嬉しそうに言いながらワインを注いでくれる。 「そうだ、翔君これ私と努さんから」 沙代子さんが赤と緑でラッピングされたクリスマスらしい包みを俺に渡した。 開けてみてと促(うなが)されるまま包みを開けると、ベージュ色のダッフルコートが出てきた。 「これって……」 「クリスマスプレゼント。着てみて」 沙代子さんが驚く俺に明るく笑った。 「あったかい」 冷気を通さない素材は中の体温も逃さず、表面はふんわりと柔らかかった。 「似合ってるよ、かわいいね」 涼香ちゃんがぱちぱち手を叩く。 「でしょう、翔君はかわいい系だから」 沙代子さんと涼香ちゃんが頷きあっている。 似合ってるのはいいとして、かわいいい系って何？俺これでも成人男子なんですけど。 「でも沙代子さんこれ――」 こんな高そうな物もらってもいいんだろうか。 「翔君は良い子だからね。もらってもいいのよ」 俺の言いたいことを察したのか沙代子さんの眼差しが暖かかった。 「ありがとう！沙代子さん努さん！」 満面の笑みがこぼれる俺にふたりの笑顔が返ってきた。 涼介君がお風呂に行き、涼香ちゃんと沙代子さんが部屋に戻ると、努さんが苺のワインを開けてくれた。 「甘いけど、酸味もあっておいしいですね、これ」 ワイングラスを光にかざしながら薄いピンク色のワインを眺めた。 「わかるかい、僕もこのワイン好きでね」 努さんがニコニコしながらまだ半分残ってる俺のグラスにワインを注ぐ。 「俺ワインってあんまり飲んだことなかったんですけど、好きになりました」 その美味しさにグラスの半分を一気に喉に流し込んだ。 佑真さんはワインが似合いそうだよなぁ。ワイングラスを持つ佑真さんを想像してやっぱりかっこいいなと顔が緩む。 「まだ飲んでんのかよ」 風呂上がりの涼介君が俺と努さんを見て呆れた声を出した。 「涼介君、涼介君、見て見てあったかいんだよこれ。沙代子さんと努さんからもらった――」。 「さっき見た。酔ってんの？」 立ち上がって着ていたコートを見せる俺に涼介君の片眉がわずかに上がる 「そうだっけ」 「飲ませすぎだ親父」 くるりと涼介君に背を向け、ふらつく俺を支えながら努さんを軽く睨んだ。 「大丈夫かい？」 「まだ飲みまぁす」 心配そうな努さんに手を挙げてこたえた。 「やめろって、ほら行くぞ」 「いやぁだぁ」 「おやすみ翔君」 涼介君に身体ごと引き摺(ず)られていく俺に努さんが笑いながら手を振った。 「まだ飲むんだってば」 「翔！」 階段を上ろうとして暴れる俺に聞こえた涼介君の強い口調にびくっと身体が固まった。 「怒らないでよ」 小さく呟いて階段を上り始めた俺の腕を涼介君が支えてくれた。 部屋に着いた時には頭がふわふわしていて夢の中にいるような気がした。 ソファで眠ろうとする俺にベッドで寝ろよと佑真さんの透き通るような声が聞こえる。佑真さんのそばにいたくてベッドに行きたくない俺は首を横に振った。 「そんな困った顔しないでください、佑真さん……」 困ったように笑う佑真さんの服を掴みながら、それでも掴んだ手は放したくなかった。 短く溜息をついて、一緒に布団に入る佑真さんに安心して、意識が遠のき何も考えられなくなった。