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第60話
忙しさのおかげで涼介君と顔を合わせることはなく、今まで涼介君が俺に合わせてくれていたことに気付いた。
本当に優しい。あの日から気を使って顔を合わせないようにしてくれているのか、気持ち悪くて顔を合わせたくないのか、どっちにしても俺はこのままここにいていいのかな……。
「水沢ぁ!女将さんが手が空いたら事務所にきてくれって」
「わかりました!」
宴会場で準備をしている俺に入口から聞こえた山口さんの大きな声につられて俺も大きな声で返事をすると山口さんは手を振りながらいなくなった。
何だろう、わざわざ呼び出す用事って。涼介君から何か聞いたのかな、話すタイプには見えないけど。
でもそれ以外に思い当たる事がない。
変えれるものなら佑真さんへの気持ちを変えたかった。
友達として好きとか、尊敬している好きならどんなによかったか。
でも俺は佑真さんの事を考えるとドキドキするし、もっと近付きたい、触れたい、ずっと一緒にいたい、同性に抱く感情じゃないとわかっていても俺の気持ちは変えられなかった。
佑真さんと出逢えてよかったと思っているし、人を好きになる事が幸せだと気付いた。だから後悔はしない……しないけど、拒絶されるのはやっぱり怖い。
覚悟を決め、事務所のドアをノックして中に入ると事務所には沙代子さんしかいなかった。
「忙しいのに悪いわね、ちょっと待ってて」
そう言う沙代子さんの方が忙しそうにファイルに目を通している。
「沙代子さん、俺、出て行った方がいいですか……?」
「翔君、座って」
沈黙に耐えきれずにぽつりと呟いた俺にファイルを閉じて顔を上げた沙代子さんが傍の椅子を見て頷き、沙代子さんもキャスター付きの椅子を移動させて俺の前に座った。
「翔君、涼介と何かあった?」
「何かって――」
静かに響く沙代子さんの声に顔を上げると静かなでも強い沙代子さんの眼差しに見透かされているようで決めたはずの俺の覚悟が揺らいでしまう。
「何もないならいいんだけど、涼介が――」
「沙代子さんっ俺……好きな人がいるんです!」
沙代子さんの言葉を遮 って大きな声を出した俺に沙代子さんが驚いた顔をした。
「え、うん?」
「俺、俺の好きな人って男の人なんです。それを涼介君が知って気持ち悪いと思ったんだと思います」
一気に言ってしまってから大きく息を吐いた。
「翔君は恋愛対象が男の人なの?」
「わかりません。人を好きになったのも初めてで、でも……普通じゃないのはわかるから……」
沙代子さんにどう思われるのか怖くて顔を上げる事もできず、声も震える。
「だから出て行った方がいいと思うの?」
沙代子さんの厳しい口調に両手を握りしめながら頷いた。
「涼介が気持ち悪いって言った?」
「いいえ」
俺はゆっくり横に首を振った。
思っても言える人はそうはいない。
「言っていたら涼介を殴っているところね」
安心したように笑いながら沙代子さんは恐ろしい事を言う。
殴るって……言ったとしても涼介君は悪くないので是非やめてあげて下さい。
「翔君は普通じゃないって言ったけど、普通って何かしら?」
「えっと、女の人を好きになって……」
静かに訊 ねる沙代子さんの考えたこともなかった問いかけに言葉に詰まる。
「異性を好きになるのが普通なの?不倫でも?」
沙代子さんの言葉にはっとして顔を上げると沙代子さんの表情は静かに微笑んでいた。
「だいたいねぇ、人を好きなる事自体普通じゃないのよ。何も知らなかった人を知って好きになるのよ、普通じゃないわ、すごい事よ」
俺の目を見つめながら沙代子さんが握りしめている俺の手を優しく包んだ。
「気持ち悪くないんですか?」
「誰を好きでも翔君は翔君だもの。何も変わらないわよ」
沙代子さんの真っ直ぐな瞳は嘘などないと俺に教えてくれるようだった。
「涼介君にもちゃんと話した方がいいのかな、関係ないって俺、逃げちゃって……」
「なるほど、それでここ数日、涼介の機嫌が悪かったのね」
困って笑う俺に沙代子さんが納得したように頷く。
「怒ってたんですか?俺のせいですいません」
涼介君に謝った方がいいんだろうか、でも何て言えばいいのかもわからない。
「翔君のせいじゃないわよ。涼介の問題、あの子翔君が大好きだから」
「それ、涼香ちゃんからも言われたんですけど、俺って涼介君から世話の焼ける弟みたいに思われてるんですかね」
ふふっと笑う沙代子さんの言葉に眉をしかめてしまう。
自分でも落ち着いた大人だとは思っていないけど、弟みたいに思われていたら何気に落ち込むな。
「どうかしら、涼介に聞いてみたら?告白されちゃったらどうする?」
沙代子さんが悪戯っぽい笑みを浮かべながら楽しそうに笑う。
「告白って、沙代子さん寛容すぎません?」
冗談を言ってるようには見えない沙代子さんに首を傾げる。
自分の息子が同性に告白とか受け入られるものなのか?
「人を好きになるって素敵な事じゃない。うまくいかない事もあるけど泣いて笑って成長していくのよ。涼香と涼介それに翔君が幸せになってくれれば私も幸せよ」
「沙代子さんって温泉みたい」
沙代子さんの暖かい笑顔を見て呟く俺に独特な表現ねとおかしそうに笑った。
「翔君、もう出て行った方がいいなんて思っちゃだめよ」
「沙代子さん、大好きです!」
真剣な表情の沙代子さんに大きく頷いて、満面の笑みで頭を下げ部屋を出て行く俺の背後から涼介に何かされたら言いなさいよと沙代子さんの意味深な言葉が聞こえたけど、聞かなかった事にした。
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