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第82話

 ちょっと来いとまだ力の入らない俺にシャツを着せてリビングまで行きソファに座らせた。 「悪かった。お前の事になると自制が効かなくなる」 隣に座った佑真さんが深呼吸するように大きく息を吐いた。 「すいません……」 俺はいつも佑真さんに謝らせてしまう。今だって佑真さんは悪くない。 佑真さんの怒っている理由が俺にわかればもっとちゃんと話せるかもしれないのに。 「翔はあいつのことが好きなのか?」 いつもの透き通るような佑真さんの声が静かなリビングに響いた。 「好きってどう意味で――」 「ん。キスマークつけられるくらいには?」 佑真さんのすっと伸びた綺麗な指が俺の鎖骨をなぞっていく。 「そ、そういう意味で好きじゃないです」 佑真さんの仕草はいちいち俺の心臓を刺激するから困る。 「あいつはそう思ってないだろうけどな」 佑真さんの声が少し苛立ちを含んでいる気がして、その時の状況だけはわかってもらいたくなった。 「涼介君が何でこんなことしたのか分からないんですけど、寝ぼけてたっていうか、酔っぱらっていてあまり覚えてないんですよね。俺が悪いんですけど、でも普通の時ならちゃんと嫌だって言いますよ」 「やっぱり抵抗あるのか?」 話ながらただの言い訳だなと苦笑する俺に少し眉をしかめた佑真さんの瞳が切なそうに揺れていた。 「兄さんとの事があるからですか?」 黙って俺を見つめる佑真さんの眼差しが肯定しているようで……小さく首を横に振り話を続けた。 「兄さんのことは好きにはなれないけど、誰かを好きだと思う気持ちに抵抗なんてありません」 兄さんが俺を好きでした事ならまだ許せたのかもしれない。だけど兄さんは俺が憎かっただけだ。 男とか女とかじゃなく佑真さんを好きになって人を好きなることが幸せだと知ったから、涼介君に対して兄さんに抱くような嫌悪感はない。 「そうか」 笑顔を向ける俺に佑真さんが安心したように笑った。 「佑真さんこそ抵抗あるんじゃないですか」 俺と慎吾のLINEでのやり取りを見て気持ち悪いと言った佑真さんの言葉を思い出すとそれが普通の反応なんだよなと思いながらも落ち込んでしまう。 「俺が?どうして?」 俺の予想とは裏腹に佑真さんは少し目を見開いて不思議そうな顔をしていた。 「どうしてって……俺と慎吾のLINE見たとき気持ち悪いって言っていたじゃないですか」 何で俺は思い出したくないセリフを説明しているんだろう。 「そんなことあったか」 佑真さんは視線を宙に泳がせながら思い出そうとしているようだった。 俺が思い出す度に落ち込んでいた事を忘れてるのかよ。 そんなものかもしれないと思いながらも頬はひきつってしまう。 「ああ、あれか」 「思い出してもらえて何よりです」 思い出せたことが嬉しいのかくっくっと楽しそうに笑っている佑真さんに皮肉を込めながら不満そうな目を向けた。 「悪かった悪かった。あの頃の翔は俺の事は避けるくせに江角とは仲良かったからな。腹が立ったんだよ」 笑いながら俺の頭をくしゃりと撫でた。 「そんな理由だったんですか。俺は佑真さんが、その……男同士とか気持ち悪いって思うのかと……」 ずっと気にしてた自分は何だったのかと溜息が出る。 「俺は中学も高校も男子校だったからな。そういう話はよく聞いたし、気持ち悪いと思ったことはないぞ」 あっさり答える佑真さんに肩の力が抜ける。 「佑真さんは気持ち悪いって思うんだって思ったから言わない方がいいと――」 「何を?」 聞き返す佑真さんに溜息交じりに口に出してしまった言葉を後悔した。 「あー……何でしょうね」 曖昧に笑いながらじっと俺を見る佑真さんから顔を背けた。 「翔」 悪戯っぽい笑みを浮かべた佑真さんの手が耳から後頭部にまわり、俺の頭はしっかり固定されてしまった。 「何を言わない方がいいって?」 もう一度聞く間近に迫る佑真さんの顔に目を逸らすこともできない。 どうしよう、好きだと言ってしまいたい気持ちがないわけじゃない。 でも今、しかも失言がきっかけとかどうなんだよ。 告白をした事もされた事もないけど、こんな状況ではないんじゃないか。 そして何て言えばいいんだ。 好きだと思うのは簡単だ、思うのと口に出すのは全然違う。 今だって考えるだけで痛いくらい心臓が鳴っている。

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