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第81話

 佑真さんのマンションまでの遠い道のりも、たわいもない話をしながらだと短く感じた。 マンションン近くのコンビニに寄るまでは――。 コンビニに寄った後の佑真さんは不機嫌とかいうレベルじゃなく怒っているようで一言も話さなくなった。 マンションに着くまで必死に考えてみても怒っている理由がわからない。普通に飲み物を買っただけだ。 「佑真さん、俺何かしました?」 部屋に入ってからも黙ったままの佑真さんに恐る恐る声をかけてみる。 「それ何?」 俺のシャツを少し開いて鎖骨のあたりを指さす佑真さんの目が冷たい。 「それって?」 見たくても見えない位置を指さされ困惑する俺の腕を引っ張り洗面所にある大きな鏡の前に立たせ、見てみろと促されるままシャツのボタンを外して鎖骨のあたりを見ると赤く充血した小さな痕が見えた。 「何だろこれ」 痛くも痒くもないそれを見ながら鏡越しに佑真さんを見ると腕を組んで壁に寄りかかりながら冷たい目をしていた。 「佑真さんが何に怒っているのかわかりませんけど、そんな目しないで下さい」 鏡越しに小さく呟く俺に何も言わず近付いてくる佑真さんが怖くて目を逸らしてしまう。 俯く俺の首筋に感じた柔らかい感触とぴりっとした痛みに思わず顔を上げた。 「それ、こうやってつけるんだよ」 耳元で聞こえる吐息と唇の離れる水音に首筋にキスされたことに気付いて、訳が分からないまま鏡を見ると鎖骨にある痕と同じように赤く充血していた。 「これってもしかして――」 「もしかしなくてもキスマークだろ」 戸惑う俺に佑真さんの冷たい声が返ってくる。 そんなことを言われてもキスマークなんて見たこともなかったし、つけられた覚えもない。キスマークって要は内出血だろ。 そんなに長くは残らないはずだから最近……か? 記憶を辿ると思い当たるのはあの時しかない。 俺もう本当に酒を飲むのやめよう。 「お前あいつのこと弟だって言ったよな。その弟と何してんだよ」 最初から気付いていたのか、思い出した俺の顔を見たからなのか、どっちにしても佑真さんの冷たい声に心臓が凍りつきそうなほど痛い。 涼介君がどういうつもりでこんな痕(キスマーク)をつけたのかは分からないけど、あの時の俺は確かに佑真さんを思い浮かべていた。 言い訳した所で相手が涼介君か佑真さんかなだけで男同士なのは変わらない。 どっちにしたって佑真さんにとっては気持ち悪いんだろう。 頭では理解できても佑真さんからまた気持ち悪いなんて言われたら耐えられそうにない。 「他にもあるのか?」 「……どうでもいいです」 佑真さんの冷たい視線に洗面台に手をついて大きく息を吐いた。 他にもってキスマークが?確認はしていないけどないとは思う。 そんなに何度もされていたらいくら酔っぱらっていても気付くはずだ。 だけどそれが何だよ。 何を答えても佑真さんの冷たい声が変わらないなら、話したくない、もう聞きたくない。 「脱げよ」 「え?」 驚いて振り返ると冷たい目で見下ろす佑真さんと視線がぶつかる。 「脱いで見せろ」 「嫌です」 俺の逃げ場を塞ぐように洗面台に両手をついた佑真さんの視線に耐えきれず俯きながらはっきりと拒否した。 キスマークがあっても無くても見せるのは構わない。 でもここだと俺の背後にある大きな鏡から背中が見えてしまう。 最近知った俺の背中の傷痕を佑真さんに見られたくない。 自分で見ても心配になるという慎吾の言葉が納得できるくらい目立つ傷痕がいくつもあった。 「翔!」 「どうしてそんなに怒るんですかっ」 佑真さんの強い口調にびくりと身体が跳ね、不安や怖さのいろんな負の感情に襲われて必死で声を絞り出した。 「お前が何も言わないからだろう」 「俺はっ!佑真さんのそんな冷たい目も声も嫌なんです!何を言っても変わらないなら話す意味なんかない」 佑真さんの冷たい目を真っ直ぐ見つめていると拒絶されているようで切なくて息ができなくなるほどだった。 「やめて下さい!」 俺の意見など聞く気もないというようにシャツのボタンを外していく佑真さんの手を掴んで抵抗しても片手で俺の手を抑えながら、もう片方の手で器用にボタンを外していった。 「やだって本当にやめてくださっ……」 ボタンの外されたシャツは身をよじった俺の肩からするりと腰まで落ちていった。 「何をそんなに嫌がる――」 俺の身体を見て鏡に視線を移した佑真さんの言葉が詰まった。 「こんなの見られたいわけないでしょう」 鏡から動かない佑真さんの視線に俺からは見えない背中の傷痕が大きな鏡にはっきり映っているんだろうと感じた。 「お前、これ……水沢なの、か……」 鏡を見つめたままの佑真さんが震える声を途切れさせながら呟いた。 「もういいでしょう」 力が緩んだ佑真さんから離れようとする俺の肩を引き寄せ抱きしめた。 「翔……」 耳元で優しく囁かれる俺の名前と、癒すように傷痕をそっとなぞる佑真さんの指に腰の辺りが粟立ちそれが全身に広がって立っていられず崩れ落ちそうになる俺を腰に回された佑真さんの右手がしっかり支えてくれた。 「佑……真さ……ん」 はぁと身体の奥から零れる吐息は熱を帯びていて名前を呼ぶのが精一杯だった。 「翔……」 優しく名前を呼びながら俺の頬に触れた佑真さんの左手はそのままゆっくり髪を梳いた。 体全部が心臓になったかのように脈打ち、頭の奥が痺れたような感覚に戸惑いながら涙の滲んだ目を佑真さんに向けた。

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