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三沢修司(みさわ しゅうじ)2-3

 三沢はそんな綿貫に、優しく話しかけた。男の子だったのは驚いたが、そんな事はどうでも良かった。ただ三沢は、自分の思い通りになる奴隷のような子が欲しかったのだ。  綿貫は三沢の理想であった。可愛くて、誰も信じていないくせに、寂しがり屋だ。躾ければ、自分の意のままに動くだろう事は分かっていた。  三沢のそんなねじ曲がった性根は、父親のせいであった。父親は頭の良い男で、誰にも知られずにドメスティックバイオレンスを繰り返すような男だった。  顔は殴らない。殴るのは見えない場所で、骨折のような、病院に行かなければいけないような怪我はさせない狡猾さがあった。  三沢は痣が出来るほど殴られても、優しくされれば許してしまう母親を、いつも奇妙な気持ちで見ていた。そしてそれを繰り返せば繰り返すほど、母親は父親を愛していくのだ。  時に父親は、そんな母親を三沢の目の前で犯した。父親にとって息子は、いつまでも自分を越えてはいけない存在であり、そうやって三沢を牽制するのと同時に、三沢の目の前で母親を犯すことに酷く興奮をしたようであった。そう言う性癖でもあったのだろう。  三沢は冷めて目でそれを見ながらも、父親に媚びへつらった。そんな父親は絶対的な権力を持っており、幼い三沢は、ただ愛されたかったのだ。  しかしそれも、母親が父親の暴力で死に、三沢が施設に入れらた事により終止符を打つ。父親の最初で最後のミスは、取り返しのつかないミスとなったのだった。  家族から離れれば、呪縛が溶けるのは早かった。まだ幼い三沢にそれが出来たのは、ずば抜けて優秀な知能を持っており、大人の話や書物から得た情報を、自分の感情に落とし込むことが出来たからであろう。  そして、母親と、自分自身までを冷静に分析しながら、人を操るにはどうすればいいのかを導き出していた。  飴と鞭とはよく言った物だ。三沢は知識として、また体に染みついた習性として、それを行えば人を洗脳するのは容易いのだと気がついた。  三沢は、まず綿貫に自分の理論があっているのか実践をしようとした。ただ、暴力は嫌いであった。そのため、優しく甘やかすことを選択した。  人を支配するには、痛みの中に少しの優しさを入れる事が効果的であるとは分かっていたが、それは三沢の主義に反していた。母を無くしてしまった父のようなへまを、したくはなかったのだ。  甘さの中に、ほんの少しの苦みを付け足す。根気はいるが、その分効果も大きい。痛みでの支配は、何かがきっかけになればすぐに崩れるが、優しさで雁字搦めにされた支配から逃れることは難しい。      

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