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第73話
2月半ばとはいえまだ雪は残り、誰もいない家のリビングは外よりも寒く感じた。暖房を入れるとほっと一息つきコートを脱ぎながら慎吾に座れよと促す。
「俺がここにいるって佑真さんから?」
「ああ、昨日連絡をもらった。なぁ翔、お前が言う好きって尊敬とか――」
「だったらいいと思ったよ。でも違うから」
自嘲的に笑う俺に慎吾が眉を寄せる。
「まぁ、人と深く関わるのを避けていたお前が五十嵐さんには興味を持っていたから珍しいなとは思っていたけど」
「え?俺って人と深く関わるの避けてた?」
自分の事なのに思わず聞き返してしまう。そんなつもり全くなかったんだけど。
「なんだ自覚なかったのか。翔らしいといえばらしいが」
ふっと笑う慎吾の久しぶりに見る笑顔になんだか安心する。
「気持ち悪いとか思わないのかよ」
「どうして?翔は翔だろ」
何を言ってるんだと言いたげな表情に慎吾らしいと嬉しくなって笑いが込み上げる。
「何だそのにやけた顔。好きだって五十嵐さんには伝えたのか?」
「言うつもりない」
慎吾の問いに眉間に皺をよせ目を伏せて首を横に振った。
「なんでだよ」
「言えるわけないだろ」
「だからなんでだよ」
「困らせるだけだろ!」
抑揚のない慎吾の声に苛立って口調が荒くなる。
「五十嵐さんの態度見てる限り困りはしないと思うけどな。翔が言いたくないだけだろ」
「そうだよ!そばにいてもいいって言ってくれたのに好きだなんて言ったら、それもできなくなるだろ。そんなの嫌だ!」
子供みたいに喚く俺を見て慎吾が呆れた顔をしていた。
「お前はいつも目先の事しか考えてないんだよな、五十嵐さんが誰かと付き合ったり結婚したとしても翔は平気でいられるのか?そばにいられるならそれでいいとか今は思っているんだろうけど、実際そうなったら平気でいられないだろ」
俺の事をわかりすぎるくらいわかっている慎吾に返す言葉がなくて黙って俯くしかできない俺を見て溜息をつきながら続けた。
「言うか言わないかは翔の自由だけど、今だけ見て考えるのはやめろ」
「もし慎吾に好きだって言ったら、それでも一緒にいてくれるのか?」
「俺と比べてもしょうがないだろ。でもまぁ、そういう意味で好きにはなれないけど離れはしない。お前ほっとけないからな」
自信なさげにぼそぼそ話す俺に呆れた表情の慎吾の声は優しかった。
「なぁ慎吾、俺ってそんな何もできなさそうに見えてんの?」
「は?何の話だ?」
片眉を下げ少し驚いた顔で慎吾が俺を見た。
「それ、その放っておけないってセリフよく言われるんだよ。俺の事を考えてくれてありがたいって思うけど、頼りなく見えてんのかなって」
真面目に話す俺を見て慎吾が笑いだした。
「お前そんな風に思ってたのか。何かしてあげたくなる人柄ってやつだろ。悪い意味じゃないから気にしなくていいんじゃねぇの。俺の場合は何しでかすかわからないって意味で放っておけないだけなんだけどな」
何がそんなに可笑しかったのか口元を押さえながらくっくっと笑いを漏らしていた。
「周りに甘やかされてる自覚はあるけどな」
まだ笑っている慎吾にむすっとして口を尖らせた。
「少し羨ましくはあるけどな。俺は長男だから一人でできるだろって放っておかれた方だから」
「慎吾って家族の話あんまりしないよな」
何気なく感じた疑問を口にすると難しい表情をする慎吾が視界に入り、さらに疑問が増えた。
「何、聞かない方がよかった?」
「いや、俺は別に……」
「何か俺に隠してる?」
しばらく黙ってから口を開く慎吾の歯切れが悪い。こんな風に慎吾が躊躇う時は相手を気遣っている時だ。
「慎吾!」
「背中」
難しい顔をしたまま黙っている慎吾に詰め寄ると、じっと見つめる俺から目を逸らして溜息交じりに呟いた。
「は?」
「お前の背中に、その、傷が結構あってな」
訳が分からない顔をする俺をソファに座らせながら慎吾が話す。
「傷?」
そんなのあったのか。自分じゃ背中は見えないから知らなかった。
「高校の時に気付いたんだけど、火傷とかもあって、いじめにでもあってたのかとも思ったがそうでもなさそうだったし、お前って帰省しなかっただろ。だから虐待とかなのかと思って――」
「え、そんなひどいのか」
慎吾の辛そうな表情に自分では見た事がなかった背中にある傷がそんなにひどいのかと不安になる。
「心配になるくらいには」
申し訳なさそうな顔で慎吾が苦笑する。
結構な見た目なんじゃねぇか。でも背中に傷っていつ……。
「あ……」
記憶を辿ろうとした刹那、心臓が締め付けられるようで息ができない感覚に襲われた。
これ、だめだ。
息をしようと思えば思うほどひゅーひゅーと喉が閉まって息ができない。
「悪かった、翔。ゆっくり息をしろ」
胸を押さえ丸まった俺の背中を慎吾が優しくさすりながら声をかけた。
「ごめん慎吾。もう平気」
しばらくして呼吸が落ち着いてくると背中をさする慎吾に微笑んだ。
「翔は気付いてなさそうだったから言わない方がいいとも思ったんだけど」
「お前、高校の時から知ってたなら言えよな」
辛そうな表情をする慎吾を笑いながら軽く睨む。
「悪かった」
「慎吾いいやつだよな。俺が家族とうまくいってないと思ったから家族の話はしなかったんだろ」
真面目な顔で謝る慎吾に笑いかける。
本当に、いいやつだよな。
普通なら聞くだろ、俺を気遣って帰省しない俺に何も聞かなかったのか。
慎吾の優しい気遣いを知って嬉しくなった。
涼介君が服をめくった時に努さんが言ったこれはひどいって傷のことだったのかもしれないなとふと思い出した。
人に背中を見せる機会はそうないけど、努さんと涼介君には見られているのか。
二人とも何も言わなかったけど、それも俺を思ってくれてたんだろうな。
俺の出会う人は本当に優しい人が多い。
「何にやけた顔してんだよ」
「幸せを噛み締めてんだよ」
ふふっと笑う俺にいつも通り冷めた表情の慎吾がいた。
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