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第9話
◇
「もうこれでいいか」
「あぁ。全部消えたみたいだな」
藤の花が浄化されて消滅すると、義兄を抱き抱えていたままだった桂斗も無事に意識を取り戻したようで、気分が悪くないか訊ねた。
「桂斗さん、大丈夫ですか?気持ち悪くなっていませんか?」
「あ……。藍佐波さん。大丈夫です。僕は何を……。花はどこに行ったんですか?」
目を覚ました桂斗は、きょろきょろと周囲を見渡した。
「藤の花に取り込まれそうになって意識を持っていかれていたので、玖珂が浄化しました。このままでは危なかったですから」
「あ、ありがとうございます」
「遥さんは水属性の精霊と相性が良い。恐らくですが、この現象は水の精霊が遥さんの感情に影響されて引き起こしています」
「そんな……。いや、でもやっぱり……」
「しかし藤の花は違います。桂斗さん、貴方が作り出した物かもしれないです」
「えっ!?そんな事、あり得ないですっ!そんな能力は僕には無いですからっ」
懸命に否定する桂斗の目をじっと見つめ、能力が目覚めたと考えられる切欠を、一つずつ挙げていく。
「確かに検査した時点では、桂斗さんには能力は目覚めていなかったかもしれません。でも御両親が事故で亡くなり、家も焼失し、傍に居てくれる存在はお義兄さんだけになってしまった。しかし頼れる唯一の家族であるお義兄さんは、近年ピアニストとして忙しく世界を飛び回り、家に帰って来ない日が続く。誰もいないこの家に、独り切りで何ヵ月も過ごす。寂しく思わない訳がない。そんな時、木や花等の風景画を描き続ける事で、精霊と繋がるチャンネルを見つけたのでしょう。もしかしたらそれが切欠で、土精霊の能力を開花させたのかもしれない。」
ここで少し間を開け、揺るぎの無い結論を述べた。
「なぜなら、藤の花は植物。木は土の精霊と深く繋がっています。既に水精霊と繋がっている遥さんは、他属性の精霊とは干渉できないからです」
「待って下さい。それじゃ僕が画家になれたのは僕の力じゃなくて、精霊のお陰だと言いたいんですか……?」
「そうではありません。長年絵を描く練習を積み重ねて来たのは、紛れもなく貴方の努力です。その努力に魅せられて、精霊が貴方に応えたということなんですよ」
「そうなんですか。いや、すいません……。混乱して、感情的につい突っかかってしまって……」
「いいえ。こちらも言葉が足りず、申し訳ありませんでした」
非礼を詫び、頭を下げていると、背後から玖珂が話しかけて来た。
「なんとなく正体も掴めて来たことだし、これから二階に行って部屋を見に行こうか」
「それは俺一人で行くから」
「はぁ!?ちょっ……俺も行くってっ!」
「何を言ってるんだ。俺だけ行くに決まっているだろう。お前は余計な事をしないで、ここで依頼者を守れ」
「なんでよ!」
「お前まで来たら、遥さん達が危険な目にあった時に、誰も守れないだろう。依頼者を守るのは、最優先事項だろうが。忘れたのか?」
「ぐっ、それは知ってるけどっ……」
そう言うとまだ悔しそうに舌打ちをしてきたので、駄目押しで睨み付けてやった。ぶつぶつ文句を言いながらも、玖珂に手を出すように言われたので素直に出すと、そこに俺よりも大きな手を翳してきた。
「ちっ。分かったよ。ちょっと手を出して。出てこい、燐狐(りんこ)」
みるみる内に手のひらサイズの影が作られると、目元が赤く縁取られた美しい金朱色の狐が、俺の手の上にピョコンと座っていた。
耳や尻尾をふるりと揺らすと、煌めく火の粉を撒き散らした。それを見ると何故か心がほっこりと暖まっていく。
「話しかければ俺と繋がっているから、危ない時は呼べよ」
「悪いな、助かる」
相変わらず顔に似合わず、可愛らしい使鬼を使うなと思いながら微笑を浮かべて、宜しくお願いしますと、燐狐に挨拶した。燐狐は、二つに別れた長い尻尾をフリフリと揺らして返してくれた。
それを見て、玖珂が面白くなさそうな顔をする。
「俺にもそうやって笑ってくれりゃいいのにさ」
「それは笑顔の無駄遣いになるからやらない」
「うちの相棒のツンデレが過ぎるっ!俺にはツンツンだけとか酷くないっ?」
煩く喚く相棒には相手にせず、俺は不安な表情をした桂斗に近づいた。
「これから二階のピアノの部屋に行ってきますので」
「本当に一人で大丈夫ですか?」
「お任せください。この子がおりますので、平気です」
「すごいですね。精霊を使役できるなんて」
肩に乗せた燐狐を見せると、驚きを隠さずに感動して見つめている彼に、俺はある事を頼む事にした。
「桂斗さん、今から貴方にやって欲しい事があります」
「え?何でしょうか?」
「実は先程の精霊障が起きた時に、分かった事があります。それは、水精霊から伝わってきた遥さんの感情と、ピアノの音色から感じた桂斗さんの想いです」
「僕達の感情、ですか……?」
「はい。ピアノは木から作られていますよね。つまり土属性に分類されます。心が痺れる位に痛くなった、あの切なく誰かを愛しく想い、憧憬の念で誰かを慕う感情です。あれは貴方の感情が増幅した物です。誰を想っての感情かは、詮索はしませんが」
「……」
「もし貴方が自分の気持ちに向き合わず、その感情を押し殺したままだと、ここで精霊を浄化したとしても、いつかまた必ず同じ現象が起きます。そして想い慕う相手を傷付ける事になるでしょう」
「そんな……」
蒼白な顔で打ちひしがれている桂斗の肩に、玖珂が元気づけるように手を置いた。
「ここまできたら、自分の気持ちに正直になるしかないよな。どうすれば良いかは、もう分かってるみたいだし」
「玖珂さん」
「俺はいつもやりたい事だけして、欲しい物は欲しいって主張して今まで来たからさ。ここまでの精霊障を引き起こすまで、どうしてあんたがそんなに我慢するのかは分からないけど」
玖珂は楽しそうに明るく笑った。
「欲しいもんは何がなんでも欲しいんだって、相手に正直に言わなきゃ、何時まで経っても手に入らないぜ」
「欲しい物……」
「それに自信が無くて諦めようって思っていたとしても、心のどこかで諦めたくないって思っているから、暴走するんじゃないのかな。だったら自分に正直になった方が、百万倍いいんじゃないか?精霊もそれを伝えたがったりしてるのかもよ」
俺は感知能力が苦手だから、どうか分かんないけど、と彼は頭を掻いて苦笑した。
それを見て、幾分気が解れたのか、桂斗は薄く微笑んだ。
「分かりました……。どうすれば良いですか?」
「貴方が想い慕っている相手に直接、本当に思っている気持ちを、包み隠さず告白してください」
「え……、こっ、告白、ですか?」
予想外の言葉に、彼は動揺してどもってしまったが、解決するにはこれしかないのだ。
「そうです。桂斗さんの思いの丈を、嘘偽りなく全て正直におっしゃってください。そうすれば貴方の想っている相手も、精霊の束縛が解けて、目覚める筈です」
元々土精霊は、何かを作り育て大きくさせる性質を持っている。そこに水精霊が反応して融合した為、更に力を貯めて強力な力へと変化したのだろう。
「精霊は、人の強い感情が大好物です。なぜなら、吸収すればする程、精霊自身もエネルギーが蓄えられ強くなれるからです。でも普通の人間はそこまで強くなれないし、そんな状態の精霊をコントロール出来ません」
ごく稀に例外はいますが、とちらりと玖珂に視線を向けた。
「じゃあ遥義兄さんは、このままだと……」
「……このままだと、衰弱して意識が戻る事が出来ず、数日以内に命を落とす可能性が高いです」
本当はここまで言うべきか迷ったが、どのみち目を覚まさなければ、巫遥が助からないのは事実だ。
桂斗は、しばらくじっと考え込んでいたが、決心したように深く頷いた。
「分かりました。遥義兄さんに、僕の気持ちを伝えたいと思います」
彼の強い眼差しが、義兄を何としてでも助けたいんだと訴えているのが伝わってきた。俺も無言で頷き、彼の意思を受け取った。
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