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第8話

 水の入ったバケツを運ぶ金髪の青年の歩き方が普段と違い、その後ろを人の気配に野良猫が姿を現したため安住は近寄った。数歩進んではバケツを置き、腰を摩っている。 「寝違えた」  安住は話しかけた。青明(はるあきら)は少し驚いた顔をしたが、すぐに平生(へいぜい)の彼に戻った。 「…そんなところだな」 「罰として買い出し付き合う」 「罰ったってお前は何も悪いことしてないだろ」  開き直ったように彼は腰を摩る。高く結い上げた髪と朱液や墨汁で薄く汚れた顔は朝早くから修行に励んでいたらしい。 「生卵守れる」 「気持ちはありがたいが、また生命尊様に怒られる」  深く抜けるような息を吐いて、自嘲的な笑みが青明の口元に浮かんだ。 「早く一人前にならなきゃならないのに、まだ生命尊(みこと)様を怒らせてばかりだ。なんでだろうな。俺なりに頑張ってるつもりなんだが、成果が出ないんじゃどうにもならないな」  置いたバケツに手が触れる前に安住はバケツを持ちあげた。 「バケツ守る」 「…悪いな」  青明はわずかに沈んだ表情をみせた。 「買い出し付き合ったら生卵守って」 「多分今日は生卵買わないぞ」  バケツを運ぶ間も青明は腰を曲げたり伸ばしたりを繰り返す。 「腰守る」 「そんなヤワじゃないから大丈夫だ。もう大分良くなった。ありがとうな」  安住の手からバケツが移る。彼は腰に手を当てたままで、雑木林が茂る社殿の裏に消えていった。野良猫は暇を持て余し、石畳から外れた砂利の上に寝転んだ。威鳴祭祀社の空を覆うように伸びた木々がざわめく。シャランシャランと鈴束が鳴っている。不気味な風が吹き、野良猫は飛び上がってどこかへ走り去った。安住は振り返った。石畳をのそりのそりと歩く陰がある。シャランシャランと鈴束が鳴っている。足音が社殿のほうから徐々に近付く。札が安住の後ろから放たれ、陰の進行を阻んだ。壁を張ったように虹色の光沢が広がった。 「ワカイカラダ」  陰は札と結界を突き破り社殿の裏に続く脇道に向かう。生命尊が安住のもとに辿り着き、もう一度札を投げる。 「安住、彼を神殿へ連れて行きなさい」  生命尊が叫んだ。安住は頷いて青明を探した。普段と空気感の変わった雑木林はある一点から同じ道が続いていた。空間の狭間を彷徨っている。不穏な来客の仕業らしかった。数度目の同じ道を通り抜ける。 「どうしたんだ、安住」  対面から青明が現れた。 「生命尊が社殿に連れて行きなさいって」  青明は安住をじっと見ている。安住はその脇を通り抜けた。また青明が突っ立っている地点へ出る。彼を後方に追いやったくせ、また彼の前方に出ている。 「連れて行ってくれ、社殿に」 「だめ」  青明は苦笑して、聞き返した。安住はじっと柘榴の実を嵌め込んだような瞳を見つめた。 「帰る道あっち。結界門には一礼する。一昨日(おとつい)にまた来て」  威鳴祭祀社の北入口にある主に関係者が使う出入り口の方角を指で差す。しかしこのままでは目の前の青明は帰れない。 「社殿に連れて行ってくれよ」 「だめ。金色ちゃん守る。お化けちゃん守らない」  青明は眉間に皺を寄せる。 「お前…」 「金色ちゃんを探す。お化けちゃんは帰る。あっち」  安住はスラックスに入っていた塩の入っ小さな紙製の袋をペリッと破った。掌に少量しか入っていない塩を出して青明に投げる。みるみる金髪や赤い双眸は融解し、狸とも肥えた猫ともいえない獣に変わっていく。太い尾を垂らし、ひょいひょいと逃げ帰った。雑木林の外でシャランシャランと鈴束が鳴り響く。砂利音を立て青明を探した。彼は倉庫の中にいた。安住に気付くと頭や肩に綿埃や蜘蛛の巣を付けて現れる。 「どうした?安住」 「ペン貸して」  倉庫の中の備品に付けられた、整理用の名札になっている紙を剥がす。青明は怒ったが、訳が分からないといったふうに催促されるまま近場にあったインクが出るのかも怪しいマジックペンを貸す。安住はさらさらと祭文(さいぶん)を書いていく。威鳴祭祀社の教えを書き起こしたものだった。 「どうしたんだ?」  青明は安住と紙を覗き込む。 「生命尊が社殿に連れて行きなさいって言った」  祭文を綴った紙を折り、青明の衣類の中に突っ込むと、まだ訳の分かっていない彼の手を引いた。

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