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綿貫碧(わたぬき あおい)6-5
中学生の頃、学校帰りに通るファミリーレストランの前には、季節ごとにフェアの内容が書かれた写真がかかっている。ハンバーグやカレーライスや美味しそうなデザート。それだけでは無い。店の中にはいつでも、幸せそうな家族や、主婦の集団、学生達などがいる。誰も皆、楽しそうだ。いつか自分も、その中に入ってみたいと思っていた。ただ食事をするだけではなく、あの輪の中に入ってみたいと思ったのだが、その一方で、自分には無理だろうとも思っていた。
「初めて入るの?」
「はい」
「喜んで貰えたなら、嬉しいな」
そう言って笑った三沢に、彼は自分の考えていた事が分かってここに来てくれたのだと気がついた。
「ありがとうございます。何か、お店に入っただけなのに、凄く楽しいです。一人で来ても、他の誰かと来ても、こんなにワクワクしないと思います。三沢さんとだから、嬉しい」
「俺も一緒だよ。あおちゃんとならどこに行っても楽しいな」
屈託なく笑う三沢に、綿貫はそれを素直に信じてみようと思った。せめて夏休みの、二人きりでいる間だけでも、三沢の言葉を信じてみたい。それが虚妄の世界でも、恋人を演じてみたいと、そう思ったのだ。
「デザートも食べたい」
「いいよ。食べなよ。ドリンクバーも頼もう。帰ったらいっぱい体力使うからね。沢山食べないと」
綿貫は少し顔を赤くして笑うと、注文を取りに来た店員に、ドリンクバーとチーズハンバーグと、ライスと、パフェを頼んだ。緊張して少し声が上擦ったのが恥ずかしかったが、三沢の顔をチラリと見ると、柔らかい笑顔で綿貫を見ていた。
「飲み物、先に取りに行ってきたら」
「はい」
ドリンクバーも初めてだ。初めての事ばかりで恥ずかしいが、どうしていいのか分からずに戸惑っていると、三沢がやって来て、後ろから綿貫の手をコップごと掴んできた。
「何飲みたいの?」
「あ、え、えーと、ジンジャーエール」
「ここ置いて、ボタン押して」
「はい」
初めての事をやる緊張感と、三沢の大きな体と、その両方にドキドキとした。凄く恥ずかしくて、凄く嬉しい。
「女の子だね」
「そうだね」
近くに座っている客の、小さな話し声が聞こえる。また女に間違えられてると思い、まったくない胸や体つきからさすがに間違えられないだろうと思っていたのに、また間違えられたと思って下を向く。
「俺、アイスコーヒー。やって貰って良い?」
「はい」
まだ背中に張り付いている三沢に、確かにこれではカップルにしか見えないだろう。そりゃ女に間違えられるだろうと思った。
席に戻ると、綿貫はジンジャーエールを飲みながら、独り言のように呟いた。
「俺、もっと中性的な格好しようかな」
「何、突然」
「三沢さん、人の目、気にしないからさ。だったら女の子に間違えられた方がマシだなって」
「ハハ……あおちゃん、へんたーい」
「違います。でも、俺は三沢さんみたいに、心臓に毛生えてないですから、変な目で見られるのは嫌なんです」
「他人なんて放っておきなよ。他人はあおちゃんに何もくれないし、気にもかけてくれないよ」
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