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綿貫碧(わたぬき あおい)3-8
玄関の前で振り返り、ぺこりとお辞儀をすると、三沢に手首を強く引かれた。
「帰るな。一緒にいるって約束した」
いつもおっとりとした話し方をする三沢の声が、早口になり少し乱暴であった。驚いて綿貫は三沢の顔を見る。
「駄目だ。帰さない」
「そんな権利、三沢さんにない」
「そいつから金受け取ったんだろ。じゃあ、俺も利用すれば良い。そいつから金を受け取れるなら、俺からも受け取れば良い」
「受け取る? じゃあその対価はなんですか?」
「あおちゃんの笑顔」
綿貫は一瞬だけ真顔になった後、思わず笑った。こんな時にまで、そんな甘い言葉を吐き出すのか。そのいい加減さは、他の人間であればより怒りが湧いたであろうが、三沢であるからか許せてしまった。
「何それ、馬鹿みたい」
「俺が一番欲しいものだよ」
綿貫は声を出して笑うと、三沢の顔を見た。三沢の目には、もう仄暗い光は無かった。良かったと綿貫は思いながら、あぁ自分は、言われた事そのものよりも、この人のあの目を見たくなかったのだと気がついた。
「わかりました」
三沢は綿貫の手首を掴んでいた手を離すと、綿貫の手に自分の手を絡めてきた。
「一緒にいてくれる?」
綿貫が頷くと、三沢は嬉しそうに握った手を揺らしてくる。
「一週間、何しようか。時間は長いようですぐ過ぎちゃうからね。あおちゃんが沢山笑えるように、いっぱいいっぱい甘やかして上げるからね」
再度ソファに連れて行かれると、肩に手をかけられ、三沢の方に引き寄せられる。頭を綿貫の頭にこつんと付けてきた三沢は、上機嫌だ。
「三沢さんって、ほんと、変な人」
「そう? 俺から見たら、周りがおかしいよ。何で、欲しいものを手に入れるための努力をしないんだろうって思うよ。お金なんて、頑張ればすぐ手に入るのに」
何を思ってそう言ったのか分からないが、この人は、凡人と天才と、違うと言うことを理解出来ないのだなと思った。
「普通の人から見た世界は普通だけど、狂人から見たら世界は狂ってるんだって」
「何それ、酷いなぁ。俺は狂人?」
「いえ、そうじゃないですよ。ただ、その人によって常識とか、そういうのは違うんだなって思います。でも、三沢さんみたいな人は少数だから、生きにくいのかな、って少し思いました」
三沢は少しだけ驚いた顔をすると、綿貫の体をぎゅっと抱きしめてきた。
「そんなこと、思ったことないよ。俺は単純なんだ。欲しいものが手に入るか、入らないか、それだけ」
「まだ欲しいものがあるんですか。欲張りですね」
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