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第59話

二人が帰って30分程後に仕事を終え旅館を出た俺は少し悩んでからしばらく眺めていなかった湯畑が見たくなり、帰り道とは逆方向に歩き出した。 湯畑に着くと人影はなくライトアップは消えていて、街灯の(あかり)だけがぼんやりとあたりを照らしていた。 これはこれで綺麗だけど、俺の好きなエメラルドグリーンが闇に()けてよく見えず寂しい気持ちになる。小さく溜息をついて池の柵に寄りかかる俺の耳に力強く流れる滝の音が聞こえた。 「こんなに近くでいつも見てるのにな」 小さく笑いながら呟いて、手首のエメラルドグリーンを見つめると不思議と寂しい気持ちが消えていく気がする。 『寂しいから湯畑に行ってんの?』 ふいに涼介君の言葉が脳裏(のうり)(よみがえ)った。 酔って寂しくなって湯畑に行きたいと言い出した俺に涼介君が聞いたんだっけ。その問いに俺はそばにいたいからと答えた。 真っ直ぐ綺麗な列を作る湯畑も、力強い滝の音も、包み込むような淡い緑も、全てを佑真さんと重ねていた俺はここに来ると佑真さんのそばにいるような気がして……。 「本当どうしようもない」 自分の弱さが情けなくて柵に寄りかかったまま、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。 『俺がそばに居てやるから、寂しそうな顔すんな』 そばにいたいからと答えた俺に涼介君はそう言った。寂しくなったらこれ見てろって、ブレスレットくれたんだっけ。 涼介君の言うそばにいるってどういう意味だろう。俺が一人になりたくないって言ったから言ってくれたんだろうけど、今の俺にはその優しさが辛い。 俺の感じている寂しさは涼介君が思う寂しさとは違うから。 「翔!」 「涼介君?どうしたの?」 ふいに聞こえた声にうずくまったまま顔を上げると涼介君が息を切らして立っていた。 「どうしたのじゃねぇよ、何時だと思って――」 涼介君が膝に手をあて屈みながら大きく息を吐いた。 「心配かけてごめん。でも子供じゃないし、男だから大丈夫だって」 「ほっとけねぇんだよ」 立ち上がり歩き出す俺の腕を掴む涼介君の優しさが辛い。 俺が普通だったら素直に喜べたんだろうか。 「俺ってそんなに情けなく見える?」 「何言って――」 振り向き自嘲的(じちょうてき)な笑いを浮かべながら言葉に詰まる涼介君の手を振り解こうとする俺に何も言わず手に力を込めた。 「()っ。離せよ!」 強い口調で言う俺の腕は引き寄せられ涼介君に抱きしめられた。 「佑真さん、ならいいわけ?」 耳元で聞こえる会いたくてたまらない人の名前に身体が固まる。 「何で、知って……」 涼介君の腕の中で声が(かす)れ震えだしそうになる。 「佑真さんのそばにいたいって翔が言ったんじゃねぇか」 「涼介君には関係ないっ!」 涼介君の言葉に全身から血の気が引くのを感じて、叫ぶように言いながら涼介君を突き飛ばして逃げるように走って帰った。 知られたくなかった、佑真さんを、男を好きな普通じゃない俺の気持ちなんか。 普通が良かった。普通でいたい。 だけど普通じゃなくても気持ち悪いと思われても佑真さんへの気持ちが消せない。 俺はどうしたら……どうすればいいのかわからない。

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