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第67話
早すぎる鼓動を落ち着かせようと特別室の前で大きく深呼吸をしてみたけど効果はなかった。息を吸い込んで特別室のチャイムを押すとすぐに扉が開いた。
「どうぞ」
安心したように微笑む佑真さんの後について部屋に入った。
この部屋とにかく広い。
玄関を入ると12帖の部屋の真ん中に木製の重厚な机がおいてあり、その奥には手入れの行き届いた庭が一望できる広縁 があり、控えめの机と椅子が2脚置かれていた。
隣の部屋には8帖の寝室があり3人は余裕で寝られるほど大きいベッドがある。
この部屋のベッドメイキングをした時に一人じゃとても無理だったことを思い出して苦笑した。
「どうした?」
入口に立って部屋を眺める俺に佑真さんの優しい声が聞こえる。
「いえ、この部屋掃除するのは大変だったなぁって」
ふっと笑いながらコートを脱いで奥の広縁に向かい歩いて行く。
「佑真さんここの庭すごく綺麗なんですよ」
「ああ、綺麗だな」
明るいともっと綺麗なんですけどねとぼんやりライトに照らされる庭を見ながら笑う俺のすぐ後ろから佑真さんの声が聞こえる。
「佑真さん、怒ってないんですか?」
「怒っていないとは言えないな」
不安と怖さで庭を見つめたまま話す俺に返ってきた佑真さんの言葉に全身が冷たくなってくる。
聞こえてくる声は静かで優しくて顔を見たいのに怖くて振り向けないままでいる。
「ごめんなさい、俺、勝手で自分の事ばかりで」
「翔」
「優しくされればさるほど不安になって――」
「翔、こっちを向け」
佑真さんに優しく肩を引かれゆっくり振り返った。
「佑真さん、ごめんなさい」
優しさを失うのが怖くて自分から手放した。
何も知らず手放された方はどんな気持ちになったんだろう。俺が逆の立場なら裏切られた気がしてきっとすごく辛い。
「そんな顔するな」
そう言って笑う佑真さんは今まで見た事ないような寂しそうな顔で、どうしてそんな顔をするのか俺にはわからない。
「さっきどうして謝ったんですか?」
「お前、俺といると辛そうな顔するからな。俺がいない方がいいと思ったんだよ」
微笑んでいる佑真さんの包み込んでくれるような茶色の瞳が寂しそうに揺れていた。
「してませんよ」
「してるんだよ。自分じゃ気付いてないだけで」
真っ直ぐ見つめる俺に佑真さんが苦笑した。
「したかもしれませんけど、違います」
苦笑する佑真さんが何だか投げやりに見えて、口調が強くなる。
佑真さんは解っているような顔して何も解ってない。
本当に人の気持ちは聞かないとわからない。
俺の気持ちも言わないと伝わらない。
「座ってください。佑真さん背が高いから見上げてると疲れるんです」
「お前なぁ」
俺の言葉に佑真さんが溜息をつきながら窓際の椅子に座った。
「佑真さんって俺にすごく気を使ってくれるでしょう。俺が辛かったのは佑真さんの重荷になってしまう自分と、佑真さんがくれる優しさをいつか失ってしまうんじゃないかと不安だったからです」
俺を見つめる佑真さんの目を見つめ返しながら静かに言った。
「水沢のせい?」
「そうかもしれませんけど……人の気持ちって変わることもあるじゃないですか。そんな当たり前の事も気付けずに誰かのせいにして逃げていたんです」
「俺も変わってしまうって?」
「わかりません。ただ俺は信じる事が怖かった」
ゆっくり首を横に振って目を伏せた。
違うと、佑真さんは信じられると言えればどんなによかっただろう。
「お前、馬鹿だな」
佑真さんに腕を引き寄せられると俺の身体は佑真さんの胸の中にすっぽりと納まった。
「佑真さん!?」
「じっとしてろよ」
早くなる鼓動に慌てる俺の肩に頭を乗せて佑真さんが囁いた。
佑真さんの事を好きだと自覚している俺にそんなことされると思考が停止してしまいそうになるから困る。
「俺が兄さんに何をされていたか気付いていたんでしょう?」
俺の肩に乗せたままの佑真さんの頭が微 かに震えた。
「気持ち悪くないんですか?」
「それはない」
俺の言葉に顔を上げた佑真さんが近すぎて思わず目を逸らした。
「兄さんへの嫌悪感ももちろんありますけど、俺自身に対する嫌悪感の方が強いんです。俺を抱いた後の兄さんが見せる罪悪感に優越感があったし、何度も抱かれるうちに俺……」
そこまで話すと吐き気が込み上げて口を押えて佑真さんから離れた。
「そんなに自分を責めるな」
肩で浅い呼吸をする俺を佑真さんが後ろから抱きしめる。
「こんな狡くて汚い俺を佑真さんに知られたくなくて逃げたんです。自分が傷つきたくなくて、相手の気持ちも考えもしないでっ――」
「もういい。俺はな、俺が翔にできる事があるなら何でもしてやりたいと思っていた。でも俺の存在がお前を追い詰めているんじゃないかと……」
「佑真さんっ」
震える声に驚いて振り返って見えた佑真さんの目に悲しみの色が滲んでいて胸が締め付けられるようだった。
佑真さんは俺に自分を責めるなと言ったけど、佑真さんも自分を責めていたんだ。
何も悪くないのに俺がちゃんと伝えなかったせいで。
「佑真さんと話したくて、佑真さんの事もっと知りたくてトラウマを克服したいと思ったんです。佑真さんから離れてもその気持ちは変わらなくて、そばに居られなくても俺の中にいつも佑真さんがいて支えてくれたんです」
静かな優しい眼差しを見つめながら佑真さんの頬にそっと触れた。
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